第41話

「モルダー先生、プリントを集めておきましたわ」


「お、ありがとな。悪いな。最近時間がなくてよ。本当は俺が集めないといけねぇんだけど」


「先生はお忙しいですもの。これくらい大した事ありませんから、いつでもお申し付け下さい。他にお手伝い出来る事はありますか?」


「オリヴィアに聞いて良いか分からないんだけど、アイザックの事でちょっと悩んでてな」


「なんでも聞いて下さいまし。アイザック様の事なら、大抵分かりますわ」


笑顔で請け負うと、先生は複雑そうな顔をなさいました。


「……その、オリヴィアは本当にもうアイザックの事はいいのか?」


「むしろ重荷である王妃にならなくて良いなんてラッキーですわ。先生のおかげで王家の秘密は学んでおりませんでしたから自由になれます。あの時先生が来て下さらなかったら、今頃わたくしは殺されていたでしょう。本当に感謝しておりますわ」


「あの時、俺を引っ張って行ったのはエドワードだ。感謝するならエドワードに礼を言ってやってくれ」


「承知しました。すぐにお礼をしておきますわ」


エドワードは何が好きかしら。この間、わたくしがずっと探してる本の話題で盛り上がったのよね。あれは貴重な本で、サイモンも入手は難しいと言っていたから諦めてる。発行部数が極端に少なくて高価だから市場に出回る事はないだろう。王妃になれば読めるよとエドワードが揶揄うから、それなら一生読まなくて良いわって言ったら笑われた。最近、エドワードはよく笑うようになったわ。


この間たくさん本を貰ったお礼に焼き菓子とハンカチをプレゼントしたんだけど、2人ともびっくりするくらい喜んでくれた。マーティンは、ハンカチを部屋に飾っているらしい。今はこれくらいしかお礼が出来ないけど、頑張って稼いで恩返ししたいわ。


また菓子やハンカチじゃかぶるし、アクセサリーは婚約者じゃないと贈れないし……なら、わたくしもエドワードの好きそうな本にしようかしら。完璧ではないにしろ、エドワードの蔵書は大体分かる。新刊にしないと、すぐにエドワードが入手してしまいそうね。今日新刊の本がいくつか届くからエドワードが好きそうなものを見繕ってプレゼントしましょう。エドワードは新刊の本は半月程待ってから買う事が多いから、多分持ってない……筈。


ラッピングは、手持ちの布とリボンで充分ね。


「ああ、エドワードも喜ぶ」


「それで、先生はアイザック様の何をお知りになりたいのですか?」


「アイザック、無理してんじゃねぇか」


「してるでしょうね」


「だよな。多少の無理は仕方ねぇんだけどよ、限界を超えてんじゃねぇかと思ってな……。ほとんど寝てないと思うんだ。このままだと倒れちまう」


「それは心配ですね。では、無理矢理休んで頂きましょう」


「無理矢理って言ってもな……俺も何度も休めって言ったよ。けど、休まないんだ。誰が言ってもひたすら働いてるらしい。宰相様達も心配してる」


「アイザック様は、今はとても充実なさってるのでしょうね。あの方は良くも悪くも真っ直ぐなお方です。いくら周りがお止めしても無駄でしょうね」


「そうか……。どうしたもんか……」


「ご安心下さいまし。良い方法がありますわ。お仕事の都合を確認して、休んでも問題ない時に決行致しましょう。ロザリー様のご協力が必要ですから、お願いしておきますわね」


「分かった。ありがとう。それにしても、オリヴィアは本当に吹っ切れたんだな」


「ええ、むしろなんであんなにアイザック様に固執していたのか分かりませんわ。そんな所が、うまくいかなかった理由でしょうね」


「貴族は政略結婚がほとんどだから、オリヴィアの態度は正しいさ。アイザックの方が子どもだっただけだ」


「そう言って頂けると心が軽くなりますわ。わたくしアイザック様が羨ましいんです。ロザリー様と心から愛し合っているお姿が素敵ですもの。あ、本当に、全く、一片たりとも未練はありませんからご安心下さいまし」


モルダー先生は、急にお腹を抱えて笑い出してしまわれた。


「あ……ああ、分かってる。オリヴィアの周りにはもっと良い男がたくさんいるもんな」


「……?」


「分かってなさそうだな。あいつらも大変だな。オリヴィアは好きな男は居ないのか?」


「婚約解消したばかりですから好きな殿方はおりませんわ。エドワードやマーティンは、気を遣って婚約するかって言ってくれますけど……父に勘当されて貴族でなくなる予定ですからお断り致しましたの」


そう言うと、モルダー先生は涙を流して笑い出した。


「くくっ……そ、そうか……。オリヴィアはあまり結婚したくなさそうだもんな」


「さすが先生! そうなんです。わたくし結婚は懲り懲りですわ。父や母のようになりたくありませんもの」


「確かに……貴族の鎖でオリヴィアを縛るのは勿体無いな」


「貴族は夫を支える貞淑な妻を求めますからね」


「その代わり、夫は全力で妻を守る。俺の父も、そうだった。偉そうに言ったけど、うちは学園を守る為に爵位があるだけだからな。オリヴィアやエドワードのような高位貴族はもっと厳格だから夫婦生活は大変だろうなと思う」


「そうなんですね。全力でご夫人をお守りになるなんて、とっても素晴らしいですわ」


「オリヴィアは、違う考えだろうけどな」


「先生に隠し事は出来ませんわね。確かに、わたくしは守られているだけなんて嫌ですわ。今は心から愛する方はおりませんけど、もし……もしも次に愛する方が出来たら……わたくしが全力でお守りしたいですし、守って貰いたいですわ。一方的な関係なんて嫌です。お互い支え合いたいです。こんな考え、貴族として一般的ではありませんわよね。だからわたくしは平民になりたいのですわ」


「確かに、平民の夫婦は互いに支え合って生きているからな。夫は妻を支え、妻は夫に従うものではない。夫を尻に敷く女性も多いし、それで夫婦が上手くいってるならそれで良い。ロザリーが王妃になれば、この国も変わるかも知れないな。俺はお互い支え合うのも良いと思うぞ。貴族の中でも、表に出してないだけで支え合って上手くやってる夫婦も多い。実は俺の母も平民だったんだ。だから、家では父より母が強かったな。表向きは取り繕っていたけどな」


「そうなのですか?」


「ああ、母も貴族の考えに慣れるのは苦労していたよ。とても仲の良い夫婦だった。だから、2人同時に亡くなったのは良かったのだろうな。どちらかが死んだら、残された方も死んでしまいそうだなと言われていたからな。本当は、まだまだ教わりたい事があったのだが」


先生が理事長になられたのは、前任の理事長先生が事故で急死したからだ。


「モルダー先生は、わたくしが知る中で最高の先生です」


「俺にとっては父が最高の教師だ。俺は、父を超える事は出来ないだろう」


「モルダー先生は素晴らしい先生だと思いますけど、マナー講師のリリアン先生の立ち振る舞いはモルダー先生よりも優雅ですわ。ミシェル先生の語彙力は国でも5本の指に入るとエドワードが言っておりました。他にも、突出した知識や技術をお持ちの先生が学園には多数いらっしゃいます。モルダー先生のお父様がいかに素晴らしい先生でも、リリアン先生より優雅でミシェル先生より語彙力がおありになったのでしょうか? 想像でしかありませんが、モルダー先生のお父様にも苦手な事はあったのでは?」


「父はなんでも出来た。俺は……まだまだなんだ」


「お父様を目標になさるのは賛成ですけど、壁にしてしまうのは勿体無いですわよ。なんでも出来る方なんておられません。先生は生きて、これからも成長なさるのですから、いずれお父様を超えるに違いありませんわ。だって、モルダー先生は最高の先生ですもの」


「ありがとう。オリヴィア。すまない、生徒の前で弱音を吐くなんて情けない姿を見せた。どうか忘れてくれ」


「誰にも言いませんから、心に留めさせて下さいまし。先生のように素晴らしい方でも弱音を吐くのなら、上手くいかない時にもなんとか頑張れそうですもの」


「そんな……ものか?」


「ええ、完璧な方も素敵ですけど人間なんですもの。不完全で当たり前です。なんでも出来るって顔をしてるウィルだって、苦手な事はあるんですから。先生の悩むお姿は、教師としてはよろしくないのでしょうけど、人としては温かみを感じてホッと致しますわ」


そう言うと、モルダー先生は真っ赤な顔で俯かれてしまわれた。


「そうか……ありがとうオリヴィア」

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