とめられなかった羅針盤

夕日ゆうや

希望の羅針盤

 星を読む人がいる。

 360度海水の反射光が照らす液体は、人の方向感覚を狂わせる。

 だが、羅針盤と星読みは違う。羅針盤は常に北を示し、星読みは夜の星を見て方角を決める。

 どちらも航海士にとっては必要な存在だ。

 しかしここにある羅針盤は少し違う。これは宝へと導く、羅針盤。

 いわく、一昼夜にして国を買い占めるほどの財産を手にし、王となった者。

 曰く、一夜にして伴侶を得た者。

 曰く、望んだ夢を叶えた者。

 すべてがこの羅針盤によって満たされる。

 道を歩けば、良きコネを、海を渡れば秘宝を、陸を渡れば砂金を。

 この羅針盤は全ての人類の欲求を満たすとされている。

 その名も、とめられない羅針盤。

 人の飽くなき欲望に身を任せた羅針盤。

 全てを狂わせる羅針盤。

 汚れた血を浴びて、久しい。

 羅針盤を巡り、様々な人間が武器を手にし、争い続けていた。

 数万の軍勢がぶつかり合い、互いを傷つけ、やがて死んでいく。

 幸せとはなんだろうか?

 俺は考える。

 みな羅針盤に目移りするが、俺にはそれほどの幸せを望んではいない。

 生きている。それだけいいのだ。

 そんな俺が羅針盤を手にすると、回転を始め、止まることがない。

 欲求がない俺にとっては宝の持ち腐れだ。

 だが、俺に勝てる人はいない。

 何せ、俺は人間強化されているからな。

 この血肉はすでに魔物の臓器を移植されている――戦うためだけに生まれた人間――強化型魔人種。

 皮膚を、臓器を、眼球を、いじくり回された

 強化型魔人種二号。

 戦うための人形。

 俺の求めているものを示すことができないのか、羅針盤はとまらない。くるくると回転をし続ける。

 今日もまた、人が襲ってきたが、強化された俺にはかなうまい。

 だが、人類にとってこの羅針盤は魅力的なのだろう。

 欲求があるから、人間は進歩してきた――そういう哲学者も多いが、俺はそれが人の飽くなき欲望の果てと思う。

 俺はもう長く生きられない。

 それは人によってではなく、身のうちから生じるものだ。

 もう、俺は長くない。

 だから星読みの少年に羅針盤を授けた。

「こんなものいらないです」

 星読みの少年が手にしても、羅針盤は回り続ける。

「夢は自分で叶えるものですから」

 クスッと笑う星読みの少年。

 俺は目を丸くし、その少年の頭を撫でる。

「強いな。俺もそうなりたかったよ」

 そういって強化魔人は羅針盤を海に放り投げる。

 これでもう、この戦争も終わりだ。

「争いの種は消えましたね」

 星読みの少年はクスッと笑う。

「ああ」

「僕の望みは争いのない世界ですから、あの羅針盤は狂ったのでしょうね」

「……そういう考えもあるのか」

 つくづく驚かされる。

 純粋な人間には道しるべなど、いらないのかもしれない。

 とまらない羅針盤は、海の底に眠り続けるだろう。

 夢から覚めた人間は、どうなるのか?

 俺には分からない。

 ――戦うだけの人間に希望はないのだ。

 星読みの少年が灯台のように明るく見えた。

 それもまた、未来を照らす光。道しるべ。

 船にとっての灯台はそういった存在だ。

 だからこそ、星読みの少年は輝いて見えた。

 いつの日にか失った希望の火を、彼は灯しているのだ。

 俺もそうでありたいと願うようになった。欲望が生まれたのだ。


 羅針盤は止まった。

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とめられなかった羅針盤 夕日ゆうや @PT03wing

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