アトランティスの帰還(ポンペイ壊滅の真実)

満月光

アトランティスとポンペイ

第1話 アトランティスの掟

 ローマ統治の時代、ポンペイというみやこがあった。

 ポンペイはヴェスヴィオ火山のふもと近くに建設けんせつされた都市としで、五百年に渡る歴史れきしを誇っていた。

 小さな都ではあったが、名うての観光都市かんこうとしとして栄えていた。

 当初は商業都市しょうぎょうとしとして発展はってんした都だったが、今では享楽きょうらくの都として、ローマ帝国ていこく全域ぜんいきに名をとどろかせていた。

 ローマの男達の全てが、一度はポンペイをおとずれる事を夢見た。

 ローマで富を得た者は、こぞってポンペイへと足を運んだ。

 街の外周がいしゅうを囲む城壁じょうへきは、ポンペイの富を狙う盗賊達とうぞくたちに対するそなえである。

 まちへの出入でいりは、東西とうざい二ヶ所にもうけられた二つの門を通じてのみとなっていた。

 門のそばには物見ものみの為のとうがあり、その近くには街を警護けいごする兵達へいたち宿営しゅくえいがあった。

 治安維持ちあんいじに優れたポンペイでは、市民達しみんたち平和へいわ満喫まんきつしていた。

 街の街路がいろ何処どこ石畳いしだたみが敷き詰められ、雨の日でも道が泥濘ぬかるむ事はなく、荷馬車にばしゃ安全あんぜん通行つうこうする事が出来た。

 上下水道じょうげすいどう整備せいびされており、いつも新鮮しんせんな水が街中まちじゅうめぐり、下水げすい処理しょり適切てきせつに行われていた。

 庶民しょみんの住む高い集合住宅しゅうごうじゅうたくが立ち並ぶローマの都とは異なり、ポンペイの都市整備としせいびでは高層こうそう建物たてもの禁止きんしされていた。

 その為、上の階から道路脇どうろわき側溝そっこう目掛めがけて排尿排便はいにょうはいべん汚物おぶつが飛びうローマの下町したまちに比べると、ポンペイの街の空気くうき何時いつ清浄せいじょうが満ちていた。

 街の中心部ちゅうしんぶには市民がいこ広場ひろばがあり、その周辺しゅうへんには様々さまざま物品ぶっぴんあきなう店がのきを並べていた。

 円形えんけい劇場げきじょうもあり、其処そこでは定期的ていきてきに様々なし物がもよおされていた。

 広大こうだい闘技場とうぎじょうもあった。

 闘技場は、ポンペイで最も多くの人々を収容しゅうよう出来る施設しせつである。

 其処そこでは、奴隷兵士達どれいへいしたちによる闘技とうぎが定期的に開催かいさいされ、血を好む多くの市民がこぞって見物けんぶつおとずれた。

 中でも、月に一度開催される戦車競走せんしゃきょうそうは、最も人気がある闘技だった。

 このように、生活せいかつを楽しむには申し分のないポンペイであったが、ポンペイを一躍有名いちやくゆうめいにしたのは、劇場でもなく、闘技場でもない。

 それは、街の一角いっかくに広がる娼館街しょうかんがいと、それと共にのきを並べる飲食街いんしょくがいだった。

 ポンペイの街の守護神しゅごしんは、美と恋愛れんあい女神めがみウェヌスだった。

 その為か、ポンペイには他の都市とは比べものにならない数の娼館が存在そんざいした。

 娼館には、男女のまじわりをえがいた壁画へきがが並び、店先みせさきには男性器だんせいきかたどった看板かんばん設置せっちされていた。

 そして娼館街のそばにある飲食街では、多くの店で美食びしょくきわみとされる数々かずかず料理りょうりきょうされて、ローマ中の美食家びしょくか自称じしょうする者達の舌を喜ばせた。

 この娼館街と飲食街こそが、ポンペイが享楽きょうらくの都と呼ばれる由縁ゆえんだった。

 娼館街と飲食街が評判ひょうばんを呼び、ポンペイは観光都市かんこうとしとして栄えたのである。

 ポンペイの人口じんこうは、すでに一万を越えていた。

 ポンペイの富が増すにつれて、古くからこの都に暮らす市民達の間には、ひそかな野望やぼうはぐくまれて行った。

 それは、ローマの支配しはいを脱して、ポンペイを独立都市どくりつとしとする事だった。

 ポンペイを含む地域ちいきは、百年ほど前にローマ帝国の侵攻しんこうを受け、植民地しょくみんちとなっていた。

 帝国ていこく支配下しはいかに置かれたポンペイには、ローマから執政官しっせいかん派遣はけんされ、ローマへの納税のうぜい管理かんりしていた。

 そんな中で、古くからのポンペイの実力者達じつりょくしゃたち一部いちぶは、長老ちょうろうとしてポンペイ独立どくりつの道を日々探ひびさぐっていたのである。


 そのポンペイから一日の航海こうかい距離きょりに、一つの小島こじまがあった。

 その名をアトランティスと言う。

 アトランティスは、昔から不思議ふしぎの島と見做みなされて来た。

 アトランティスが、最初さいしょに人々のうわさのぼったのは、ギリシャの哲学者てつがくしゃプラトンの記述きじゅつによってだった。

 アトランティスには、極めて高度こうど文明ぶんめい存在そんざいするとプラトンはしるした。

 その中で人々が注目ちゅうもくしたのは、アトランティスだけにあるというオリハルコンという金属きんぞくだった。

 オリハルコンで作られたけんはどのようなたても貫き、オリハルコンで作られた盾はどのような剣もね返すと言う。

 それを読んだ多くの人々が、アトランティスのある場所ばしょを探した。

 そのアトランティスが、ポンペイのはるか沖にある小島ではないか、と言い出したのはプラトンの弟子でし自称じしょうする一人の哲学者だった。

 その話を聞いた者達が、何度なんどもその島を目指めざして舟を出した。

 しかし、誰一人だれひとりとして島に到達とうたつ出来た者はいなかった。

 その島は、自然しぜん要害ようがいで囲まれていたのである。

 島の周囲しゅういには、巨大きょだい人喰ひとくざめむれ回遊かいゆうし、不定期ふていきに嵐が起こった。

 誰もが島に近づく事をあきらめた。

 そして口々に、あのような小さな島に別の文明ぶんめいなど存在そんざいし得ないとうそぶいた。

 そして、時の流れの中で、アトランティスの伝説でんせつも人々の記憶きおくから薄れていった。

 その島が、今だにアトランティスと呼ばれるのは、過去かこ名残なごりだった。



 アトランティスの女王じょうおうは、臨終りんじゅう老人ろうじんそばにいた。

「ガイア…。人の寿命じゅみょうに限りがあるのは運命さだめとは言え、何故なぜこの今、私を置いてってしまうのです。アトランティスが大変たいへんな時なのに....」

 女王の言葉ことばを耳にしたガイアが薄く眼を開けた。

「女王様。如何いかにアトランティスの民といえども、命には限りがあるのです。私にもその時が来たというだけの事。私の亡き後、女王様をお支えする者は、すでに決めております。」

 ガイア老人がかたわら従僕じゅうぼく目配めくばせをすると、一人の青年せいねん部屋へやに呼び入れられた。

 その青年には、女王も見覚みおぼえがあった。

 痩身そうしんの肩にゆるうね銀色ぎんいろの髪。

 そして整った相貌そうぼうには、アトランティスの民に特有とくゆうの緑の瞳が輝いていた。

「五年前迄、女王様にお仕えしていたネレウスです。女王様もご存じの通り、聡明そうめいさは民の中でも出色しゅっしょくです。周囲しゅういへの気配きくばりも出来る男です。この五年の間、私の手元てもとに置いて、私の持つ全てを伝えました。必ず、私の代わりに女王様をお支え出来るでしょう。」

 ガイア老人は、そう言うと静かに眼を閉じた。

「ガイア....」

 泣き崩れる女王の前で、ネレウスがひざまづいた。

「女王様、ガイア様がかれた事、誠に無念むねんです。ガイア様から委託いたくを受けたからには、私はこの身の全てを、アトランティスと女王様にささげます。」

 ネレウスの声に、女王は顔を挙げた。

 細面ほそおもて美貌びぼうほほに涙がつたい、大きな緑の瞳がうるんでいる。

 普段ふだんりんとした女王の風貌ふうぼうが、どことなく儚気はかなげに見えた。

「ネレウス。ガイアが指名しめいしたお前なら間違まちがいはあるまい。ずはガイアを丁重ていちょうほうむりなさい。その後、今後こんごのアトランティスについて、お前の進言しんげんを聞かせておくれ。」

 ネレウスは、傷心しょうしんの女王の姿を心配気しんぱいげに見た。

 そして一度開きかけた口をつぐむと、黙ったまま拝礼はいれいして女王の前から退出たいしゅつした。


 ガイアの葬送そうそうの後、初めて女王の前に参内さんだいしたネレウスはの表情ひょうじょうは暗かった。

「女王様。今のアトランティスを取り巻く状況じょうきょう深刻しんこくです。常々つねづね女王様よりうけたまわっております通り、我々の力は決して外部がいぶに知られてはなりません。しかし、ポンペイが我らの事をずっとさぐっております。」

 そう言ったネレウスは、女王が眼尻めじりを上げたのを確認かくにんしながら次の言葉ことばを繋げた。

「ポンペイには、近々ちかぢかローマから新しい執政官しっせいかん着任ちゃくにんするそうです。この事を知ったポンペイはあせっております。今まで以上いじょうにローマからの要求ようきゅうが強まるのではないかという懸念けねんが拡がっているのです。元々もともとローマへの対抗心たいこうしんの強い民草たみくさでしたから。このままローマに頭を下げ続けるのには嫌悪けんおがありましょう。そうだからこそ、ポンペイは危険きけんなのです。」

 ネレウスの言葉を聞いた女王は、その言葉の裏にひそ緊張きんちょうを感じてまゆを寄せた。

「ネレウス。お前の考える危険とは何です?」

「ポンペイは、ローマに対しての表立おもてだった反抗はんこうは、直ぐにはしますまい。しかし腹の中では、ローマへの敵愾心てきがいしんが燃えさかっています。何処どこかかで、反抗の姿勢しせいを示す可能性かのうせいが大です。そうなった時のポンペイは、必ずアトランティスに接近せっきんして来るでしょう。」

 それを聞いた女王は、表情ひょうじょうを引き締めてネレウスの顔を見上げた。

「ポンペイの者達は、アトランティスの民達たみたちの力に気づいているのでしょうか?」

 女王の問いに、ネレウスは首を横に振った。

「それは分かってはおりますまい。彼等かれらの狙いは、オリハルコンです。我らの島をおとずれようとするポンペイの者が、最近さいきんになって急に増えております。全て追い返してはおりますが…。アトランティスは自給自足じきゅうじそくの島です。ポンペイが欲するものなど、この島には無いはずなのです。オリハルコンのようなアトランティスだけの産物さんぶつは固く秘匿ひとくされています。しかし遠い昔に、ギリシャの哲学者てつがくしゃが、オリハルコンについてしるした事があります。その真偽しんぎを確かめようとしているのでしょう。オリハルコンが実在じつざいすると気づいた場合ばあいには、ポンペイはより危険な存在そんざいとなります。人の欲には限りがありませんから…。」

 それを聞いた女王は、悲し気な眼を宙に向けた。

「ポンペイは一体いったい何をしようと考えているのでしょうね?」

「オリハルコンを利用りようして、ローマに対抗たいこうしようと考えているでしょう。オリハルコンの実在をポンペイが知れば、必ず我らにオリハルコンの供出きょうしゅつを求めて来るでしょう。我らがオリハルコンの提供ていきょうに応じなくとも、様々さまざま謀略ぼうりゃくをアトランティスに仕掛しかけ来る危険きけんがあります。ポンペイを独立都市どくりつとしとしてローマに認めさせることは、彼らの悲願ひがんです。しかし、それだけでは済まないかもしれません。オリハルコンの力を使って、ローマ全土ぜんど侵略しんりゃくする事すら頭に置いている可能性かのうせいもあります。」

 女王は、ネレウスの言葉を聞いて嘆息たんそくを深めた。

「それでお前は、人の欲は限りないと言ったのですね。分かりました。ポンペイのように享楽きょうらくふける者達が、アトランティスの本当ほんとうの姿を知った時に何をして来るかを心配しんぱいしてくれているのですね。」

 女王の言葉に、ネレウスはうなづいた。


 アトランティスは、地中海ちちゅうかいに浮かぶ小さな島だった。

 人口じんこうは一千人余り。

 本来ほんらいならば、取るに足らない島である。

 しかし、この島に住む民は、普通ふつう人間にんげんにはない特殊とくしゅ能力のうりょくを持っていた。

 自然しぜんあやつる力、あるいは普通の人間には決して持ち得ない超常的ちょうじょうてきな能力。

 そして何よりも、アトランティスの民達は、誰もが途轍とてつもない長寿ちょうじゅの持ち主だった。

 五百年以上を生きる者も珍しくなかった。

 アトランティスがもっとも他の者達に知られたくなかったのは、オリハルコンなどではなく、民達が持つ特殊な能力と長寿だった。

 だからこそ女王は、それらを秘匿ひとくする為にアトランティスに鎖国さこく政策せいさくを敷いた。

 アトランティスの民は、おのれの能力を決して他人にさらしてはならない。

 決して島から出てはならない。

 この決まり事は、アトランティスの民達にとっては絶対的ぜったいてきなものだった。

 それをべるのが女王であるという事も、アトランティスに於いては絶対だった。

 島の統治者とうちしゃは、常に女性から選ばれた。

 かなり以前いぜんに、その事にいな主張しゅちょうした島の実力者達じつりょくしゃたちがいた。

 その実力者達は、ある時次々と雷に打たれて絶命ぜつめいした。

 その後、女王統治じょうおうとうちとなえる者は一切いっさい姿を消した。

 アトランティスの女王は、異能いのうの者がそろう民達の中にあっても、ずば抜けた存在そんざいだった。

 女王のたましい不死ふしだった。

 数百年に一度、女王の魂は、民の中から選ばれた若い女性の肉体にくたい転生てんせいする。

 その事によって、アトランティスの女王は常に若さと美貌びぼうを保った。

 そしてアトランティスの持つ智慧ちえも、全てを女王が継承けいしょうした。

 そんな女王は、はるか昔に、民達の中から自らを支える一人の長老ちょうろうを選んだ。

 長老は、としを重ねてぼっする前に、自分に代わって女王を支える新たな長老を指名しめいする。

 そして、新たな長老に自分じぶんの持つ全てを伝えるのである。

 このり返しで、長老の智慧ちえ代々だいだい受けがれていった。

 代々の長老は、民達の中から慎重しんちょう選抜せんばつされた。

 アトランティスでは、子供こども一定いってい年齢ねんれいに達すると、全員ぜんいんが女王の元に預けられた。

 子供達は、女王と長老からアトランティスの民としての生き方を学ぶ。

 そして、みずからの特殊能力とくしゅのうりょく覚醒かくせいを待つのである。

 そして子供達の覚醒した能力を見た女王と長老が、新たに女王の魂が転生する女児じょじと、次の長老となるべき男児だんじを選ぶのである。


 そんな統治のもと、アトランティスは、外界がいかいから閉ざされた小さな島の中で、自分達の能力を秘匿ひとくしながらひっそりと暮らしていたのである。

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