第15話 賭けのおかげ
桃代は、鞄に目をやる仕種を見せた。
「ようし、じゃ、明日の昼御飯、おごってやる。学食で、好きな物を頼め」
「デザート付きね」
「欲張りめ、また太るぞ」
「あら、もう負ける気?」
「ご冗談を。デザートもオーケー」
「乗った。で、何で勝負するの? 女と男で、有利不利があるような勝負じゃないでしょうね」
「こっちで決めていいか?」
「どうぞ。無茶な勝負じゃない限り、受けて立つから」
桃代の態度には自信が溢れている。
「後悔するなよ」
津村も負けじと言う。そして室内を見回し、やがて、
「あのアンケート用紙を入れてもらう箱」
と、問題の箱を指さしながら、津村は言った。
「どうかした、それが?」
「今まで、何人かの人がアンケートを書いてくれたよな。その人数は、さて、偶数か奇数か――こういう勝負は?」
笑みを浮かべる津村。我ながら面白い賭けだ、と自負しているのだろうか。
「……数えていたんじゃないでしょうね?」
「疑い深いな。片山さん、先に選びなよ。偶数か奇数か」
「それならいいわ。……偶数にする」
「じゃ、俺、奇数ね」
言うとすぐ、津村は箱を取りに走った。すぐに引き返してくる。
「公平を期すため、縁川さんに数えてもらおう」
津村の言葉に、恵美は桃代と顔を見合わせてから、箱のふたを開けた。
「一、二、三……」
小さく声に出しながら、ゆっくり数えていく恵美。
ふたの切り込みが小さいためか、箱の中のアンケート用紙はどれも、何重かに折り畳まれている。その一枚一枚を丁寧に広げ、確かに記入されていることを確かめてから、箱の横に置く。
さほど多くなかったので、作業はすぐに終わった。
「……十五。奇数だわ」
「俺の勝ちね」
恵美の言葉に、津村の言葉が重なる。
「……仕方ないなぁ。お客、二人組ばかり目に着いたから、偶数だと思ったのに……。いいわよ、行っても」
桃代は悔しそうだ。
「ありがとー。では、遠慮なく。――あ」
出て行こうとする途中で、足を止める津村。
「縁川さん、よかったら一緒に来ない?」
「わ、私は、桃代と」
戸惑いながら、津村と桃代を交互に見やる。
「本当に、俺の代わりにいることないんだから。このままじゃ、十二時半まで動けないよ。折角、祭をやってるのに」
文化祭も、祭と言えば祭だ。
「いいわよぅ、恵美。いってらっしゃい。あたし、心が広ーいんだから」
「モモー」
「ユキも来るんだから、いいよ、ほんとに。ただし、十二時十分まで。お弁当、ここで一緒に食べるんだからね」
「……ありがとう」
友人の気配りに感謝。深くお辞儀し、わずかに先を行く津村を追いかける。
「ごゆっくり」
桃代の声が、かすかに聞こえた。
廊下に出てから、状況が普通でないと、恵美は気が付いた。
(学校で、男子と二人、並んで歩くなんて)
たまに、好奇の視線で見られている……ような気がする。意識過剰かもしれない。
「どこか、早く見たいところ、あるの?」
「え? いえ、特にない」
急に話を振られ、どぎまぎしてしまう。
「そう。それなら、俺の行きたいところでいいよね」
「うん。――どこ?」
前を歩く津村は、すぐに返答した。
「図書部の展示」
図書部となると、園田部長と顔を合わせちゃう。恵美はそんなことを思い浮かべながら、話を続ける。
「……やっぱり、未知の物語を聞きたいから?」
「ま、そういうこと」
「――あの、ごめん。悦子さんと会わせる話、なくなっちゃって」
不意に思い出された。ために、深い考えもなしに、とにかく謝ってしまう。
「そんな、今になって、また謝られたって。縁川さんのせいじゃないんだ。亡くなられたのは、残念だけど……」
今度は、津村が戸惑う番のようだ。
「だけど、来年は受験生になっちゃうのよ、私達。映画を撮りたくても、漫画を描きたくても、多分、できないわ。そうなる前に、一度、本格的にやってみたいって、いつか言ってたから」
「そりゃまあ。遊びで、ごく短いのなら、描いたことあるんだけど」
津村がそう答えたところで、図書部の展示がされている部屋――図書室の前に到着。時間帯もあるだろうが、閑散としている。
「入っていってよー」
園田の声がした。呼び込みのつもりなのだろうが、抑揚がないのでおかしく聞こえる。園田自身の姿は見えないが、どうやら、貸し出しのための受け付けカウンターの方で、ごそごそと何かやっているらしい。
他にお客がいないのは、ちょっと……。そう、恵美が躊躇している内に、津村が入ってしまった。園田も顔を上げ、気付いたようだ。
「あれれ、縁川さん」
先に、恵美に声をかけてきた。
「受け付け、僕が引き受けると言ったのに」
「あの、私じゃなくて」
恵美はやや言い淀みながら、津村の方を手で示す。
「……津村君、だったかな?」
「過去形で言われなくても、今でも俺は津村光彦ですけど……名前、どうして知っているんですか? 俺、言った覚え、ないんですが」
やや訝しむ様子の津村。
「うん、確かにない。だけど、津村君は今年はともかく、一年のとき、よく本を借りていただろ? それで覚えてしまったんだ」
カウンターから出てきて、にこにこしている園田。どことなしに、疲れているようにも見えた。
自分が美術部と二股をしたからかも――恵美は、少しだけ心配になった。
「なるほど。それで、先輩の方は?」
「僕の名前? 園田
やりとりを見ていた恵美は、改めて思った。部長って、やっぱり、ちょっと変わり者……。
「いいですよ。それより、この有り様は? 何だか、がらんとしていますね」
「人手不足のせいで、ちょっとね。抜けてたんだな。何しろ、図書部の部員は現在、僕と縁川さんの他は、一年の女子が一人だけ」
恵美は、園田がこちらに視線を向けるのが分かった。
「縁川さん。何を忘れていたと思う?」
「忘れてた? 何か大事なことですか?」
さっぱり分からない恵美は、いささか慌てて聞き返した。
「その様子だと、気が付いていないな。ポスターだよ」
「あ……」
口に手を当てる恵美。すっかり忘れていた。美術部で、ポスター作りの現場を見ていたのに、図書部の方では気が回らなかった。恐らく、常に絵を描いている美術部でポスターときても、印象が薄かったせいだろう。
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