また荒野で

寧々

第一節

 果ての見えない荒野の中を、我らは歩き続けている。


 死を得るその日までは、歩き続けねばならない。

 それが人間に課せられた唯一の宿命である。その宿命に賭す情熱、絶えず渇きを与える個々の情熱は、成功を収めるか、または恋を弄ぶ事でしか潤うことはなく、そしてそれすらもひとときのものである。



                 *



 澄田薫子すみだかおること出会ったのは、例年を超える寒冬を乗り越えた、桜が散り然る、俄かには信じがたいことに、まだ梅雨もきていない時分から、半袖姿が許されるような強烈な日差しに晒されていた頃のことだった。


 その時の私といえば、炬燵こたつやらヒーターやら、あるいはヒートテックやらセーターやら、あれやこれやを弄しながら、ようやく冬を乗り越え、いざ穏やかな春の風に迎え入れてもらおうと足早に日々を浪費していたというのに、いつの間にか自転車を漕いでいるだけで汗が頬を流れる、という奇々怪々な状況に辟易していて、これも地球温暖化の影響か、これも人間の進化の代償か、と、世界平和は遠いようだなあなどと、すっかり眼前に立ちふさがる無常に、嘆きの恨み節をぶつけ続けていた。



 それは家の中ではもちろんのこと、額の汗を拭いながら自転車の上で、同僚のいる職場の中で、すし詰め状態の電車の中で、ありとあらゆる場所でぶつぶつやっていたから、恐らくは相当不審がられていただろうと、後々になって気が付いた。


 後々にならないと気が付けない自分に私は、春の熱気と同じくらい辟易していたし、また何らかの特別性のようなものを感じていた。

 何らかの部分が分からないところにも、他にはない何かを自分は持っているのだと、自分は感覚派の人間なのだと、そうして自尊心を保ちながら毎日毎日、ただひたすらにそれを文章に変貌させていた。


 苦節十五年、読書三昧の夏休みを過ごしていた、ソーダの中の氷の音に浪漫ろまんを感じていたあの頃、私は雷にでも打たれたかのように、神から天啓を授かったかのように、ふと小説を書いてみようと思い立ち、それからまた、九年の歳月が経った今、その時の電流はまだ全身にめぐっている。


 神の言葉は覚えている。


 地中の奥底からゆっくりと進み、いつの日か大空を見上げてやるのだ。なんだあ、聞いていた話よりゃあ大した事ねえじゃねえか? 空って奴はよう! と傲岸不遜ごうがんふそんに笑ってやるために、私は不審がられようが、貶されようが、いちいちそんなことに構ってはやらない。すべては文章を書くために、すべては小説を書くために、私は生きている。


 さて、そんな私のしようもない決意表明は兎も角として、冒頭の話をしよう。こうして私が筆を執ったのは、いや、満を持して筆を執ったのは、この澄田薫子の話をしたいからだった。


 というよりは、澄田薫子と出会ってからの私の人生を話したい。それはもちろん文字通り特筆すべきことで(私のような弱卒の人生にとってはだが)これをしたためたならば必ずや傑作になるに違いないと、すべてことが終わったころに、ようやく筆を走らせた次第だった。

 言葉を繰り返す未熟さを許してほしい、そんなこんなで、私が澄田薫子と出会ったのはもちろん冒頭の通りなのだが、正確な場所はというと、当時私がアルバイトに励んでいた巨大チェーンの飲食店、つまりは職場だった。


 今から一年ほど前になる。

 三年ほど前に大学を中退し(中退した理由について、そりゃあ色々なあれこれがあった訳だけど、蛇足になるだろうから、一先ずは置いておこうと思う。私としては話したい事だらけなのだ。阿呆の軽音楽先輩、自称博愛主義者の淫乱眼鏡後輩等々、機会があれば書くこともあろう)兎に角私は唐突に職探しをしなければならない事情に追い込まれ、しかし、私には小説を書く宿命があったものだから、如何せん時間が何より大切だ。


 社畜になるつもりはなかったし、世間の目を借りて色々見て回ってみると、どこもかしこもブラック企業とやらが横行しており、自分に合うような条件がないものだから、最善の案として、アルバイトをすることにした。


 読者諸賢しょけんの慧眼には、もちろんそうは映ってはいないだろうが、一応弁明しておくと、私は正社員になることにしりごみをしたわけではないし、逃げたわけでもない。


 あくまで最善の案として、妙案としてその道を選び取ったのだ。


 お忘れなきようにしてもらいたい。でなければ、この一件について日永一日語らなければならなくなる。それはだれにとってもよろしくない。私も疲れるし、君らは眠くなる。貴重な一日を浪費したくはないのは、きっと世界中の誰もがそうなのだ。いや誰もではないだろうけど、特定の誰かを指すのは何やらよからぬ予感がするので、差し控えさせて頂くとする。


 えっと、何だったか、そうだ、澄田薫子と出会った場所の話だった。


 そう、そんな経緯で辿り着いたアルバイト先の職場で、彼女も同じくアルバイトとして面接に現れ、禿げ頭デブ店長と向かい合うこと数十分、無事に採用が決定された。


 その面接の時私は非番で、彼女のことは次の日に「新しい高校生の女の子が入るらしい」と同僚に聞き知った。


 正直なところ何の期待もしていなかった。


 当然一概には言えないのだが、特に高校生はアルバイトというものを軽んじている節があるから、私が働き始めた頃から、入ってきた高校生はおよそ十五人に上るが、今その中で残っているのは二人だけである。


 同僚の新しい、という言葉からも分かる通りに、入れ替えが激しく、折角仕事のあれこれを懇切丁寧に教えたところで、平気で電話すらないまま来なくなるし(いわゆるトぶ、というやつだ。どういう漢字が使われるのかは知らない。飛ぶ? 跳ぶ? まあ何でもいいが)なまじ居残っても、やはりなめているので、ちゃんと仕事をしない。


 たまたまそういうたぐいばかりだったのかもしれないが、これでは期待しろという方が酷である。


 私にとっても、その高校生にとっても。だから、その新しい高校生、つまり澄田薫子にも別に期待はしていなかった。


 また来て、程なく辞めていく。私は私で小説を書くために日々妄想に励んでいたものだから、期待していない以前に、気にもしていなかった。同僚には、ふうん、くらいの生返事だった。


 ところが、澄田薫子が初めて出勤してきた時のことは、すべてが終わった今も高性能なカメラで撮ったかのように、鮮明に記憶している。


 つながるフィルムの一枚一枚が、脳の中をゆっくりと流れ、今にもエンドロールが聞こえてきそうな始末だった。それくらいに私は美化していて、しかし、当時の私は特に傲慢ごうまんが極まった時期で、素直にそれを認めることが出来なかった。もちろん、初日で彼女のアルバイトに対する姿勢などは分かる筈もなかったから、私や同僚たちが、彼女の、まあキザな言い方をするのならば、澄田薫子の虜になってしまったのは、第一印象なのだから、当然その容姿にあった。



 端的に言うと、可愛かったのだ。


 美しいというのとは違う。可愛い、だ。この可愛いという言葉が一番似合う女性は、きっと世の中を歩き回っても、澄田薫子の他には見つけられないだろう。芸能人とは違う、何というのだろう、素朴な可愛さ、というか、顔立ちが極めて整っているという訳ではなく、いやもちろん顔立ちも整っているのだが、それ以上に、雰囲気に含まれる可愛さというものが彼女にはあった。


 それは仕草や言葉遣いからくるのかもしれないし、天性のものなのかもしれない。兎に角、人を魅了する何かを持っているのは間違いがなかった。私は彼女のそれを読者諸賢に伝えたいのだ。

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