落葉

柳成人(やなぎなるひと)

落葉

 びゅう、と強い風が吹いた。

 舞い上がった木の葉が、くるくると踊るように円を描く。頑丈に着重ねて来たはずの服のすき間から入り込む冷気に、思わず震え上がる。


「集めるのは極力葉っぱだけにしたいので、まずは落ちている小枝があれば拾ってください」


 二月の鈍色の空の下に、百人をゆうに超える人々が集まっていた。我々のような関係者と思しき中高年以外にも、小さな子供連れや、学生らしき華やかな一団の姿もある。

 これから行われるのは、森の中の落ち葉を集めるくず掃きというイベントだった。地元のNPO団体が中心となり、毎年行われているものらしい。


 号令に従い、色とりどりのウェアに身を包んだ人々が思い思いに行動を開始する。せっせと枝を集めた後から、ブロアーが唸りをあげ、地面に広げたネットの上に無数の熊手が落ち葉を掻き集めていく。

 頃合いを見計らってネットを縛り上げ、出来上がった巨大な落ち葉の塊を大人数でトラックの荷台に担ぎ上げる。まるで神輿担ぎか大玉転がしにでも興じているかのように老若男女が入り交じる滑稽な様子で、寒々とした森の中に笑い声が弾けた。


 その瞬間を逃すまじ、と私は不慣れな一眼レフカメラを構え、無我夢中でシャッターボタンを押しまくる。にも関わらず、笑顔はまるで花火のように、咲いたそばから消えてしまう。なんとも手ごたえのない写真ばかりが、カメラの中に増えて行った。


「ほら、見てごらん」


 肩を叩かれ振り向くと、西尾社長の見慣れないニット帽頭があった。

 柔和な笑顔はいかにも好々爺といった風情で、ライバル会社をM&Aで吸収合併するような攻撃性は露ほども見当たらない。


「フデリンドウの芽だよ。落ち葉の下に隠れていたんだね。こうして落ち葉を掃く事で林床にまで日光が届くようになる。これできっと、桜が咲く頃には青紫色のじゅうたんが楽しめるようになるだろう」


 暗に撮影しておけ、と言われているような気がして、一応レンズを向ける。

 焦げ茶色の大地にひょっこりと顔を出した浅緑の若芽は、暴力的なほど鮮やかで、瑞々しい生命力に溢れていた。

 つまるところくず掃きとは、見目麗しい新緑の成長を促すために、邪魔になった落ち葉を片付けようという試みなのだろう。


 トラックで運ばれた落ち葉の山は、森の片隅に追いやられた。落ち葉プールができたと、その上を子どもたちがはしゃぎ、大喜びで跳ね回る。カサカサに枯れた落ち葉が宙を舞い、踏みにじられ、粉々に砕け散っていく。

 私はどうして西尾社長が自分を誘ったのか、わかったような気がした。



     ◇



 くず掃きが終わると、用意していた豚汁が振る舞われた。

 里芋に大根、人参に葱と、どれも近くの畑で作られている地元野菜らしい。

 立ち上る白い湯気の合間にほころぶ笑顔を、私は淡々と機械的に写真に収めていく。


「君もひと休みして、ごちそうになったらどうかね?」


 やってきた西尾社長が、白い発泡スチロールのお椀を差し出してくる。胸の中まで冷え切っていた私は、はぁ、と気の抜けた返事で受け取った。


「パソコンとにらめっこばかりだと息も詰まるし、たまにはこういうイベントに参加するのも刺激的でいいだろう」

「……今後はこういう業務が増える、という意味ですか?」

「いやいや。今日はたまたまさ。地元がすぐそこなんでね。昔から協力させてもらっているんだ」


 新会社の設立にあたって、どうしてまた都内を離れて狭山丘陵と荒川に挟まれたこんな武蔵野台地の果てを選定したのかと常々不思議に思っていたが、ようやく腑に落ちた。社長の郷里だったか。


「この辺りはまだまだ自然も豊かだし、働くには悪くない場所だろう。考えてくれたかね?」

「……そうですね」


 私はポツンと地面に取り残された一枚のクヌギの葉に視線を落とす。

 冬枯れを迎える前に風の力で振り落とされたのか、まだ青みが残っていた。しかしながらじきに他の枯葉同様、土色に還ってしまうのだろう。

 そうして跡形もなく、姿を消してしまうに違いない。


「一度落ちた葉は、もう二度と枝に還る事なんてできないのでしょうし。その戻るべき木すらも失われてしまったのでは……ましてや再び花を咲かせるなんて、夢のまた夢なのでしょうね」

「うまい!」


 私の話を聞いているのかいないのか、西尾社長は突然隣で叫び声をあげた。


「君、食べてごらんなさい。このねっとりとした食感! やっぱり所沢の里芋は格別だ。人参もびっくりするぐらい味が濃いんだよ」


 促され、気が進まないながらも里芋を一欠け口に含む。私には、違いはわからない。どうという事もない普通の里芋だ。


「そうなのでしょうね。これだけ畑が多いのだから、さぞかし美味しい作物が育つのでしょう」

「そう思うかね?」


 待ってましたとばかりに、西尾社長は目を輝かせた。


「この辺りは江戸時代中期ぐらいまでは、せいぜいが家畜の餌を求める原野でしかなかったんだ。開墾が進んで農業が始まったのはそれ以降、せいぜい三百年も前の話でしかないんだよ。今こうして美味しい作物が育つのも、くず掃きのような地道な努力の甲斐あってのものなんだ」

「くず掃きが、野菜に?」

「ああ。こうして近くのヤマから集められた落ち葉で堆肥が作られ、畑の土壌改良に使われる。その積み重ねが、火山灰に覆われた関東ローム層の痩せた荒野を、美味しい作物を生み出す肥沃な農地に生まれ変わらせたんだ」


 西尾社長は得意げに箸で人参をつまみ上げた。

 実際に今回集めた落ち葉からも堆肥を作り、近隣の農家に使ってもらうらしい。てっきり集めた落ち葉で子どもを遊ばせて終わりかと思っていたが、そうではなかったようだ。


「僕はね、新会社もそういうものでありたいと思っている。この何もない武蔵野の土地に、新規事業という、それまでのうちの会社では考えられなかったような色とりどりの花を咲かせ、様々な作物を次々と実らせる事のできるような場を作りたい。そのためには君のように、知識や経験を積んできた人材が必要不可欠なんだ。今後は我が社の未来に向けて、豊かな土壌作りから取り組んでもらいたい」


 まるでひとり言のように夢中でまくしたてた後、西尾社長は照れたように豚汁をすすった。

 私も返す言葉に窮し、人参を頬張る。さっきとは違い、鼻孔を抜ける強い土の風味を感じた。


「……つまり社長は、私に肥やしになれ、というのですね」

「それも悪くはないだろう。いずれは沢山の花や作物が生い茂る畑だ。自分一人で咲くよりも、何倍も見応えがある」


 西尾社長は一人で結論づけて呵呵大笑した。

 私にはその姿が何倍も大きく見えた。常に業界をリードし続ける秘密の一端が、顔を覗かせたように思えた。


「否定はしないのですね」


 私が苦笑すると、西尾社長は悪戯が見つかった子供のようににやりとほくそ笑んだ。


「ひとつ前向きに考えてみてはくれんかね。君の今後の人生にとっても、決して悪い話ではないはずだ」

「即答は致しかねます。一度、妻とも話し合ってみますので」


 西尾社長はポンと私の肩を叩き、立ち上がった。その足で、子どもたちがはしゃぐ落ち葉プールへと向かっていく。


「あ、西じいだ!」


 西尾社長に気づいた子供たちが、歓声を上げて落ち葉をバサバサと舞い上げた。


「こらっ、やめなさいっ! これっ!」


 口では抵抗しながらも、西尾社長はまんざらでもない様子だった。次々と降り注ぐ落ち葉に包まれ、小柄な西尾社長の姿はあっという間に見えなくなる。

 森の中はいつの間にか顔を出した太陽の柔らかな日差しに包まれていた。

 朝露に濡れたフデリンドウの芽が、そこかしこでキラキラと輝きを放っていた。


 春が、近づいているような気がした。

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落葉 柳成人(やなぎなるひと) @yanaginaruhito

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