第7話 『波乱の前触れ』

 そっとドアに近づく。その気配の主は――――――


「アンジェかい?」

「ええ……――よく分かったね、びっくりした」

「歩き方ですぐ分かったよ」

「えええ⁈ そんな特殊技能を持っているの?」


 学生服にも袖を通したし、ドアを開けようかと思うと、後ろからひしと琥珀に抱きしめられた。まだ深く愛し合った余韻が残っているのだろう。僕は、普通のキスをしてお互い抱き合うような姿勢を作った。柔らかく温かい女の身体と筋肉質な魔剣士の身体が見事に融合し、レオナルドダヴィンチにも分からないだろう神秘がある。


「ほろび、甘えん坊でごめんなさい」

「いいよ……――僕は、竜胆琥珀の道具なんだから」

「ドア開けてあげて……外は寒いわよ」


 ぎいと扉が開く。アンジェは食事を持っている。僕と琥珀は目を合わせて時計を見る。午後八時だった。とっくに食事の時間は終わっている。僕と琥珀いないのに気付いて、持って来てくれたのだろう。今どき珍しい優しい子だと感心した。


「二人がいなかったから気を利かしたつもりなんだけど……もしかして迷惑だったかな?」

「いえ、二人で爆睡していたので……有難いです」

「入学式は荒れるし、人は死ぬしで……疲れたよね。私も入っていい?」

「僕がお茶を淹れるよ。ただ紅茶はないんだ」

「日本茶でいいよ」


 僕は立ち上がると、琥珀と目が合った。琥珀は瞳を揺らす。まだまだ余韻が残っているようだ。

 魔法学院の港の桜モールというショッピングセンターで買った安物の緑茶を淹れる。


「これってダンジョン最弱のモンスターラピッドラビットの子供の丸焼き?」

「うん、つい最近ダンジョン外で繁殖させることに成功したって料理長が自慢してたよ」


 琥珀の質問にアンジェが答える。他にも高原野菜のサラダや魔法学院が飼育している和牛のステーキなどご馳走が外の台車から引っ張り出された。僕は、後天的に付与された食欲をすっかり満たして、口をナプキンで拭く。


「アンジェ、ありがとう。おかげで満足できたよ」

「それなら良かったよ。次からはいなかったら起こしにくるね」

「ねえ、二人共……空蟬胡桃さんを殺した相手って先輩たちなのかな?」

「分からないけど……僕から一つ言えることがある。下手に序列を上げるとああいう目に遭うことも考えた方がいい」

「豪邸に住めるし毎月百万円分のお小遣いが貰えるんだもんね。悪いことを考える輩はいるよね」

「アンジェは言わなくても分かると思うけど、空蟬胡桃が殺されたことを悪だと断定しない方がいい。足枷になって、いざという時に動けなくなる」


 そこで、三人で緑茶を啜るタイミングが揃い、しばし沈黙が続く。お互いの高ぶる気持ちも整理できたし、更に食欲も満たせたので残りの一つの三大欲求である睡眠欲が沸いてくる。琥珀も既に目が眠そうだ。


「二人共もう眠そうだね。まあ、大海蛇シーサーペントを倒すのも疲れただろうし、仕方ないか」

「そうだね……まさか魔法学院のダンジョンが海にもつながっているとは思わなかったよ」

「七大ダンジョンの一つだよね。いまだ踏破した者がいない深淵……」

「アンジェさん、私の夢は七大ダンジョンを制覇することなの」

「アリスの宿題か……なんだか二人とは気が合いそうだね」


 そこでまた、三人で緑茶を啜るタイミングが揃い、心地がいい穏やかな沈黙の一時ひとときが訪れる。


「アンジェ、ダンジョンを近々案内してくれるオリエンテーションがあるのは知っている?」

「知っている。剣も握ったこともないし、魔法も使えないから不安なんだ」


 その後の沈黙の中、琥珀と目が合う。お互い考えたことは同じなようだ。


「アンジェ、その時は一緒に行動しよう」

「心配してくれるんだね。ほろびは優しいね。でさ……もう一つ言いにくいんだけどお願いがあるんだ」

「なにかしら?」

「床で寝るから……ここに避難させて‼」

「「え⁈」」


 さすがに僕も琥珀も驚くのは無理もないお願いだった。だが、アンジェは真剣そのものな顔をしている。眠気も軽く吹き飛んだので話を聞く。

 相部屋の相手が問題なんだろうな。僕はどうでもいいが、琥珀がうなずくかが問題だ。


「相部屋の相手が問題なのかな?」

「ほろびさんなら察してくれると思った。日本では腐女子っていう存在なんだ。『デュフフフ』とか言いながらエッチな漫画をいっぱい書いてるんだ」

「「ああ……――なるほど」」

「それだけじゃなくて言葉を交わすと語尾に『ござる』を付けるんだ。あんな奇人変人と一緒に学院生活なんて送られないよ‼」


 僕は、やや不満そうな琥珀にウィンクを送った。それを見て琥珀は決断したらしい。情事はしばらく封印して、三人仲良く学生生活を送ることを決めたようだ。

 僕も……後天的な三大欲求は、抑えられなければ、大人しく自慰オナニーでもするし、それは琥珀も同じだろう。


「アンジェ、私たちは、三人部屋になってもいいわよ」

「本当に? 実は荷物は廊下に置いてあるんだ。断られたらどうしようかとヒヤヒヤしていたよ。それにしても二人共眠そうだね。寝る前に大浴場にでもいかない?」

「え⁈ でも僕は……誰もいない夜中とかに入るよ」

「駄目だよ……人が殺されたんだよ? なるべく一人にはならない方がいい」


 ほろびは外堀を埋められた大阪城の気持ちになった。琥珀を見ても曖昧な表情を作るだけだ。

 世界唯一の♂魔法使いとしての最大のピンチがやって来た。



――――――――――――


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