短編シナリオ
@TUKISHIRO3
葛藤の構造・真の敵対者
最終課題 『五月晴れのメロディー』
登場人物
永谷 さつき : 小学三年性。自分の特技や長所を見つけられずにいる。失敗を恐れながらリコーダーの練習をする。母親思い。
永谷 優香 : さつきの母親。シングルマザー。浮気性の夫と離婚してから女手ひとりでさつきを育てている。
屋上の女性 : マンションの屋上にいる女性。夕方の屋上以外で見かける機会は少ない。
授業参観の日、学校
目の前の少年が気怠げに作文を読み上げる声に混じり、さつきの心音がどんどん大きくなってゆく。振り向けないでいる後ろには着飾った保護者に混じってきちっとしたスーツ姿のさつきの母親が立っている。十分ほどまえに母親が息を切らして教室に入ってきたのは、さつきも後ろを振り向いたから確認している。
これなら来ないでほしかった、と思いながらさつきはスカートを握りしめる。先ほどから足元をみて中ばかりで、机の上の作文用紙に目をやれないでいる。消しゴムを何度もかけた後のある汚い原稿用紙。
目の前の男の子が最後の作文用紙をめくり、全てを読み終える。保護者から、生徒から拍手が上がり、先生からも笑顔で「伊藤くんが素敵なパイロットになれたら先生も乗せてね」と冗談混じりの感想が飛ぶ。教室の空気が和むのと反比例して、不安の色が広がるさつき。
妙に軋んだ椅子の音と共にゆっくりと立ち上がり、震える手で作文用紙を握りしめる。背中にいくつもの視線を感じながらさつきはゆっくりと口を開けた。
放課後、自宅のリビング
ソファに座り子供向けテレビの再放送をぼぅっと眺めているさつき。僕もお兄さんみたいに歌って踊れるようになりた〜い! という着ぐるみの声。子供たちのはしゃぐ声がテレビの中から溢れてくる。
蓋の開きっぱなしになっているランドセルにはパンパンに教科書が入っていて、作文用紙はその隙間に埋もれるようにクシャクシャになっている。もう二度と、開くことはないだろう。
「さつきの夢がお母さんだなんて、知らなかったよ」
優香がコップに麦茶をつぐ音。母親がため息混じりにさつきに笑いかける。だって聞かれたことなんかないもん、母に聞こえないくらいの消え入りそうな声でさつきがいう。
「……さつきの前の席の男の子、すごかったねえ。パイロットになりたいって」
自分と比べられているような気がして、さつきはふいに泣きそうになる。どんな答えを書けば母が喜ぶか、それを考えて書いたつもりだった。
「さつきは、私みたいなお母さんにはなっちゃだめだよ」
返す言葉が思いつかなくて、机の上の自分のコップに手を伸ばす。飲んでいると指が滑ってしまう。ガシャン、というコップの割れる音に、洗い物をしていた優香はハッとした。さつきのスカートや床のカーペットに麦茶のしみが広がってゆく。
慌ててガラス片に触るさつき。「触んないで!」優香の罵声にも近い声に、さつきは拾い集めていたガラス片で指を切ってしまう。「痛っ……」さつきの指から血が流れる。それを見た優香はさらに「ああもう、なにやってんの!」と目の下の隈の目立つ顔で怒った。
さつきを突き飛ばすようにどかし、優香はガラス片を拾い集め床を拭き始める。「全く……」「なんでこんなことばっかり……」優香は、さつきの方をちらりとも見ようとしなかった。さつきは、泣きそうになるのを堪えながらランドセルをつかんで、少し小さいサンダルを履いて玄関を飛び出した。目の前には夕焼けがあって、蝉の声がする。玄関が閉じ、暗い空間とセミの音だけが残る。
マンション屋上、夕方
屋上で音楽の教科書を広げリコーダーを吹いているさつき。教科書の端に来週リコーダーテスト!と赤字で書き込みがしてある。『エーデルワイス』。有名で簡単な曲だけど、自分だけが音を外してしまったらどうしようという不安でうまく吹けないでいた。
笛を口元から外しハンカチで拭いていると、後ろから声がかかる。「終わった?」
慌てて後ろを振り返るさつき。背後にはいつからいたのか、綺麗な黒髪の女性がいた。知らない女性の訪れにさつきは萎縮する。
「ぶきっちょな音ね」と笑い女性はさつきの方へと近づいてくる。さつきをバカにするような意味はないのだろうが、からかうような言葉にさつきはさっと顔を赤くする。
「空は明るいけどもう六時よ?帰らないの?あなた何号室の子?」屋上の手すりからマンション前の景色を見ていると、授業参観帰りとおぼしき親子たちがいるのが見えた。彼らも、そろそろ帰る頃に見えた。
女性はさつきが家に帰るだろうと思って近づいてきたのだろうが、母親のことや女性のからかうような態度に、このまま大人しく帰ろうとは思えない。
「……君、名前は?」何も答えないさつきに、女性は質問を変えてくる。「さつきです」目を合わせずに答える。彼女は暗くなりつつある夕焼け空を見つめながら、そう、とだけ答えた。
「君は、帰りたくないんだ?」さつきが小さく頷く。さつきの暗い顔に、女性は苦い顔をした。
「わかるよ、私もそういう時あるもの……ずぅっとこのままの夕焼け空ならいいのにね」
さつきも同じように思っていたから、さっきよりも大きく頷く。ずっととは言わないけど、しばらくこのままで、気持ちを落ち着けたいと思った。
「さつきちゃんは五月生まれなの?」
「うん。五月の、雨の日に生まれたんだってお母さんが言ってた」
それから優香はさつきにこうも言った。お産がひどいザアザア降りの雨の日で、不安で仕方なかったのにお父さんは病院に来なかったの。だからあのとき決意した。私が、女手一人でもさつきを育てていこうと。あのとき、まだ小さなさつきの肩にかけられた優香の両手は、嫌な力強さがあった。
女性が口元に何かをあてる。両手で持っていたのはオカリナだった。すぅ、と息を吸って息を吹くように自然に音楽が流れ出す。リコーダーに少し似ているけど違う。素朴だけど綺麗な鳥の鳴き声のような音だった。軽快なのにどこか寂しげな音が、女性に似合っていた。
一通り吹き終わって、彼女は一つため息をついてから唇からオカリナを離した。オカリナの吹き口には赤い口紅がついていた。
「今の、なんの曲?」「雨の曲。いい曲だったでしょ?」
さつきが頷くと、女性はよかった、と言って笑った。
「……私がさっきまで吹いていた曲も吹ける?」
女性は頷く代わりに再び吹き口に唇をつけた。ゆるやかなテンポで流れるエーデルワイス。音楽は、セミの声をかき消すようにまっすぐとマンションの屋上から響き渡る。
「さつき!」
蝉の声もろとも掻き消すような大声にさつきは体を震わせる。振り返ると優香だった。気づけば、空には月が輝いている。もうすっかり夜だった。
優香は女性にはめもくれずにずかずかと近づいてきて「帰るよ!」と言ってさつきの手を強く掴む。優香は空いた方の手で教科書やリコーダーをランドセルに突っ込む。乱雑な手つきに、さつきは抵抗することも、何かをいうこともできない。ただ、また泣きそうになった。
「……またね」
屋上の扉を閉める寸前、女性がそう言って手を振る。暗い鉄骨階段を優香とさつきが下ってゆく。さつきの頭の中で、エーデルワイスの曲が流れ出す。ミー、ソ、レー、ドー、ソ、ファー……。
翌日、マンション屋上、夕方
再びリコーダーと教科書を持って訪れるさつき。上手く重い扉を開けないでいると、向こう側から女性が開けてくれる。
「また来たの?昨日ぶりね」
教科書を広げ、リコーダーを構えるさつきに女性が声をかける。
「ここ、お姉さんの場所?来ちゃいけない?」
「そうだったら、またねなんて言わないわ」
女性は今日はオカリナの代わりに缶チューハイを持っていた。
「まだ夕方なのにお酒?」
女性は缶をぐっと傾けて口元に流し込む、昨日のオカリナを吹いている姿とは別人のように見える。
「まあね。先に飲んでおくと仕事が楽になるのよ」
「どんなお仕事?」
「大人には色々あるのよ」
女性はさつきの頭を優しく撫でた。
「……私も女の子欲しいなあ。産むなら絶対に女の子がいい」
「どんな女の子が欲しいの?」
「え?どんなでも嬉しいわよ、娘のいる母親ってみんな楽しそうだもの」
マンション下、かけっこをしている少年二人。追いかけている方が足を滑らせて勢いよく転ぶ。慌てて少年の母親らしき人が駆け寄ってゆく。そんな光景を見て、男の子がいるお母さんは大変そう、と女性は笑う。
「うちのお母さんはきっとそうじゃないよ。きっと、娘がいたって幸せじゃない」
娘がいるから幸せじゃない。消え入りそうな声でそう付け足すさつき。
「そんなはずないわよ。昨日ああやって迎えに来てくれたじゃない」
屋上を流れる静寂。マンション下では子供が泣いている。さつきがリコーダーの吹き口に唇をあてる。楽譜をずっと見たまま吹くさつきを神妙な顔で見つめる女性。
繰り返し吹き続けるさつきのもとから、教科書をさっと拾いとる。
さつきのリコーダーの音がはたと止まる。
「返してください、それがないとふけない」
「本当に? さつきちゃん、ずっと練習してるんでしょう?一回くらい楽譜ナシでも吹いてみてよ」
「でも、でも……」
「来週テストって書いてあるじゃない。ほら、やってみせて」
緊張した顔持ちで吹き口に唇をあてるさつき。
息を吸い込んだ時、夕方のチャイムが流れ出してさつきのリコーダーの細い音をかき消した。
「今日はこれで帰ります!」
さつきは女性からひったくるように教科書を取って、屋上から駆け出した。
なっさけないなあ、と笑い手をふる女性。酒をまた一口飲んだ時、女性の履いていたズボンのポケットが震える。どこからか着信音。
さらに翌日、自宅、夕方
ただいま、と言って自宅の扉を開けるさつき。家の中は暗く、返事はない。重いランドセルを玄関に放って靴を脱ぐ。
優香はいつも夜遅くまで働いているから当たり前だった。朝、朝食を食べているときにパソコンのキーボードを叩いていることさえある。
あっためて食べてね、というメモと共にオムライスがおいてある。
屋上には行くなときつく叱られてから、母とはさらに口を聞かなくなった。朝早くて夜遅い、今まで顔を合わせられていたことの方が異様に思える。
どうせ一人なんだからいつ食べたって変わらない。冷蔵庫からオレンジジュースを出してコップに注ぎ、一気に飲み干す。
今日も屋上へ行こうと思い、ランドセルから音楽の教科書とリコーダーを取り出す。
話し相手のいないさつきにとって、屋上の女性は友人のような存在になりつつあった。
教科書の隙間から何かがするりと落ちる。
……数日前の作文用紙だった。ランドセルに突っ込む気にもなれなくて、さつきはそのまま教科書に挟んでおくことにした。
屋上へ向かうさつき。今日は扉が開いていた。誰かと電話をしている女性の後ろ姿、長い黒髪が揺れている。
近づいていくにつれて、雰囲気が普通ではないことに気づく。女性は泣いていた、そして怒っているようだった。
電話の相手も取り乱しているようで、知らないよ、お前がどうにかしろよ、など女性に冷たい言葉を放っているのが聞こえた。
引き返そう、と思った時女性が振り向く。
今までにないくらい、弱々しい顔をしていた。目元は涙でぐちゃぐちゃで、来ている服もシワでよれよれだった。
さつきの目には、どこか優香と重なって見えた。
屋上を出て、さつきは家に戻った。無音の部屋、蝉の声もしない。
どうしてか、家の中でリコーダーを吹こうという気にはなれなかった。
数日後、屋上
それから、屋上に行っても女性はいない日が続いた。もうリコーダーのテストは明日だった。
「もう、会いたくなくなっちゃったのかな」
あんなにも堂々としていた女性の弱々しい姿を思い出すと心苦しくなる。
リコーダーを吹き始める。毎日同じ曲を吹いていてもどうしてか飽きなかった。
楽器は得意じゃないのに、それでもさつきは楽しくなっていた。
失敗したらどうしよう、そればかり考えていたはずなのに。今は音を外しても、指がうまく動かなくても、自分の音が広がってゆくだけで楽しかった。
教科書の楽譜から目を離して、眩しい夕空に目をむける。もう頭の中で楽譜はできあhがっていて、考えずとも指が動いた。
より、遠くの空へ音が広がっていくような気がした。
女性が、どうしてあんなにも堂々とオカリナを吹けていたのか、どうして譜面を見ないで吹いてみろと言ったのか、ようやくさつきにもわかった気がした。
一通り吹き終えると、拍手の音が聞こえてくる。
「この数日だけで上手になったね」
女性はつっかけをはいて地味なワンピースを着ていた。どこか疲れたような印象を受ける。
「お姉さん……」
どんな言葉をかければいいのかわからないさつきに女性は笑いかける。
「よかったら、一緒に吹いてみない?」
女性の手にはしっかりとオカリナが握られていた。
エーデルワイスを吹く二人。夕日が沈んだ暗い空を向いて、二人はオカリナとリコーダーでエーデルワイスを演奏する。
「これならテスト、心配ないね」
「……お母さんにも、聞かせてあげたいな」
「いいじゃない、きっと喜ぶよ」
女性はどこか悲しそうな顔で頷く。
「あとね、私はお母さんみたいな立派なお母さんになりたいって、伝えるの」
「うん、うん。きっと喜ぶよ」
「……また、一緒に吹いてくれる?私ね、お姉さんみたいになりたい。たくさん演奏できるようになりたい」
「……私なんかで、いいの?私、そんなにできた人間じゃないんだけどなあ」
「お姉さんはすごいよ、音楽の先生みたいだもん」
「そっか。じゃあ、さつきちゃんに教えられるように、沢山練習しなくちゃね」
「だから、明日もまた会える?」
「うん、勿論」
夕方のチャイムが鳴り終わって、さつきは急いで自宅に戻った。
ただいま、と声を張り上げると珍しく優香の姿があった。さつきの体が少しこわばる。 胸に抱えていた教科書から、作文用紙がまた落ちた。
そうだ、話さなくちゃ。
さつきは、リコーダーを吹く時のように大きく息を吸いこむ。
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