妖刀使いの少年、刀の扱いに困る

上佐 響也

第一部 始

第一章 北の村、旅の始まり

第一幕 剣士の戦い

 雪の積もる昼の森。

 ほほ刺青いれずみのような雷のあざを持つ十代なかばの少年が走る。

 ジーンズの皮ベルトに刀をげ白い革の羽織をひるがしながら中指だけ鎧をめた左手で鯉口こいぐちを切った。


 背後に迫る百足むかで巨虫きょちゅうガムリが大口の左右にえるいびつな牙を打ち鳴らし威嚇いかくする。恐怖心と嫌悪感けんおかんを掻き立てられる音に身がすくむが足を止めてはいられない。


「ちっ」


 木々に視界や足場をせばめられる森の中での戦いは分が悪い。

 巨虫は少年の二倍近い巨体を持つ。可能な限り広く足場を確保できる場所で戦いたい。


 木々の合間からガムリが突き出してくる牙は木を盾にしてかわす。

 牙を受けた木に風穴が開く。返しにより引き抜けないのかガムリは強引に木をえぐり少年への追走を再開する。


 それを見て少年は再び舌打ちした。

 少しは時間かせぎになるかと思ったが数秒も稼げていない。

 だが何とか開けた場所まで逃げる事はできた。


 村娘やわらべが好みそうな薄っすらと雪化粧のほどこされた花畑だ。

 踏み荒らすのは心苦しい。だが死地につき胸中きょうちゅうで想像だけの相手に謝罪する。

 地面を滑りながら背後の巨虫ガムリに振り返った。


れ、罅抜ひびぬき


 愛刀、罅抜ひびぬきを抜刀し正眼せいがんに構え上体を持ち上げる百足むかで巨虫きょちゅう対峙たいじする。

 百にも届かんといびつえる節足せっそくで巨体を支えたガムリが牙を打ち付け合う。その威嚇いかくおとりに尾が横薙ぎに振るわれた。


 切っ先を地面に向ける。人のどうよりも太いを上にらそうとこころみた。

 横からの衝撃に弱いのが刀という武器だ。にもかかわらず尾を受け止めた罅抜ひびぬきには不自然な程に損傷そんしょうが起きない。


 だが刀が耐えられても剣士が耐えられるとは限らない。どれだけ胴、脚、腕で衝撃を殺しても限界は有る。それが自身の胴よりも太い巨体が繰り出す衝撃となれば当然だ。


 腕に走る衝撃を受け流し切れず背後に退けられた。

 しかし姿勢だけは歯を食いしばって維持いじする。

 地面をすべり、強引に足裏の感触を頼って静止した。


 本来、巨虫きょちゅうガムリは個人でいどむ相手ではない。徒党ととうを組み、正面の人員が盾で牙を受け止め、側面や背後の人員が槍でけずるのが定石じょうせきだ。

 牙は樹木じゅもくを貫通する程の力が有る。だから盾を構える者たちは数人がかりで木のかたまりともいえる盾を持つ事に成る。


「ガムリが出るなんて聞いてないぞ」


 巨虫ガムリと戦う予定は無かった。

 大の男の脚程度の長さの虫獣むしけものアムリを相手にするはずだったのだ。

 そちらはそちらで数が多いという問題が有る。だが一撃でほふられるガムリよりも幾分いくぶんか良い。


 守っていて勝てる相手ではない。

 人間以上の体格を持つ巨虫を相手にしているのだ、攻撃の間合いの内側にしか勝機は無い。距離を取れば時間を掛けて押し潰されるだけだ。


 だから前に出る。

 地面に向けた切っ先を雪に刺してから跳ね上げ、ガムリの顔面に浴びせ掛ける。

 一瞬でも視線をふさげればそれで良い。

 狙いも付けずに薙ぎ払われる尾をんでかわし、着地と同時に罅抜ひびぬきを振り被り前へ踏み込む。


 少年も初手しょてから深手ふかでわせられると思う程に自惚うぬぼれてはいない。

 だが加減などすればまたたく間に叩き伏せられてしまう。


 狙いは腹、いびつに生えた百の節足せっそくを少しでも減らし肉体を支える均衡きんこうを崩す事が目的だ。

 身を低くして罅抜ひびぬきを肩にかつぎ、踏み込みの勢いを乗せた斬撃を放つ。


 腹を狙った斬撃はかろうじてかわされる。

 それでも数本の節足の足先を切り飛ばし均衡を崩す事は成功した。少量の深緑の血液が周囲に飛散ひさんし雪と草花をよごす。


 初撃を当てたと喜んで足を止める訳にもいかない。

 持ち上げられた頭部が落ちて来るだけでも圧死あっししてしまう。


 だから斬撃の際に地面をめた右足でななめ前、ガムリの側面に跳ぶ。

 節足せっそくを斬られた痛み、それを怒りに変えガムリの牙が振り下ろされた。

 剣士の背後で雪が細かく割れて宙に舞う。


 自分で視界を塞ぐ失態を犯したガムリに剣士は勝機を見出みいだした。

 小さくこまかい歩法ほほうで背後に踏み込み、尾の数関節を切り飛ばす。節足を切り飛ばした時と違い多量の血液が飛散し周囲を汚していく。


 今度は横だ背後だと考えずに大きく退いて距離を取る。

 肉体を数割という単位で切り落とされたガムリが痛みから暴れ回る。牙と尾が雪と共に草花を散らし、百足むかでの胴がへびの様に地面をえぐる。


 手負ておいの獣がもっとも危険。剣士はそんな狩人の言葉を思い出した。

 下段構えを取り地面をのたうつガムリにそなえる。


 読めない動きをする相手よりも狙いの分かる相手の方が対処はしやすい。

 相手は巨虫なので定石じょうせきなど最低限しか通じない。それでも狙いの分かる分からないの差は大きい。


 今までの感情の読み取れなかった無機質むきしつひとみ随分ずいぶんと怒りに満ちているように見える。

 一通り暴れて痛みと怒りを発散した巨虫が再び巨体を起こした。まるで野犬の様に肩を怒らせ荒い呼吸を繰り返し剣士をにらみ付けてくる。


「怖い怖い」


 意図的いとてき茶化ちゃかして自身の興奮をなだめた剣士は下段構えを維持いじする。

 ガムリは体を持ち上げたと言っても数関節分は短く成った。目線も剣士とほぼ同じ高さまで下がってきている。

 今なら尾を振り払われても中段より下段の方が対処の手札が豊富だ。


 そう考えて剣士は踏み込んだ。

 今まで通りに尾が振り払われるかと思えば頭部の牙を突き出して来る。

 剣士は右下段に構えた為に突き出された左肩に狙いが向けられたのは運が良かった。


 狙いが分かれば対応も自然とさだまる。

 左肩に向けて突き出される牙を右に踏み込んでかわし、突き出された事で無防備に成った顎へ罅抜ひびぬきを振り上げる。


 ガムリの甲羅こうらは武者鎧のように硬い。

 それでも先程、罅抜ひびぬきは尾を切断してみせた。


 あごを守る甲羅に刀身が食い込み、刃毀はこぼれもせずに肉を裂き、首の中腹ちゅうふくを超える傷口を生み出した。


 百足むかでという昆虫こんちゅうは下半身を多少切り落とされても死にはしない。だが頭部を潰されて生きていられる程に特殊な生物でもない。

 巨虫きょちゅうガムリもそれは同様で頭の半分以上を切断されれば生きてはいられない。


 ただ切られた瞬間に体の動きが止まる訳も無く、脳が出した命令により肉体は数秒の間も動き続ける。

 あごを突き出した後の着地の為に体が曲がっていくのを剣士は見た。

 かろうじて牙をかわした剣士はガムリの死体と衝突し共に花畑の中に倒れ込む。


 本来なら巨虫と接触しているなど危険極まりない。虫らしく死体と成り果てても節足せっそくは未だ無秩序むちつじょうごめいている。

 それでも脳からの正常な指令を失った巨体は支えも意思も失ってしかばねさらしていた。


 気色悪く蠢く節足を蹴り退けて死体の下から這い出した剣士は白革羽織やブーツに付着した雪を払い落す。

 念の為に頭部を罅抜ひびぬきで串刺しにして死亡を確認した。


「これなら文句も無いか」


 戦闘の疲労を体から吐き出すように息を吐く。討伐とうばつあかしとして牙を採取さいしゅする為に根本の肉をぎ落とす。

 ふところに入るような大きさではない。それでも何とか牙を採取し罅抜ひびぬき納刀のうとうした。


 短時間の戦闘でも疲労がひどい。

 これ以上の虫退治はせずに村に戻ると決めて剣士は歩き出した。

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