第2話

「どうもー」

 番人の目の前を、黒いニット帽を被りサングラスをして、大きなリュックを背負った知らない脳内こびとが、さも当然の顔もしないくらい自然に通り過ぎて行った。

「え」

 人影に気付いてはいるものの、番人はその姿を目で追うことしか出来ずにいる。それもそのはず、不測の事態など起こるつもりでいないのだから、実際に起こったときにどうすることも出来ない。

「あ、あの!」番人が必死に絞り出した声に、その脳内こびとは一度足を止め、振り向く。そして、軽く会釈をして図書館の中に入って行った。

 先程までは、オロオロしていた番人も、流石にまずいと思ったのか、ロッキングチェアからひょいと飛び降り後を追った。


 彼が図書館の中に入ると、黒ずくめの脳内こびとは、一冊の本に手を掛けていた。

「わ!泥棒だ!」誰に聞かせるでもなく、番人はそう叫んだ。

「わあ!」

 図書館中に響き渡った声に驚いた黒ずくめの手から、するりと本が落ちる。 

 番人はそれをサッと拾い上げ、胸の前に抱え込んだ。そして、本棚の元あった位置に戻すべく、泥棒からやや距離を取り、本棚への最短距離となるポジションをとる。泥棒も泥棒で、取られたのが余程悔しかったのか、背後にある数多の別の本の存在をすっかり忘れて、目の前の一冊のみに集中している。

しばし無言のにらみ合いが続く。

 図書館に体育館のような、床がキュッと擦れる音が響く。

 泥棒が右足を出せば、番人は左足を一歩引き、泥棒がその足を引けば番人も同じだけ一歩前に出る。

 奪おうとする者と守る者の、バスケットボールとゴールを本と本棚に変えたようなワンオンワンが始まる。せわしなく動き回る二人。

 突然、「あ」と泥棒が声を上げる。

「ん?」一瞬、気を抜いた隙に番人の手からサッと本が抜かれた。

「ああ!」

「よっし!」泥棒は奪った本をしげしげと眺めて、「ラーメン屋のバイト中に声が裏返った記憶かあ」と、満足そう。

「んー?あれー?」番人は、突然間延びした大きな声でそう言った。「そんな題名の本あったかなー」

「え?あるけど」眉をひそめる泥棒の声が少し苛立つ。

「ちょっと見せて貰ってもいい?」番人は気にも留めず、彼と彼の手に持つ本に近づく。そして、「はい」と片手で差し出された、無防備すぎるその本をひょいと、両手で奪い返した。

「ああ!ずるいぞ!」

「はは!作戦勝ちだ!」

「返せよ!」

「それはこっちが少し前に言うはずだった台詞だ!」

 番人は、無事手元に戻った“ラーメン屋のバイト中に声が裏返った記憶”を片手で頭の上で意気揚々と掲げる。

「隙だらけだな」

「ああ!」

 平和ボケの弊害だ。

 緊張感など番人が保てるはずもない。

 “ラーメン屋でバイト中に声が裏返った記憶”は再び泥棒の手元へ戻った。

 再び始まるワンオンワン。

 先程の取る取られる取り返すを繰り返し、今度の戦いを制したのは泥棒。二人は向き合い、ただただ大きく息を切らしている。

そして、同じタイミングで「はあ」と息をついた。

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