第10話【エドワード視点】

「だいぶ顔色が良くなったね」


放課後、オリヴィアを訪ねるとずいぶん元気になったようだ。良かった。本当に良かった。


「ありがとう。心配かけてごめんなさい。明日はちゃんと働くわ」


こんな状況でも、オリヴィアは仕事の心配をしている。


「オリヴィア様は学生なのですから、仕事はあくまでお手伝いです。倒れるまで頑張る必要はありません。今はお休み下さい」


国の命運を握っている男、サイモンがオリヴィアを労わる。


「そうですよ。食事もあまりなさっておられないでしょう? パン粥をお持ちしました。先生の許可は取ってありますから、どうぞお召し上がり下さい」


学園始まって以来の天才だと名高いウィルは、いつも冷たい顔をしている。こんな優しい顔も出来るんだな。


2人とも、まるで真綿に包むようにオリヴィアを大切にしているのが分かる。オリヴィアも、2人に気を許している。アイザックに見せてやりたいよ。冷たいと蔑んでいるオリヴィアは、こんなにも優しい顔をするんだとね。


だけど、アイザックの前ではこんな顔は絶対にしないだろうな。


「嬉しい。わたくし、パン粥が大好きなの」


花が咲いたように笑うオリヴィア。サイモンもウィルも、頬が赤くなっている。

今朝もあんな可愛らしい顔でお願いするもんだから、すっかりアイザックは悪者だ。ちょっとだけ、ざまぁみろと思う僕は性格が悪いな。


大切な婚約者を守る為に、婚約者の想い人を害さないようにとみんなに懇願したオリヴィア。いつも冷静なオリヴィアが大きな声で目を潤ませながら頼む姿はとても美しく、庇護欲を刺激する。


オリヴィアの望み通り、あのロザリーという男爵令嬢は無事だ。オリヴィアの行動によって、次の王妃は彼女だろうと考えた一部の貴族達からチヤホヤされている。面白くない貴族達も多いが、オリヴィアがあれだけ懇願するのだからと誰もロザリーに手を出そうとはしていない。


オリヴィアは、王妃を諦めるつもりなのだろうか。あんなにアイザックが好きだと言っていたのに。


そんな事を考えていたら、ウィルが小さな小瓶を出してきた。


「存じております。お疲れでしょうし、蜂蜜もお持ちしましたよ」


「蜂蜜も大好きよ。ありがとう。ウィル」


そんな事、僕だって知ってる。

オリヴィアは、ケーキではなく蜂蜜やミルクが好きで、薔薇ではなく鈴蘭が好き。


アイザックは、いつもオリヴィアに贈るのは同じケーキ。同じ薔薇だ。


初めて贈った時に喜んだからという理由はあるが、好きな男から貰ったものならなんでも嬉しいに決まってるだろう。


僕なら、もっとオリヴィアが喜ぶ物をあげられるのにと何度悔んだか分からない。もっとオリヴィアの好きな物を考えろとアイザックに言っても、これが一番喜ぶからと譲らなかった。単に考えるのが面倒なだけだろう。オリヴィアはアイザックから渡された物なら花一輪でも喜ぶからって怠けすぎだ。


「オリヴィア様のお好きな物はすぐにでも取り寄せますよ。以前仰っていたクッキーがもうすぐ入荷します。またお持ちしましょうか?」


「それって食用花が飾ってあるクッキーの事?」


「そうです。入手困難な品ですが、ウィルのおかげで再現に成功したんです」


「食える期間が短いのならこっちで作れば良いと言っただけだ」


「職人の手配はウィルがしてくれただろう?」


「手先が器用なヤツを知っていたからな」


「それって、もしかして……」


嬉しそうに話していたオリヴィアが、僕とマーティンに気がついて押し黙る。


「また、今度聞かせて」


オリヴィアの言葉に優しく頷くサイモンとウィル。


……僕達には聞かせられない話をこの2人とはするんだな。


オリヴィアは、ウィルが渡した蜂蜜を疑いなくかけて美味しそうにパン粥を食べている。そんなにウィルを信頼しているんだね。


感じた事のないこの感情は、なんだ?


いつも冷たい2人がこんなにオリヴィアを慕っていたなんて知らなかった。ウィルに至っては、深夜に寮に忍び込むなんて……。オリヴィアも当たり前に受け入れていた。ウィルとオリヴィアは親しいのだな。だが、恋仲というわけではなさそうだ。


ウィルはいつの間にオリヴィアと仲良くなったのだろう。サイモンは分かる。オリヴィアはウォーターハウス商会の救いの女神だからね。


だが、ウィルは平民。親もいないし、貧民街で育ったと聞いた。あまりに賢いので教会の神父の勧めで特待生試験を受けたら、満点で合格したそうだ。


僕もウィルの事は入学するまで知らなかったし、いくら街に視察に行くとはいえ貴族のオリヴィアとウィルに接点はない。オリヴィアの視察は、馬車から街を覗くだけ。貧民街で暮らすウィルと出会ったとは思えない。


だけど、この親しさはおかしい。


オリヴィアは入学してから1週間しか学園に通えていない。その間も、ゆっくり友人と親交を深める暇なんてなかった。放課後は城に行き仕事をこなし、深夜に寮に帰る暮らしだった。そのうち僕らは学園に帰れなくなった。


見兼ねた理事長先生が働きかけて下さって、僕達は学園に戻る事が出来た。一足先に学園に戻ったオリヴィアが倒れたと聞いた時は、今すぐ駆けつけたかった。


だが、オリヴィアの仕事を残しておけば彼女は気にして休めない。だから、彼女の仕事を片付ける事を優先させた。先生から学園の生徒が手伝いたいと言っていると連絡があり、希望した生徒のリストにウィルの名を見つけた時は、これでなんとかなるとホッとしたものだった。


ウィルが仕事を手伝うと言い出したのも、オリヴィアの為なのだろう。


昨日までは、彼が手伝ってくれるなら安心だと思っていた。


だけど、今は嫌な気持ちだ。


ウィルは賢く、要領も良い。彼が居れば僕やオリヴィアは楽になる。それは分かっている。だけど、一緒に仕事をすれば、こんな風にウィルに笑いかけるオリヴィアを見る事になる。


嫌だ。オリヴィアと仕事をするのは僕だけであってほしい。


感じた事のない感情に支配されそうになる。


僕は宰相になる。こんな事で冷静さを失ってはいけない。だけど……穏やかに笑うオリヴィアを見ていると、どうしようもなく胸が苦しい。

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