東京ミッドナイトハンター

吉岡直輝

第一話 クリスマス・ミッドナイトハンター


   第一話  『クリスマス・ミッドナイトハンター』

                               吉岡直輝     


「なんなんだよ、くそっ、くそっ、ちくしょーーー‼︎‼︎ 今夜は降誕祭前夜クリスマスイブなんだぞーーーーッ‼︎‼︎」

 聖夜の東京にむなしき叫びを響き渡せなければ己の気も済まないと、近藤マイクは全力疾走しながらやけくそに考えていた。

 街中の道路や建物に血液のように流れるエネルギーチューブが発する青い光に照らされないように、彼は裏路地や川沿いに沿って進みながら、追手の姿をちらっと見つめる。

「いい加減大人しくしろや黒人の兄ちゃん‼︎ その中の荷物の意味がわかっとんのか⁉︎」

「うるせぇよジャパニーズギャング‼︎ テメェらが金をケチるから悪いんだろうが‼︎」

「たかが運び屋風情が……生きて帰すと思うなよ‼︎」

 拡声器を通じてやかましいエセ関西弁が彼の耳につんざくように響き渡り、思わず文句を返してしまった。相手は車の窓から乗り出して話しかけているわけだし、追い詰められるのも時間の問題だろうが。

 そしてふと、ヤクザ達からの声で自分が必死に持っているアタッシュケースに目がいった。中身はぎっしりと詰まっているというよりかは、一つ重めの『何か』が収まっているだけで、ただそれが現ナマではなく別の意味ですごく金になるものだということは理解していた。

(とんでもねぇ額の仕事だと思って受けたのに……中身がしょぼかったらマジで川に捨てるぞ……‼︎)

 だいたいどうして、アメリカ人の父と日本人の母を持つ自分にとって大切だったクリスマスのイブに自分は命すら狙われているんだろうと、理解しているはずなのに納得できない理不尽さを感じていた。

 かつての下町にスラムが発展するようになってから十数年。幼い頃から貧民街の中で育ってきた近藤マイクにとって、『二十五年前の事件』からかつてないほどの変革をとげた東京で一山稼ぐことは夢のまた夢であった。

 関東圏の若者ですら地方や名古屋、京都に就職先を求めるようになってから、ますますこの『青いエネルギーチューブ』が年中無休でビカビカと街中を流れ、見渡す限り超高層ビルしかないような東京は、すっかり人の住めない要塞都市のようになってしまったというのに、彼はこの街に住み働くことを諦めようとしなかった。

 その結果は、今現在彼が置かれている状況で説明がつく。

(あともうちょっとで……あともうちょっとの金で、親父の手術が受けられそうだったのに……‼︎)

 いくら善人気取りとしていても、彼のやったことが犯罪に手を染めたことに変わりはない。そうしてアウトローの世界で生きていこうとする内に、欲望の渦に巻き込まれてこんな結末になるのがオチだ。

 別に神様を信じているわけではないが、無宗教でもない自分にとって大切だったクリスマスイブを恋人の日としか考えていないような日本で、近藤マイクは死ぬわけにもいかなかった。

「あぁクソ‼︎ もう放っておいてくれーーーッ‼︎‼︎」

 キャリーケースを送り主に返すことも、取引先に渡すこともできず、結局彼は逃げてどうにかやり過ごすしかない負け犬の選択肢を取った。

 そうして彼は新宿付近では珍しい、やけに古びたレンガ模様の商業ビルへ駆け込むように転がり、どこか隠れられそうな場所を探した。しかしビルはすでに廃墟と化しており、しらみつぶしに上に上がっていくと屋上にたどり着いていた。古いといっても高さは十階以上もあり、飛び移れる建物はさらにこれよりも高いところにある。

 息を切らしてようやく屋上に上がったときには、いくつかの車の音がすでに聞こえていた。完全電気自動車のくせにわざと音を出しながら走るのだから、今はその機械音が死神の到来を予感させているようにも感じて背筋が凍った。

「くそっ……‼︎ どうする、どうする……‼︎」

 焦っても既に屋上に立っていれば逃げ場もなく、下からドタドタという人の足音がいくつも響き渡り、大勢の黒服達があっという間に近藤を取り囲んでしまった。

「そこまでやで、兄ちゃん。大人しく手をあげてもらおうか」

 黒服たちの中から、先程の拡声器で彼を呼びかけていたヤクザの若頭のような、センスの悪い色とやたら小綺麗な背広の男が現れた。

「……なんとか撒けるかなと思ったんだがな」

「撒けたとしてもワシらは絶対にお前さんの居場所を突き止めたる。地獄の底まで追い詰めてな」

「何が地獄の底だよ、こんな訳のわからない代物を運ばされた俺の気持ちにもなってみろっての……! なんなんだよコイツは⁉︎」

「お前さんの知る必要のないもんや、それは。さっさと箱を渡せ。命だけは見逃したる。中身の安全が最優先なんでな」

 周りの黒服達が一斉に拳銃を向け近寄ってくる。その中の一人が彼の前で手を差し出し、キャリーケースを渡せと訴えかけてくる。

「くっ……」

 どうせ渡した瞬間蜂の巣だとわかっていて、目を瞑りながら箱を前に突き出す。

 すると、だ。

「……?」

 黒服と近藤の間に、わずかな時間が流れた。

 箱をすぐに受け取らない黒服を不思議に思い、ゆっくりと目を開けると、男が星も見えないような夜空を見上げて顔をしかめていた。

「何だ、あれは……」

 男が目線の先で空を駆ける何かを見つめているのを見て、近藤もその目線を追う。

 すると、街中を血管のように巡るエネルギーチューブの光とは違う『真っ赤な光』が、もやもやと彼らの遥か上を飛んでいるように見えた。

 光は消して巨大ではない。飛行機でもない。鳥でもない。

 その光は、徐々にこちらに向かって接近してきているような、むしろ墜落してくるようにも見えた。

「まず……ッ⁉︎」

 近藤マイクが一歩足を下げた時にはもう遅かった。


 バゴッッッッッッ‼︎‼︎


 凄まじい衝撃と共に光がビルの屋上を叩いた瞬間、彼と周囲の黒服たちはいとも簡単に吹き飛ばされ、屋上を転がった。

 意識は数秒間真っ黒に塗りつぶされ、持っていたキャリーケースを手放してしまったことに気づいた時、彼はあまりにも静寂すぎる光景を忘れて、キャリーケースを目線だけで探していた。

(だ、ぁ……何が起きた……箱は……どうなった……?)

 床にいつくもの亀裂が入り、白煙と共に今にも崩れそうになる中で、赤い光を放つ何かがその姿を表していた。

「……っ⁉︎」

 それは人だった。

 全身を黒くビッチリとした、それでも重厚感のあるような装甲着、パワードスーツのようなもので覆い、背中から飛び出た円柱の形をしたような不思議な筒から、例の赤い光が血管のようにスーツの全身を走っていた。

 そしてなにより、近藤マイクの視界から離れなかったのは、スーツの光に照らされているたおやかな黒髪の背中姿だった。

(女……⁉︎ 落ちてきたのは、コイツ……なのか⁉︎)

 筋骨隆々とも、スタイル抜群とも言える女の後ろ姿は、首だけを起き上がらせてようやく辺りを見渡した近藤の目に、恐怖とも感動とも違う絶大なる存在感を放っていた。

「箱の運び屋と、広域指定暴力団福本会の取引現場を目撃。これよりミッションを開始する」

 機械のような抑揚のない淡々とした、しかし独り言のような生きた人間の声と共に、女はエセ関西弁の小綺麗な背広の男に近寄った。

「き、貴様……⁉︎ 『ミッドナイトハンター』か⁉︎」

「『新機動警察』と呼んでもらおうか。言っておくが、罪状についていちいち話している暇はない」

「……ッ‼︎ ここまで来て、箱を渡すものか‼︎」

 背広の男がやれ、と大声で叫ぶと、当たりを転がっていた黒服達が一斉に女に向かって警棒やらナイフやら素手で突っ込んでいった。後ろには拳銃を構える者もいて、今にも引き金を引きそうな手が震えていた。

 しかし、女が黒服達にしたことはとても単純なことだった。


 掌打。


 背中から流れる赤い血のような光を右手に集めたと思えば、ただそれを地面に打ちつけただけで、迫り来る黒服たちを一掃したのだ。

 無慈悲な叫びと悲鳴と共に彼らが宙を舞い、床を転がり、後退りしていく様を見向きもせず、女は再び球体のような塊を、銃を構える黒服達に発射した。

(な、なんなんだよ……アイツ……⁉︎)

 近藤は、結局首を起こしたまま目の前の景色に腰を抜かし立ち上がることができず、しかし女の放つそれがエネルギーの塊ではないかと何故か察していた。

 女を一言で言ってしまえば、まるでサイボーグのような。

 人間の常識を超越した、人ならざる者、人外。

 いくら『二十五年前の事件から東京は変わった』と言っても、それはこの街のエネルギー源と、そこに生きる人たちと、あとは数十年進んだテクノロジー程度だと思っていたが、これはあまりにも規格外だった。

 結局、全ての黒服達を沈黙させ、小綺麗な背広の男を残すのみとなったサイボーグは、手のひらを男に向け、彼の命を握っているかのような余裕を生んだ声を、またしても淡々と述べた。

「もう降参か? 大人しく縄にかかるのが懸命だぞ」

「く……ッ‼︎ 同じ箱の中身を持つ者同士、惹かれ合ったというのか……‼︎」

「ごちゃごちゃと無駄口を叩くな。ここで尋問されたいのか?」

「言っておくが、貴様らにアレは扱えないぞ……石ころをお前のような哀れな奴にしか扱えないような——」

「話は署で伺おう」

 グギッッ‼︎ と、鈍い骨の音が響き渡ったのは、サイボーグが男の足を踏みつけたからだった。男が激痛に叫び悶えながら倒れ込んでいると、奴が近藤の方に顔を向け、一歩踏み出していた。

 後退りしかできなくなっていた彼がずるずると後ろに下がると、偶然にもキャリーケースの感触を手が掴んでいた。それを迷わず掴み取り、そして近くに転がっていた黒服から警棒を抜き出すと、彼はようやく立ち上がり、これも迷わず突きつけた。

「……運び屋だな? 今度はお前が相手か?」

「なっ……あ……ぐ、あ……」

 訳の分からない衝撃はあっという間に恐怖へと変わり、声も出せなくなってしまった。

 こんなところで、自分は殺されてしまうのだろうか? なにか警察とかいう言葉も聞こえたが、どうみてもアレはお巡りのすることじゃない。第一アレはロボットかサイボーグか何かか? とにかく人間じゃない。まともじゃない。でも金の為には引けない。こんな物を手にしてしまった時点で、大人しく引けるわけがない。

 諦めの悪いどうでもいい思考がいつまでもグルグルと回り、何も動こうとしない近藤にサイボーグが呆れかけていた。

 その時だった。


 バババババババッッッッ‼︎‼︎‼︎


 危うく近藤マイクが蜂の巣にならなかったのは、サイボーグが彼の首根っこを引っ張り、彼女の後方へ投げ捨てたからだ。

 またしても地面を転がるが、今度は意識を失わずに目の前の光景を直視できた。

 そこには。

「……せっ、戦闘ヘリ⁉︎」

 二門の機関銃とミサイルポットを装着し、簡単に言えばドローンをそのまま巨大化させたような見た目を持ちながら、異次元の機動性と高速飛行を可能にしたSDX-T52。通称、『アサルトドローン』。

 最新鋭の軍用ヘリが、突然彼らを襲撃したのだ。

「やっはろーん♪」

 蜂蜜のような甘ったるい声が近藤マイクの後ろから響いたと思えば、彼の手に持っていたキャリーケースが、突然現れた真っ赤なフラメンコドレスを纏った十代半ばの少女の手に奪われていた。

「だっ、な……はぁ⁉︎」

「お前達……‼︎」

「はいはい、ストップだよ〜」

 フラメンコドレスの少女の隣には、いつの間にか長身に金髪と何故か執事姿をした男と、同じくらいの身長に腕や足に刻まれたいつもの手術痕を晒すような薄着の女が立っており、二人が近藤に銃と刃先の長いナイフを押し当てていた。

「動いたらグッサリだよ? この人、運び屋さんなんだよね〜? キミにとっては重要な手掛かりなんじゃないのかな〜? ミッドナイトランナーの『佐城シオリ』ちゃん?」

 それが彼女の名前なのだろうか。近藤マイクの目から、サイボーグの顔が少し歪んだように見えた。

「……箱の前ではたとえお前達であろうと、私は躊躇するつもりはない」

「ちょ、お前⁉︎」

「アハっ♪ サイテーだね☆」

 サイボーグはなんの躊躇いもなく近藤を見捨てた。思わず彼もツッコミたくなってしまったが、もはや彼の命に用無しと言われてしまえば、あとはただ殺されるだけだ。笑い事ではない。

「……でも、気をつけてるのはこの子だけでいいのかにゃ?」

 サイボーグが後ろを振り向くと、そこには先ほど彼らを襲った軍用ヘリがいつの間に消えては再び姿を表し、彼女に向かってミサイルを数発発射した。

 咄嗟にサイボーグが赤い光線のようなものを発射してミサイルを迎撃するが、距離があまりにも近すぎた。爆発は彼女に直撃したかのように爆風を撒き散らし、黒煙と共に近藤の視界も半分以上が埋まってしまった。

 サイボーグが再び掌打を叩きつけ黒煙を吹き飛ばした頃には、フラメンコドレスの少女も、軍用ヘリも、キャリーケースも跡形も無く、くたばった黒服達が屋上の上でいつくか転がっているだけだった。

「オーマイガー……」

 鮮やかな敵の引き際をただただ呆然と母国語で驚くことしかできなかた近藤マイクの元に、サイボーグの女が無言で近寄ってきた。

「貴様……っ‼︎ なんてことをしてくれたんだ‼︎」

 グワっ、と紙屑を拾うような軽さで胸ぐらを掴まれてしまった近藤の耳に、冷たい機械のようだったサイボーグの叫びが響き渡り、初めて彼女に生きた人間の熱を感じていた。

「っ……‼︎ 俺は、金が欲しかっただけで……。アレがなんなのか、俺は何も知らなかったんだよ……‼︎」

 それが今の彼にできる最大限の言い訳だったのは仕方なかったのかもしれないが、サイボーグは今にも怒りで彼を握りつぶしてしまいそうな程に顔を歪ませ、それから呟くように声を漏らした。

「ふざけるな……っ‼︎ アレがまた誰かの手に渡ってしまえば……私と同じことが繰り返されてしまうというのに……‼︎」

「な、なんだって……⁇」

 彼女の言葉が上手く聞き取れず、思わず聞き返してしまったような気軽さを持った彼の声に、彼女はついにはち切れたように叫んだ。


「アレは‼︎ 貴様がもっていたあの箱の中身は‼︎ 『私の胸に埋め込まれている石』と、『二十五年前に皇居に落ちた隕石』と同じ物なんだよッッッ‼︎‼︎‼︎」


「うそ、だろ……⁉︎」

 彼女の背中から発する赤い光を見て、近藤マイクは思い出した。

 それの光が、二十五年前に東京都区部を青いエネルギーチューブが血管のように張り巡らされたサイバーシティ『ニュートーキョー』に変えてしまった、変革と進化と、彼らに数奇な運命をもたらした忌まわしき隕石を同じ光だったことを。


 二〇五〇年の東京に、ミッドナイトハンター達が今駆け出そうとしていた。


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東京ミッドナイトハンター 吉岡直輝 @YossyZN6

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