第三楽章 秘書・天使時代

第21話 秘書エブリンの日常、そして聖女の裏

 朝の訪れと同時に、エブリンは自室からレムダルト第四天使の下へと歩いていく。

 あの一夜から戻って眠れたのは3時間ほどで、まだ眠気の残る頭に喝を入れながらも、彼女は冷えた廊下にヒールの音を響かせていた。


 グレゴリーは行方不明としてこの宮殿に知れ渡ることになるだろう。

 アリバイ工作や情報操作をどうするかを考えてはいたが、アルマンドがオレがなんとかしてやると連絡を送ってきたので、エブリンはそのまま彼女に任せることにした。


 エブリンを閉じ込めたあの空間は、アルマンドがリフォームし使うとのことで、その件も任せることに。

 性格に難はあるものの、彼女の能力の高さには頭が上がらないエブリンだった。

 

(さて、今日から秘書として頑張らないとッ!) 


 エブリンはレムダルトの部屋へと赴き、輝かんばかりの微笑みを以て彼へ挨拶をする。


「おはようございますレムダルト様。本日よりレムダルト様の秘書を勤めさせていただきます、エブリンです」


「うん、おはようエブリン。いやぁ嬉しいよ。今日からエブリンと一緒に仕事ができるんだな!」


 レムダルトは少年のような屈託のない笑みを向ける。

 皇帝とは正反対ともとれる印象で、まさに好青年ともいうべき若者だ。


「はい、よろしくお願いいたします」


 明るく優しく、正義感も強い。

 まるで絵に描いたような性格の持ち主でである。


 その性格からか部下からの信頼も厚く、本物の天使のような慈悲深さで国民からも慕われているのだ。

 魔術においても伝説的な実力を持ち、なおかつ性格も良し。

 誰がどう見ても非の打ちどころがない人物である。 


 だが、異母兄である皇帝のやりかたに内心疑問を抱きながらも、それでも忠義を尽くそうと理想と現実の間で板挟みになっていた。


 そんな心境をエブリンは把握していた。


 男の持つ心の葛藤につけいる方法は、幼少時アルマンドから指導を受けている。

 焦らずじっくりとレムダルトの心の中に自分という存在を溶け込ませていくのだ。


 レムダルトの曇った心に、エブリンという一種のよりどころを作り上げる。

 秘書になる前に彼に近づいたのも、その前準備でもあるのだ。

 すでに良好な関係状態にある今、レムダルトを陥落させるのは時間の問題でもある。


「それではレムダルト様。本日のご予定を……────」


「あぁ、今日は確か書類仕事と……」


 まずは秘書としての仕事をこなし、レムダルトを支える。

 書類仕事は勿論、レムダルト直轄の部隊の管理や日々の細々とした予定。

 数々のハードワークをともにしながら、エブリンとレムダルトは同じ時間をともにしてきた。


 お互い歳が近いということで、兄妹か恋人同士にも見えるという声も上がってきている。

 部下にそのことを聞かれるたびに、レムダルトは顔を赤くしそういった関係ではないということを必死に否定していた。


 エブリンから見ても思わず可愛らしさを感じてしまうほどの魅力は、実に好都合な特性だ。

 

(へぇ意外ね。結構色んな娘に声かけたりするからもしかしたらと思ったけど……かなりの奥手なんだ)


 調べてみると、確かにそういった浮いた話は見られなかった。

 さらに過去の経歴を調べてみたが、小さいころは親からの愛情は一切なかったようだ。


 母親にも父である前の皇帝にも愛されなかったが、異母兄である現皇帝からは優しくされ、今に至るとのこと。

 

(異母兄(こうてい)にだけ愛されたレムダルト。そんな環境でよくもまぁあんな良い子ちゃんに育ったわね)


 こういった情報から、エブリンは今後の立ち回りを考えていく。

 秘書として活躍することもそうだが、最終的に天使にならなくてはならない。


 天使とは皇帝の懐刀的存在。

 皇帝に最も近しい魔術師集団のひとりであると同時に、皇帝への強力な刃だ。


 そのための準備をする。

 芸術家が長い月日をかけて作品に魂を吹き込むように、自分もまた復讐に魂を吹き込むのだと。


 ここからが一番重要な部分だ。

 職人のような繊細な手腕が必要になる。

 まずはレムダルトとの距離を今以上に縮めること。


 それこそ、本当の恋仲になってしまうほどに。

 エブリンにはレムダルトを騙す知恵と覚悟はすでに用意している。

 そのとおりに動けばいいのだ。


 エブリンはレムダルトに就いたその日から、まずは彼の懐柔に全力を注ぐ。

 

「あぁレムダルト様。そのような仕事は私にお任せください」


「そ、そうか。じゃあ任せるよ。俺は例のヤツを……」


「あの件でしたら、すでに私が終わらせておきました。レムダルト様はどうぞこちらでごくつろぎを」


「え、いや、さすがにエブリンに任すのはなぁあ」


「いえいえ、秘書として当然ですから。あ、今お茶とお茶菓子をご用意しますね」


「あ、ありがとうエブリン。いや、凄いな……俺なんかよりずっと仕事できるんだな」


「大変恐れ多いことです」


 エブリンはレムダルトの仕事の負担を減らすだけでなく、彼に心の平穏をもたらしていった。

 最初はレムダルト自身この雰囲気に慣れず、身を粉にして働いていないと落ち着かない様子だったが、エブリンのお陰で心に余裕が生まれてくる。


 エブリンの甲斐甲斐しい働きと細やかな気配りに、レムダルトは心惹かれていく。

 秘書としてきた彼女をひとりの女性として意識し始めたのか、エブリンといるとずっとソワソワとするよにもなった。


 ここまでエブリンの計画通り。

 軽いスキンシップなどは普通に行い、ともにソファーに座れば彼に身を寄せて温もりを与えるなど、一緒にいるときは肉体的な距離感も近くし、より意識させた。


 最早レムダルトの心を掴んだも同然のエブリンは、彼自身の知り得る情報や、人脈から得た情報などを今後の活動のために仕入れていく。

 天使という立場もあって、その情報の質はこれまで以上のものだ。


(これから仕事で会う予定の聖女ユナリアスはグリファス神父の復讐相手。グリファス神父の妹を毒殺した女。……なんだけど、までわかっちゃうんだから凄いものよね上層部の情報網っていうのは)


 グリファス神父の妹は確かに聖女として相応しい能力と品格を持ち合わせていたのだが、どうやらそこに権力が介入したらしい。

 その正体は天使の紅一点、第五天使の存在だ。


 第五天使とユナリアスは姉妹であり、姉である第五天使はなにがなんでも妹を聖女にしたかった。

 自分の妹が聖女という高位になれないなど、彼女のプライドが許さなかったらしい。


 裏工作のもと、ユナリアスが聖女になるよう仕向ける。

 無論、このことはユナリアスは勿論皇帝ですら不正を認識できていなかった。


 そのまま行けばユナリアスは見事聖女になれると思っていたのだが、ユナリアスの歪んだ正義への意識が暴走し、グリファス神父の妹を殺してしまった。

 それを知った第五天使は慌てて裏で事実隠ぺいを図り、何事もなかったかのように今日まで至る。


 どちらにしろ、グリファス神父の妹は聖女にはなれなかったのだ。


 だが、なれなかったとしてもきっと彼女に後悔はなかったはず。

 生きていれば本物の聖女のように優しい女性として、皆に認知されていただろう。


「────レムダルト様、そろそろ聖女様とのお約束の時間です」


「あぁ、行こう」


 ふたりは魔導大聖堂へと歩き出す。

 複雑に絡み合った欲望と穢れが、エブリンの復讐の意識をさらに高めていった。


 それにグリファス神父の情報も気になっていた。

 彼はエインセル守護術師のことを知っている。


 もしかしたら、聖女に出会えばわかるかもしれないと、エブリンは密かに心を躍らせた。

 聖なる役目の裏に隠された血と欲望の匂いが、エブリンの嗅覚をずっと刺激している。


(────……さぁ、これからの復讐はもっと過激になるわよ)

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