かれらは、

衣谷一

彼女は、崩れ落ちた

 おそらくは、もっとも激しい感情の渦に飲み込まれている。


 私だとか、彼女だとか、見ず知らずの赤の他人が、というレベルではなかった。皆が皆、紙面に大きく掲載された文言に等しく支配されていた。一つだった。


 王都からはるか離れた田舎町。王都からも遠ければ、国境沿いからも遠いという中途半端な田舎。そんな田舎にもたらされる情報はどれもが中古品である。新聞だって、二日前に王都で発行されたものである。


 新聞に書かれた言葉、それが渦の中心にあった。


 ――勇者、魔王と相討ち、辛くも討伐に成功。


 言葉に触れた反応は様々だった。


 歓喜に狂い、朝だというのに宿屋の前で酒をあおぐ男ども。


 商機をにらみ、露店を立てて稼ぎに勤しむ者たち。


 無邪気な子供の問いかけに身をかがめて答えているらしい母親。


 屋内、屋外関わらずにひざまずいて、宛もなく祈りを捧げている老若男女。


 賭け事に負けたと嘆いて、酒をあおる者たち。


 賭け事に勝ったと喜び、やはり酒をあおる者たち。腕を回す先の男はきっと一文無しである。


 目をまんまるにして、私たちの方を凝視する人たち。


 視線が集まる先では一人の女の子が地面に座り込んでわんわんと泣き叫んでいる。赤ん坊の全力であるかのようなそれは言葉の形を失っていた。耳をつんざくほどの音、思わず足を止めていた人たちも普通でない状況に気づいて気まずそうに立ち去ってゆく。


 喜びとも違う何かを感じ取ったのであろう。異常といえるほどである。激烈な感情のほとばしりには背後にいる行商人も困った顔をしているに違いない。


 いや、彼は新聞の代金を払ってほしいだけだ。


 彼女がひったくるように奪い、全力で握りしめてしまったがためにくしゃくしゃになってしまった新聞。まだ代金を支払っていなかった。私が代わりに建て替えればよいだけのものだが、しばらくの間は待ってもらわなければならなかった。


 この世界で唯一、彼女の断末魔に似たそれを感情として理解できるのは私だけだった。


 受け止められるのも私だけだった。


 彼女からの責めを受けなければならないのも私だけだった。


 こうなることを予期していたのも私だけだった。


 分かっていたのに何もしなかったのも――


 ――私だった。

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