第8話 人妻
「由美子!お客さんだよ」
旦那が家の中に声を掛ける。人妻って日中どんな服装なんだろう。俺はどきどきしてしまった。スケスケのピンクのネグリジェなんか着てたりして。昭和過ぎるか。
すると、奥から出て来たのは、そばかすだらけで化粧っ気のない、小柄なおばさんだった。あ、こいつ年上と結婚したのか。恐らく、女性と付き合ったことがなくて、年上で妥協したタイプだろう。俺の妄想は一気に萎えた。
「すみません。突然お邪魔して。前の住人の前田と申します」
俺は人並みに挨拶をした。
「前住んでた方ですか!」
いい人そうだが、変なテンションだった。
「お部屋がきれいに片付いてたのに、今はぐちゃぐちゃで恥ずかしいです。ちょっと雰囲気変わりましたけど、どうぞ」
俺は例の居間に通してもらった。俺がいた時は、折り畳みの小さなテーブルしかなかったけど、今はソファーと応接セットが置いてある。夫婦世帯の温かみを感じた。俺が住んでいた殺風景な部屋を見られたかと思うと恥ずかしい。孤独な独身男でしかも貧乏と腹の中で笑っていたのだろう。
しかし、幸いなことに、その家には見られて困るようなものはなかった気がする。荷物を最小限にしていたことと、恥ずかしい物はすべてパソコンに入っていて、警察に押収されていたからだ。
「何であなたたちにこの家を勧めたんでしょうね」
俺は疑問に思ったことを口にした。
「私が見学した時は、五戸から好きな家を選んでよかったんですけどね」
「実はここはしか空いてなくて。この村はテレビに取り上げられてから最近人気が出ていて、他の家はみんな別の人に決まってしまったそうなんです」
「そうなんですか。知りませんでした。そういうことなら、村としては空き家にしておくより、住んでいただいた方がいいと言うのも合点がいきます。他の家にはどんな人が住んでるんですか?」
「みんな、東京近辺から来た人ばかりですよ。後は破産したばっかりで住むところがないって人もいました。あ、これは個人情報なんでここだけの話にしていただきたいんですが」
「家賃タダっていうのは魅力ですからね」
「ええ。東京に住んでて家賃十万払ってるのが馬鹿馬鹿しくて。家を買ったって三十五年ローンですから」
「住居費が本当にかかりますよね。女性と二人だと、そんなに安い所っていうわけにもいかないですしね」
「まあ。そうですね」
旦那はにやにやしていた。あんたの奥さんならドヤ街でも大丈夫だと俺は心の中で毒づいていた。この奥さんでもこんな山奥なら美人に見えるんだろうか。男一人よりはましか。俺にはこの程度の女を口説く勇気もなかったのだ。
「お二人とも田舎暮らしが好きだったんですか?」
「ええ」
旦那の方は嬉しそうに二人の馴れ初めを話し出した。
俺たちはこんな風に喋っているうちに日が暮れて来た。
「今はどちらにお泊りなんですか?」
「実は・・・住むところがなくなってしまって。ここも人が住んでいると思わなくて。納屋でいいから貸していただけないでしょうか」
「とんでもない!せっかくですから、うちに泊まって行ってください」
こうして俺は仏壇があったと言われているリビングに泊ることになった。この家は一階のリビングとキッチン、二階に二部屋あるだけで、客を泊めるほどの広さはなかった。俺は怖かったけど、仕方がない。外に泊るよりはましだった。
二人は俺がいるのが気になるのか、早目に二階に上がってしまった。いいなぁ・・・。あんな顔でも一人よりでいるよりはましかもしれない。俺は人間顔じゃないと、今までの人生を激しく後悔した。
急に寂しくなってしまった。独身は返上したい。これから結婚しよう。
リビングは静かで物音ひとつしない。
怖い。
あの人のことが思い浮かんで来る。俺の目の前で裸になったばあさんだ。
また、俺のところに来たらどうしよう。
俺は眠れぬまま布団の中でぼんやりしていると、夜中、キッチンに誰かがやって来た。小柄なシルエットは奥さんだった。俺はドキドキしながら布団に包まっていると、なんと彼女の方から俺に近づいて来たではないか。きっと欲求不満で男を欲しがっているんだろう。俺の心臓は爆発しそうだった。
「眠ってはりますか?」
「いいえ」
「なかなか寝れなくて」
「お疲れでしょう。よかったら、これお飲みください。快眠にいいというお茶です」
「す、すいません」
俺は暗がりの中で起き上がった。今ならその人を布団に誘って、旦那に気づかれないうちに不貞行為をすることも可能だった。男が寝てる所に来るなんて、明らかに無防備だった。
「奥さん」
「はい」
「僕、最初にお見掛けした時から、素敵な方だと思ってたんです。よかったら隣に寝ませんか?」
「いいえ。上に布団がありますから」
奥さんはそう答えるとまんざらでもなさそうに笑ってその場から立ち去ってしまった。俺の勘違いだったのか。その恥ずかしいことと言ったらなかった。姉に一人エッチを見られた時より恥ずかしかった。
俺はなかなか寝付けなかったものの、気が付いたら外が明るくなっていた。
少し頭が痛かった。
取り敢えずはトイレに行く。その後は水道で口をゆすぐ。水を飲む。冷蔵庫や家電は俺が持ってきた物がそのまま置いてあった。そう言えば、食器も俺の使っていたものがそのまま使用されているようだった。あいつら、俺の家に入り込んだだけだったんだ。役所のやつらも家具付きなんて言って募集していたのかもしれない。
俺は無罪になったから、えん罪の人のために給付される補償金を受け取ることができるのだが、その手続きをするためのものは何もかも、貴重品はすべて、この家にあるのだ。俺は外で捕まったから、財布を持っていくことすらできなかった。友達も親族もいないから、拘置所内では全く金を使うことができなかった。服も歯ブラシもすべて人のお古だった。今回家に帰るための金すら持っていなかったから、弁護士さんに借りたくらいだ。俺はこれから補償金を受け取って、生活を立て直さなくてはいけない。拘束されていてよかったことと言えば
俺の荷物はどこにあるんだろう。俺が主に作業していたのは二階だ。そういえば、パソコンは警察に押収されてしまった。いつ返してもらえるんだろうか。それに、カメラやデジタル機器はすべて、二階のデスクの上に置きっぱなしになっていた。パソコンは十万もしたのだが、壊れないように、警官たちから丁寧に扱ってもらえているだろうか。CPUはIntel Core i7だし、まだ新しい。それに証券などはすべてネットで取引していた。株式はどのくらいの価格になっているのか想像もつかない。蓋を開けるのが怖い。不況で暴落してないといいのだが。
しかし、あの二人は朝十時になっても降りてこなかった。
「すいませーん」
俺は一階から声をかけたが、何の返事もない。勝手に上がって行って、二人がいいことをしてたらまずいから、俺は一階でひたすら待った。しかし、二人は降りて来なかった。そう言えば、トイレが一階にあるのにおかしい。気が付いたらもう夕方になっていた。
俺はあの二人がいなくなったことに気が付いて、二階に上がって行った。
「すいませーん」
やっぱりもぬけの殻だった。俺は変わり果てた部屋を見て唖然としていた。ベッドはあるけど机の上の物はきれいになくなっていた。パソコンも証券会社の書類なんかもすべてなかった。俺はパソコンにしかデータを入れていないから、自分の証券口座の番号も知らなかった。
嫌な予感がした。もしかしたら、俺の財産がすべてなくなったかもしれない。今すぐにはそれを確かめる
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