Novoice×Noface
鍵月魅争
第1話
話し声や笑い声、本来校内で使用禁止なはずのスマートフォンから鳴るリズムゲームの音や、流行中の韓国アイドルの曲で騒々しい授業開始前の教室。教室の端に座っている少女─片瀬初は誰とも話さずに、じっと分厚い本を読んでいた。
だいぶ読み込まれている少し古い本。ブックカバーを付けているが、そのブックカバーすら草臥れているのが目立っていた。
「ねぇ、片瀬さん」
腰ほどまである長髪をお下げにしている少女─浅田莉緒が近付いた。初は本から視線を上げ、莉緒の方を向いた。
「その本よく読んでるけど、面白い?」
初は少し悩むように首を傾げた後、こくりと頷いた。そして本に栞を挟み、ノートを取り出して文字を書き始めた。
『浅田さんも読んでみますか?』
さらさらとノートに書き込まれる文字は、速さの割に教科書の文字のように綺麗だった。文字を見た莉緒は苦笑いをして自分はいい、と言うように手をひらひらと振った。
「私はいいかな。あんまり分厚いと読む気力が10ページで終わりそうだから」
言い終わった直後、朝礼3分前のチャイムが鳴った。莉緒はじゃあね、と言い自分の席へ戻って行った。スマートフォンを操作していた音が徐々に消えていく。
初は莉緒の背中を見送った後、本とノートを机の中にしまった。筆箱は朝礼で使う時があるため右側に寄せた。
「先生来るぞー、席座っとけー」
学級委員長の蔵鳥新紀が大声を出す。そんな新紀も自分の席へ戻りながらだった。新紀と話していた宮下雪斗がお前もな、と野次を飛ばす。
「おーい、席に着けー。スマホつついてる人、知らないフリするからあと5秒で片付けろー」
担任の下條良樹が手に持ったファイルで音を鳴らせながら入ってくる。教壇に立つと5秒間のカウントを始めた。
「ごー」
「先生!あとちょっと待って!!まだクリアして…あぁぁぁぁ!!!」
「おーちょうど良かったなー桃井。よーん」
「先生これマジ盛れてね?」
「先生はマジ盛りより牛丼大盛りが好きだな。とっととしまえよ百々川。さーん」
「先生これ」
「これ提出期限先週だぞ芹田?えっと…よし、まる!にー」
「あれ?遠矢は?」
「遅刻だそうだ。いーち」
「先生ー今日何するんすか?」
「それを今から言うんだよ。分かったら席に着け。ぜーろ!全員着席したな?出席とるぞー」
1番から順番に名前を読み上げていく。呼ばれた生徒ははーい、と返事をしたり軽く頷いたり目線だけ向けたり、各々で反応が違っていた。
「よし、菱川以外居るな。はい、今日の授業は通常授業で明日も特に無し。あ、明日日本史の山本先生が出張だから自習だ。分かってるとは思うがスマホはつつくなよ」
「えー、別にいいじゃーん」
「今はカーテン閉めてるから大丈夫だが、ここの教室は教務室から1番見えやすいんだ。全員スマホ没収されたくないだろ?」
「確かにー」
「じゃあつつくなよー。それと今から席替えします!」
「うぇぇ!マジで!?」
「心の準備してないんだけど!」
「この前くじ引きしたろ?」
そう言うと前のホワイトボードにパソコンの画面を映した。新しい席順が大画面に映される。
「よっし始め!」
全員が立ち上がって椅子を机に乗せる。持ち上げたり引きずったりして新しい席に移動を始めた。初は場所が変わらないため、近くの席の菱川遠矢の机を動かした。
「全員移動し終わったな?今日の連絡は以上だ」
言い終わると下條は教室を出て行った。
自分の席に戻った初は早々に次の教科、現代文の準備を終わらせまた本を読み始めた。
隣の席になった雪斗は、新紀と話しながらじっと初の様子を見つめていた。朝礼前と同じ体勢で同じ本を読んでいる。
「どした?」
「ん?あぁ、片瀬さんさ、よく本読んでるじゃん?俺ら邪魔にならねぇかなって」
「今更かよ」
「なぁ片瀬さん」
読み始めてすぐ声をかけられた初は、若干ムッとしたがすぐに表情を変え首を傾げた。
「俺ら邪魔になってねぇ?大丈夫?」
またノートを取り出した初は、ペラペラと数ページ捲って既に書いてある文字を2人に見せた。ノートに横書きされた文字は何度も見せた事があるのか少ししわができている。
『大丈夫です』
「なら良かったよ。煩かったら言ってね?まぁ雪斗気付かないかもしれないけど」
新紀がそう言った瞬間、初の動きが止まる。しかし、2人は気付かず話を続けた。
「馬鹿にすんじゃねぇよ。流石に言われりゃ気付くわ」
「そうか?ガキの頃から言われても気付かないことあったろ?」
「言って10分の1くらいの確率だろ!」
「耳元で叫んだら気付くか?」
「気付くわ!…ん?」
声を荒らげた雪斗は、視界の端に入った初の異変に気付いて視線を新紀から初に移した。雪斗の様子を見て新紀も初を見た。
2人に映った初は、不安そうな表情で自身の首をさすっていた。首を震える手でさすっている。
「大丈夫か?」
表情は変わらないがこくりと頷いた。
「喉が痛いのか?」
ふるふると首を振った。そしてノートをまた数ページ捲り、2人に見せるように指さした。
『声が出ないんです』
「…え?」
「声が出ないって、場面緘黙?」
また首を振った。そして少し震える手で下のページの方を指さした。
『失声症、みたいなものです』
「しつこえしょう……どんな病気?」
「しっせいしょう、声が出なくなる病気。こんなんも読めないのか…」
「読めるわ!お前に手柄与えてやっただけだ!」
「失声症か…通りでいつも筆談なのか」
『すみません』
少し泣きそうな伏し目になってしまった初を見て、新紀が手をブンブン振った。
「ああ、気にしないで!会話成立出来てるし、しょうがない事だから!さ、大丈夫!」
『ありがとうございます』
初は少し深呼吸をして冷静を取り戻した。
「間ぁぁに合ったぁぁ!!ってねぇぇぇ!」
「うるっせえよ!遠矢!」
走りながら菱川遠矢が教室に飛び込む。近くで友人達とトランプをしていた和川洋人に同じ声量で注意されていた。
「2人ともうるせぇよ」
「皆さん朝から元気ですね〜」
「あ、はよっす」
「おはようございます」
柔らかい笑みと共に、後ろのドアから現代文の担当教員・頭楼菜月が入ってくる。軽く挨拶をして新紀と雪斗は自分の席に戻った。
「席替えしたんですか?」
「あ、分かる?そーだよぉ」
「ふふふ。席に戻ってくださいね、遅刻になりますよ」
「はぁい」
頭楼が声をかけ全員が席に戻って行く。初はノートをしまって前を向き直した。
「皆さん揃っているので、チャイムはまだですけど始めちゃいましょうか。倉鳥さん、お願いしますね」
「はい。起立!礼」
声量もテンポも揃わないお願いしますが響いた。初はペコリと頭を下げて席に座った。
「今日はいきなりですが、漢字の小テストをします」
「えーマジかよ!」
「聞いてねぇよそんなん!!」
「カンニングありですか?」
「時間、40分くらい時間下さい!」
突然の小テストに様々な人達が嘆く。
「今から5分くらい勉強する時間をとるので、今まで配ったプリントとかを使ってくださいね」
ホワイトボードに張り付いているタイマーを5分にセットして、スタートを押した。
ファイルからプリントを出して漢字の復習を始めた初を習って、雪斗もプリントを出した。
「うげっそう言えばサボってた…」
出した物は先生から渡された白紙のプリント。小テストに使うので解いておいてくださいね、と言われながら渡されていたが雪斗はすぐに忘れていた。
「新ちゃ〜ん見せて〜」
「頑張れ」
「無慈悲!」
「元はと言えばお前がサボったのが原因だろ」
「やる気なかったんだもん」
「なら仕方ないな」
「えっ!」
「自力で頑張れ」
「お前えぇぇぇぇ!」
「うるせぇ」
一蹴された雪斗は、拗ねたように机に突っ伏した。心配と煩さで2人のやり取りを眺めていた初は、プリントを雪斗に見せようとしていた。
「あ、教科書に載ってるか!」
自分で解決法を見つけた雪斗が、教科書の後ろのページにある漢字一覧表を見始めた。
初はほっとしてため息をついたが、残りの時間が10数秒なことに気付き今度は諦めたようにため息をついた。
「はい、終わりです。筆箱以外机の中に入れてくださいね」
「は、もう終わり…?」
絶望した表情の雪斗を流し目で見て、初は申し訳ない表情を浮かべた。だが、プリントが配られ始めたのを見ていつもの無表情に戻った。
「10問ほどですが長くとって10分程にします。行き渡りましたか?あ、1枚たりませんね」
理澄椿が手を挙げたのを見て、余っていたプリントを配る。完全に配り終わったのを見た頭楼は今度こそタイマーを10分に設定した。
「ではいきますね」
少しざわついていたクラスが途端に静まる。プリントに文字が書かれていく音だけが鳴った。
漢字が得意な初は開始3分程で終わったが、隣から聞こえる呻き声を気にしていた。
「やべぇ…マジでなんも分かんねぇ…」
そう小声で呟いた雪斗は、第1問目でつまづいていた。何も書いていないのか、筆跡すら無い。
「マジでなんだこれ…もうちょい簡単なやつにしろよ…」
隣の初にも聞こえない声で呟いた。だがその様子を見ていた初は、可哀想だと思いながら気にしないように努めた。
ようやく進み始めたが、3問目でまた手が止まった。そこまで難しい漢字では無かったが漢字が苦手な雪斗にとっては超難問でしかなかった。
雪斗が悩んでいても時間は進み、無情にもタイマーが終わりを告げた。ピーと鳴り響いた音を聞いた雪斗は諦めたように机に突っ伏した。
「では答えを前に映すので、隣の人とプリントを交換して丸つけをお願いしますね」
ホワイトボードに回答がパッと映された。雪斗が初の方を見る。目が合った初は自分のプリントを雪斗に差し出していた。
「あー、はい」
ほぼ白紙のプリントを初のプリントと交換する。受け取った初は赤ペンを出し丸つけをし始めた。
雪斗も赤ペンを出して丸つけを始める。ノートを見た時に見た丁寧な字で正解の文字を書いていた。
「はぁ…字上手いな…」
全ての問題に丸をつけて初に返す。初から受け取ったプリントは書けた2問は綺麗な丸が書かれていた。
「お、あってる!」
初の方を向いて屈託のない笑顔を見せた。マスクで目元しか見えないが、初には大きく口を開けている顔が容易に想像出来た。
「終わったら返してあげてくださいね。全員が終わったら次に進みますので、ゆっくりどうぞ」
そう言って頭楼はパソコンの前に座り、パワーポイントの準備をし始める。何人か終わったペアが出てきた。
それから数分後、全員の採点が終わり頭楼もパワーポイントの準備が終わった。
「はい。では今日はペア活動が中心になりますね。これ配るので隣の人と机をくっつけてください」
これ、と言って頭楼が配り始めたのは最初に単語が書かれたプリントだった。初と雪斗は周りに合わせて机を付けた。
「行きましたか?」
2人の机には、"睡眠"と書かれたプリント。名前を書く欄があり、先に雪斗が書いた。
「そのプリントに二字熟語が書かれていると思います。その文字の後ろの漢字の読みを使った単語を繋げていってください。熟語版しりとり、だと思っていただけたらいいかな?」
「せんせー俺そこまで熟語知らねぇんだけど」
「と、言う人が出てくると思ったので漢字辞典を持ってきています。2人で一冊でいいですか?…いいですね。どちらが来てください」
取りに行こうと初が立ち上がりかけたが、それより先に雪斗が立って辞典を取りに行く。
「片瀬さんこれでいい?」
雪斗が聞くと初はコクコクと頷いた。
「ではルールを説明しますね。まず最初の文字は皆さんのプリントに書いてある"睡眠"です。そして"すいみん"の"みん"から次の文字を書いてください。例えば"睡眠"の次に"民族"、"続報"みたいに続けてくださいね」
「先生、読みが同じだったら違う漢字でも大丈夫なんですか?」
椿が手を挙げて質問する。次のスライドに進めようとしていた頭楼は、気が付いたように声を上げた。
「あ、そうですね。読みが同じでさえあったら大丈夫です。ですが、同じ漢字でも違う読み方だったら駄目ですよ。オリジナルの熟語を書くのもダメです」
「はーい」
何人かが返事をして答える。聞いてから頭楼は次のスライドに進めた。画面が暗くなり、パワーポイントを閉じる。
「皆さん分かりましたか?時間は多めにとって15分間程取ります。それでは始めてください」
タイマーを15分にセットして始めた。漢字辞典を捲る音や話し合う声が始まる。
「先やる?」
初がこくりと頷き、睡眠の後に続いている矢印の先に民衆と書いた。漢字に弱い雪斗の為に文字の横に小さく読み仮名も書き込む。
「あ、サンキュ」
しゅうしゅう、と呟きながら漢字辞典を捲る。何度か捲ったあとに目当ての項目を見つけ、簡単そうな熟語を書いた。
「終了…と」
雪斗も一応読み仮名を書いたが、初はすぐに続く熟語を書いた。領有と書かれた紙を睨み、初が読み仮名を書く前に呟いた。
「……りょうゆう?合ってる?」
片言に読み仮名を呟いた雪斗が確認の為に声をかけたが、マスクでくぐもった声になり、初には届かなかった。
「あ、ねぇこれ、りょうゆうって読む?」
声を大きくして尋ねた雪斗に、初はこくりと深く頷いた。
「よっし、えーと次はゆう、か」
熟語を知っていたのか、雪斗は漢字辞典を使わずに書き込んでいく。幽閉と書きたかったのだろうか、幽開と書いてしまっている。書き間違いにすぐに気付いた初が余白部分に正解の文字を書き込んだ。
『幽"閉"』
「え?あ、マジだ。サンキュ」
書き込まれた文字を何度も見ながら雪斗が書き直した。初に紙を渡す。初は平坦と書いた。読み仮名も忘れずに。
「片瀬さん、マジで漢字強いな。マジすげぇわ」
いきなり褒められて驚いたのか無表情が崩れ、驚きと喜びが混ざったような表情に変わる。
「ふは、片瀬さんそんなかわいい顔もするんだな」
追い討ちをかけられ顔が赤くなった初は、ノートを取り出して乱暴気味に文字を書いた。
『からかわないで』
いつもの教科書のような字とは違い、少し崩れたような丸っこい字になった。
「ははは、面白いなぁ」
ふやけたように目を細め、漢字辞典を捲り始めた。横目で隣の初を見ると手で顔を覆っている。指の間から見える顔が赤く染まっている。
「んーと、よし、書けたぞ」
雪斗がそう声をかけると初は手を顔から退けて、紙を受け取った。紙には鍛錬と書かれていた。
少しだけ考えて、煉瓦と書いた。仕返しなのか、読み仮名を書かずにそのまま雪斗に渡す。
「れん…かわら?れん?…ん?なんて読む?」
縋るような目で初を見たが、雪斗には目もくれず窓の外を眺めていた。心無しか不機嫌そうな雰囲気が漂っている。
「自業自得ってやつか…」
初の様子を見た雪斗は、諦めて漢字辞典を使い始めた。れん、れん、と呟きながら索引でページを探す。
「あ、あった。レンガ…じゃあが、から始まるやつか」
また呟きながら、ガッとページを変える。
「画鋲っと、書けた!合ってる…な、よし。片瀬さん、良いよ」
初の肩をポンと叩き、初に紙を渡した。初が思い出しながら屏風と書く。吹っ切れたのか読み仮名もちゃんと書いた。
「あはは、ありがとう」
まだ少し初の頬は赤いがいつものような無表情で雪斗に渡した。
「へぇ〜屏風ってこう書くんだ。いっつも本読んでるしやっぱ色んなこと知ってんだな」
先程も言われたからか慣れたように微笑んだ。初にしては珍しくどこか勝ち誇ったような笑みを浮かべる。
「ぶ…ぶ…あ、部活!」
部活の1文字目を書いたところでタイマーが鳴る。間に合わすように大急ぎで続く文字を書いた。
「はい、時間終わりました。名前が書かれている事を確認して、どちらかが持ってきてください」
初が持って行こうと雪斗に向かって手を伸ばした。立ち上がりかけた雪斗が気付いて初に手渡した。
「片瀬さん、喋んねぇだけで良い奴なんだなぁ」
頭楼の周りに出来た人混みに飲まれそうになっている初を見兼ねたのか、近くに立っていた和田瑠衣が初の紙を受け取るように手を出した。
初はお礼の代わりに頭を下げて瑠衣に紙を渡すと、少し小走りで自分の席へと戻って行った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます