終幕 合流と、約束と

 軍人や貴族の死体を放置してハモンは静かに森を出た。

 自分が入った場所から遠く、宿に帰るには遠回りの道を選ぶ。貴族が軍人の護衛ごえいれて一晩行方ゆくえらずに成れば直ぐに捜索そうさくが始まるだろう。


 荷鳥車にどりぐるまの商隊が出発する早朝まで怪しまれなければ逃げ切れる筈だ。防衛都市の軍がどれだけゲンスキーやガレアを重要視しているか分からないので分かりようも無い。


 ハモンが宿に戻れたのは日がれて一刻一時間程経った頃だった。

 北の村とことなり防衛都市は大きく夜でも人の往来おうらいが多い。大通りは提灯ちょうちんらされて少し見辛みづらい程度だ。

 大通りでなくとも客商売の店が並ぶ路地には提灯がいくつも設置されている。

 お陰でハモンは迷う事無く宿の暖簾のれんをかき分けて玄関げんかんに駆け込む事が出来た。


兄様にいさま!」


 白髪の目立つ女店主の隣で声を上げずに泣くイチヨが赤茶のショートジャケットのそでらして待っていた。

 ハモンの姿を見て直ぐに玄関でブーツもかずに砂利じゃりに飛び出し抱き着いて来る。不安にさせた自覚は有るので頭をでてなだめるしかない。


 さいわ新調しんちょうした羽刺繍はねししゅうの白革羽織に付着した返り血は落としてから帰ったので刃傷沙汰にんじょうざただと気付かれる可能性は低い。

 ただ殴られたあと疲労ひろうは隠せるものではなく女店主が不思議とも疑問とも言えない顔をしている。イチヨの頭を抱えながら空いた手で女将に黙っていて欲しいと人差し指を上げてみせればあきれた様子で首肯しゅこうが返された。


「イッちゃん、お兄さん帰って来たの?」


 宿の奥から青ジャケットのハナがイチヨが姿を現した。その後ろには旅商人の父もり心配の度合どあいが分かる。

 明日あすには別れる間柄あいだがらで心配を掛けた事に心苦こころぐるしさは有る。ただ出会って短い相手をこうまで心配できる善良ぜんりょうさに好感を覚えたのも事実だった。


「心配を掛けて済まない」


 イチヨへ謝罪をしつつ女店主、ハナ、父親にも深く会釈えしゃくする。

 ハナを面倒見た代わりの様にイチヨの世話を押し付けた手前、父親には特に迷惑を掛けてしまった。子供を預かるという相当な無茶むちゃを聞いて貰ってしまった。


 イチヨを心配したハナが同じように素足すあし玄関げんかんに跳び出し彼女の肩に抱き着く。

 やっとハモンが帰って来たと実感がいたのかイチヨの手の力は強い。服にしわができてしまうだろうが仕方がない。それだけ急に不安にさせた罰としては軽過ぎる程だろう。


「イチヨ、ここは冷える。部屋に行かないか?」

「……うん」


 泣きらした妹分の顔を人前にさらすのを避けたいハモンは抱き寄せたまま玄関を歩いた。

 かたわらのハナもうながして自室に向かう。

 ハモンとイチヨの二人だけの方が良いだろうとハナと父親も気を遣ってくれた。

 女将は少ししたら夕食を運ぶと言い去って行った。


 自室に入り二人だけに成ってもイチヨはハモンから離れない。

 小さく肩を震わせる彼女を休ませる為にも腰を下ろす。


「済まない」

「……怪我、してない?」

「少し打身うちみが有る」

「え?」


 嘘を言っても着替えを見られれば直ぐにあざが見つかってしまう。

 イチヨが顔をせているからハモンの顔の打撲痕だぼくこんに気付かれていない。ただ食事が運ばれてくれば彼女も顔を上げ直ぐに気付く。


「誤解から軍に追われた。それで少しな」

「軍って、そんなの」

「問題無い」


 驚いて顔を上げたイチヨが初めてハモンの顔を見た。頬の打撲痕に気付き顔が青褪あおざめていく。

 別れてからずっとかかえていた悪い想像の方向性がゆがんでいくのだろう。ハモンが一体何に巻き込まれたのか分からずにイチヨが目尻めじりに浮かべた涙があふれてしまった。


 指でぬぐう程度ではおさまらない。

 頭を胸に抱き寄せて涙は全て服にわせる。

 なぐさめや安心させる言葉が見つからない。そんな優しさを育てる機会にはめぐまれなかった。


 悲しむ女子おなごに掛ける言葉を教えてくれぬ父と母にうらごとを言いたくなり、直ぐに止める。二度と話す事も出来ない相手に呪詛じゅそくのも礼節れいせつに反するだろう。


「済まない」


 結局、謝罪以外の言葉が見つからなかった。

 すがりつくイチヨの涙をぬぐう以外の事がしてやれない。

 その歯痒はがゆさに自己嫌悪をつのらせている間に女店主が夕食を運んで来た。


 泣き止まないイチヨを見て女店主があきれた目を向けてくる。

 仲睦なかむつまじい兄妹、ではなく出来の悪い兄を心配する心優しい妹と見られているらしい。同じ女だからから、身内に心配を掛ける者に対する怒りからかハモンへの視線は冷めている。


 少しでも良い印象を与えた方が良いかと思ったが、今は外面そとづらを取りつくろっていると思われるだけだ。

 可能な限り普段通りの仕草しぐさぼんを受け取った。


いた言葉が難しいのであれば行動で泣き止ましなさい」


 それが出来る器用さがハモンに有れば苦労はしていない。ただ女店主の言う事ももっともではある。

 彼女は何をすれば良いか分からずにくちびるんでいるハモンを見て小さく嘆息たんそくして退出していった。


「イチヨ、夕餉ゆうげを頂こう」

「……うん」

「何か、自分にして欲しい事は無いか?」

「ぇ?」

「情けないが、どうすれば泣き止んで貰えるか分からなくてな」

「……ずっと一緒に居て」

「……ああ」


 言いよどみつつ、ハモンはイチヨの願いを受け入れた。

 状況が状況ならば婚姻こんいんの申し出の様な言葉だがハモンが言い淀んだのはそんな理由ではない。

 上手く笑みを浮かべられているか自信は無いが笑顔でイチヨの頭をでる。

 少しだけ安心したのかハモンに気を遣ってか、イチヨも涙を浮かべたまま笑みを作った。


「頂こう」

「頂きます」


 気丈きじょうな娘だと感心し、ハモンはイチヨに夕食をうながした。


 いつまでも共に居られる約束など、安易あんいに出来るはずも無い。

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