まさに正気を疑う所業

 ああもう! どうしてこいつはこれほど愚かなのだ!

 いや、最近『愚か』の定義がわしのなかで些かゆらいできた。耐性値が狂っているラヴィにとっては、この悪食はラヴィになんの被害損害を与えるものではない……のか。目を痒そうにしておるが。何故わしのほうが苦しんでいるのか理解に苦しむ。わしもそれなりに耐性は有しているはずなのだが。


 ラヴィはあろうことかケムリ草に火をつけた。

 ケムリ草は発煙筒の原材料だ。そのままでも燃やせばかなりの煙を生じさせる。しかも有害だ。わしでも鼻がやられて目が見えぬ。なのにラヴィはあれぇと間抜けな声を上げている。

「お主、この煙の中でも平気なのか」

「目がちょっとシパシパして喉と鼻がイガイガする」

「……ここは盗聴されている。大声で助けを」

「たす」

「馬鹿、まだ大声出すな!」

「えぇ~」

「扉の近くに潜んでからだ、だから待て! 話を聞け!」

「ふぇ」

 既に複数の足音が向かってくるのが聞こえた。盗聴している者が異常の確認にくるのだろう。……わしも騒ぎすぎたかな。……はぁ。


「まず荷物を全て背負ってすぐ出られる扉の近くに隠れろ。それから誰か来たら煙で怯んでいる隙になんとか逃げ出して外までたどり着く。ここにいたのでは埒があかぬ。ああもう! 早く荷物をかつげ」

 ラヴィはのろのろと立ち上がったようで、よいしょと荷物を背負う音がする。わしですら目が開かぬこの煙の中で、本当に目が開けられるのだろうか。というか、普通はこんなに煙に包まれればあっという間に息ができずに死ぬものだが……。

 苦痛耐性と窒息耐性か……。無力感にさいなまれるという感覚は久しぶりだな。頭が痛い。

 やがて足音はドアの前まで訪れドアがドンドンとノックで揺れた。

「どうした? 何かあったのか?」

「他に誰かいるのか?」

「ラヴィ、声を出すなよ。開いたら隙をついて無言で逃げろ」

「うん」

 静かに様子を伺うと、やがてガチャリと鍵が回り、扉がわずかに開いた瞬間ギャァという悲鳴が響いてドサドサと倒れる音がした。何やら真面目に考えるのが馬鹿馬鹿しくなってきた。

 開いたドアから白い煙がもうもうと逃げていき、廊下とその先を白く染めていく。一体どれほどの威力なのだ野生のケムリ草というやつは……。

 ラヴィが足元の人体と思しきものを避けながら廊下を走り出す。本当に見えているのだな……わしですら視覚ではうっすらとしか見えぬのにわけがわからぬ。

 ……さきほどの奴らは死んではおらぬだろうな、ピクリともしなかったが。


「ラヴィ、とりあえず外に出ろ。だがこの煙の勢いではどちらが外かわからぬな。とりあえず上に登れ。窓まで出ればわしがなんとかする」

「大丈夫、こっちからご飯の臭いがいっぱいするから!」

「おい待て!」

 このひどい煙の中で臭いだと⁉︎ しかもご飯の匂いがするから大丈夫という理屈も全くわからない。

 わしは激しく揺れる帽子の端で無為に揺られるだけだが、ラヴィは辺りを白く染めるこの煙の中を、迷いなく廊下を曲がり駆け抜け階段を飛び降りているようだ。移動する距離からもこの建物はおそらく大型の宿屋程度の規模はあり、けれどもその広大な全てを白で埋め尽くさんとするケムリ草の威力に慄く。


「カプト様、もうちょっとです、ケホ」

「出口の手前で一旦止まれ。様子を確認する」

 本当に臭いがわかるのか。飯への執念に呆れ返りつつも警戒は怠れぬ。なにせラヴィは警戒など全くせずに食料の匂いに突進しているだけであろうから。

 その出口とやらが例えば入り口であれば、敵に囲まれておるやも知れぬ。けれども疑念が1つあった。先程からおそらく避難のざわめきが遠ざかっている。ひょっとして出口から遠ざかっているのではないかという懸念。けれどもラヴィは迷わず走り続けて一つの部屋に飛び込んだ。

「あ、あれ? ご飯だ」

「あぁー」

 口から思わず変な声が漏れた。ここまで来ればわしでもその匂いでわかる調理室……。確かに食べ物の臭いだ。一瞬絶望しかけたが気を取り直す。そうだ、ここであれば出口はある。

「食べなきゃ!」

「待て、待て、おちつけ!」

「でもご飯!!」

「逃げるのが先だ! 気になるなら持てる食材は持っていけ。また捕まってエネルギーバーでいいのか?」

「それは嫌! でもご飯! あ、このソースすごく美味しい」

 話す途中ももぐもぐ咀嚼する音がするが、まあそれより出口だ。一定の規模の建物の厨房にはだいたい勝手口や汎用口といったものが存在する。多人数の食事を用意するのであればその食材は大量で、通常の屋敷廊下を通って肉や魚といった食材を搬入出することは少ないない。あるいはあるとすればダストシュート。


「ラヴィ、外の空気の臭いがする場所はないか?」

「外の臭いってろんな臭い?」

「お前がよく抜いて食っとる草とか木とかの臭いだ……」

「えーとうーん、あっち」

 そこには確かに扉があり、開けるとブワと白い煙が立ち上っていく。けれども白で埋まることはなく、ビュウと強い風が煙を吹き散らした。急に開けた視界に見えたそこはどうやら山地のようで、やはり見渡す限りエグゼプトと思われる都市は見当たらない。

「カピュロさま、こへからほうふるんへふ」

 帽子から見下ろしたラヴィは口に入り切らないほどのデカいパンをくわえて両手に皿を持っていた。

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