第6話 大人たちは資料室の薄暗闇で……

 アベルが行方不明になって施設内は騒然となった。

 教育者たちは脱走も視野に入れ捜索に当たったが、結局その足跡を見つけ出すことは叶わなず。


 施設の子供たちも心配そうにしていた。

 だが数日経つも見つからず、そのまま時間だけが無意味に過ぎていく。


 そんなある日のことだった。


「……これは、手紙? 誰からだ?」


 この施設の長にして教育者たちの実質的リーダーであるブラウンに一通の手紙が届く。

 差出人は不明、ただひとつ『S』の文字があるだけだ。


 簡素な紙には似合わないほどの達筆で、季節の花と共に届けられていた。

 実に洒落た贈り物だが文章の内容はそうはいかない。


 詩的でありつつも、どこか憎悪の滲んだ内容だ。

 そして添えられていた花の花言葉は『私はアナタを許さない』、だ。


「どうしたんですか施設長?」

 

 教育者のひとりが彼の持つ手紙を覗き見る。

 そこにはある指定の場所へ来るように、丁寧な挨拶を添えて書かれていた。


「Sと名乗る人物からの手紙で、しかもこの施設のあの場所を指定している……。今までこんなことはなかった。一体なんだ?」


「怪しいですね……上に報告しますか?」


「馬鹿な、こんなことで御上(おかみ)の手を煩(わずら)わせてみろ? 我々の管理能力を疑われるだろう。皇帝陛下は厳しい御方だ。下手をすれば厳罰を喰らうかもしれん。……ヘンリー、ロック、モーガン。私とともに来い。確かめてみるぞ」


 ブラウンは3人の教育者を引き連れて指定の場所へと向かう。

 その場所は教育者及び関係者以外立入禁止となっている部屋。


 資料室。

 ここには今までの運営の記録や子供たちのデータがたっぷりと詰まっている。

 

 特別な命令がない限り門外不出の情報の宝庫。

 教育者たちはその宝庫の門番の役割も果たしているのだ。


 扉の前で4人のしかめっ面が並ぶ。

 この中に誰かがいるのだ。


 手紙を送った"S"と名乗る存在。

 誰かのイタズラですめばそれでいいのだが、如何せんこの部屋の情報を知っているのはこの施設の大人とそれより階級が上の存在たちしかいない。


 


「行くぞ」


 ブラウンがやや呆れ気味にドアノブに手をかける。

 表情からは若干の疲れが見えた。


 余計な仕事を増やすなと言わんばかりに、苦い顔しながら先頭に立ち、鍵を開け資料室へと入る。

 残り3人も似たような表情で入っていった。


(鍵は開いていなかった……やはり誰かのイタズラか?)


 中は薄暗く、古い紙とインクの臭いが埃と混じって充満していた。

 とてもじゃないがこんな所に長時間も待つというモノ好きはいないだろうと思った矢先。


「おい……ヘンリー?」


 ふとモーガンが後ろを振り向く。

 彼の姿はなかった、代わりに扉が軋みながらゆっくりと閉じる音だけが響いた。


 一気に暗闇が押し寄せ、視界を奪われる。

 それにより残り3人の表情がより険しいものになり、岩のように強張った。


 本能的に身体の動きが止まる。

 もう一度ヘンリーの名を呼ぼうとするも、『それをしてはいけない』と脳がブレーキをかけた。


「ぶ、ブラウン施設長……」


「……灯りをつけなさい」


 ロックが魔術を行使し、資料室に光が宿った。

 なんの変哲もないこの一室が、まるで何千年も眠っていた遺跡かダンジョンのように思えてならない。


 いつもの場所ではない異形の空気。

 今の資料室の雰囲気はまさにそれだ。


 棚に規則正しく並んだ紙の束に巻物。

 どれもが明るく照らされているが、どうしても生じる影がなんとも不気味だ。


 まるでその影の奥底から何者かこちらを覗き込んでいるかのように。


「誰だ……? ここにいるんだろう」


「施設長、あれを……ッ!」


 この部屋に立ち込める暗雲のような気配に、ブラウンは警戒の意を払いながら叫ぶ。

 そんなときモーガンが奥の隅になにかを見つけた。


 ヘンリーだ。

 壁を向くようにしてうずくまっている。


「おいヘンリーなにやって……うわぁッ!!」


 モーガンが歩み寄り彼の肩を掴んだと同時に、その身体はダラリと後ろへと転がる。

 後ろを向いていたから気づかなかったが、彼はすでに絶命していた。


 顔には無数の陶器の破片と、羽ペンの先端が刺さっている。

 舌は斬り裂かれ、目玉は抉られ、眼窩(がんか)と口には色とりどりの綺麗な花がねじ込まれていた。


「ひ、酷い……ッ!」


 ブラウンが手で口を覆う。

 得体の知れない恐怖が彼らを襲った。


「ロック! 施設長! すぐにここを出て上層部に……ロック?」


 モーガンが振り向くとまたもや1人が消えていた。

 さっきまでブラウンの傍にいた男がいない。


「なんだ……なにが起きている!?」


 ブラウンが後ろを向き、資料室を見渡す。

 気づけば自分達は資料室の奥にいて、出入り口から離れてしまっていた。


 ……謀られた!


「モーガン! すぐに逃げるぞ!!」


 彼に呼びかけるが返事はない。

 振り向けばやはり彼はいなくなっている。


 この資料室にいるのは彼と死体のヘンリー。

 そして『何者か』である。


 ロックがかけた魔術による灯りが段々消えていく。

 従軍経験のある彼は本能的に感じ取った。


 この光が消えれば自分も同じ目にあうだろうと。


 今度はブラウンが魔術で灯りを点け直す。

 先ほどよりさらに光が強く灯り、部屋の隅々まで行き届いた。


 あまりに強い光は保管してある資料の紙質に悪いとは思うが、四の五の言ってはいられない。


「誰だ! 出てこい!! これでも私は数々の戦場を駆け抜けた魔術師だ……そう簡単に倒せると思うなよ?」


 堪らずに叫び出すブラウン。

 額からにじみ出て顎や首筋まで流れる汗が、今自分が思っている以上の危機に立たされているということを如実に物語っている。


 老いて新兵のときに感じたあの恐怖を味わっているのだ。

 何者かに狙われているあの感覚。


 それが化け物か人間か。


「誰だ……誰なんだ……?」


 一歩踏み出たそのとき、少女の笑い声が小さく響いた。

 綺麗な花畑で笑っているような楽し気なそれは、この状況においてはさらに悍ましい。


「手紙を受け取った……なぜ我々を狙う? このような悪魔の所業が許されると思っているのか!?」


 虚しく響いた後、返事の代わりに乾いた靴音が物陰から響いてくる。

 歩幅や靴音の軽さからして大人ではない。


 子供がこの中に入り込んだのか? あり得ない!!


 更に警戒の色を強めたブラウンはその方向を睨む。

 そして現れた黒幕に心底驚いた。


 なぜなら、今子供たちの中で教育者が絶対の信頼を置いている存在だったのだから。


「こんにちわ」


 ────エブリン。

 彼女はいつものように微笑むもその瞳にはあの子供らしい輝きは存在しなかった。

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