episode 004

覚王山日泰寺は、10万坪の敷地面積を誇るだけでなく、「釈尊」(釈迦)の真骨と言われている遺骨を安置している「奉安塔」を持ち、建立こそ明治37年とそれほど歴史のある寺院ではないものの、名古屋を代表する大寺院だ。

名古屋市内を東西に走るメインストリートの広小路通から日泰寺山門まで続く参道と境内では、毎月21日に”弘法様”と呼ばれる縁日がもようされ多くの人々が訪れるし、春、夏と秋には覚王山祭りも地域商店の露天が出て大いに賑わう。

地域に住む我々にとっては、そのたびに参道を車で通行できなくなるし、多くの人が集まってうるさいし、良いことばかりではないが、地域の活性化につながっているので悪いことではないと思う。


実家も名古屋市内にあるが、留学以降めったに帰国しない息子はいないものと諦めているので、顔を出す必要もない。

老齢の両親が贅沢な暮らしが送れるほどの金額を、毎月口座に振り込んでいるから文句を言われることもない。

私の育った家庭はごく普通のサラリーマン家庭で、私の知り得ないところではいろいろあったのだろうが、何不自由なく育ててくれた。

ただ、父親がやや右寄りの考え方の人だったために、天皇誕生日は必ず家族でお祝いしたし、憲法改正には賛成で、第九条が日本を戦争から守り平和な暮らしが維持できているなどと言っている人は頭がおかしいと教えられて育った。

大人になってみると、私もそのとおりだと思う。

憲法というのはあくまで国内法であって、通用するのは国内限定だ。

いくら日本が戦争の放棄を声高に訴えたとしても、北朝鮮はお構いなく核弾頭を打ち込めるし、ロシアは北海道に侵攻するだろうし、中国は尖閣諸島や南西諸島を領土とするのを躊躇しない。

そんなことが現実に起こらないのは憲法九条のおかげではなく、アメリカによる核の抑止力のおかげなのは明白だ。

残念ながらいまのところ武力の、核の均衡による平和維持しか国際社会で通用する平和維の持方法は見あたらない。

戦争放棄による平和維持など、理想論でしかない。

アメリカから日本を見るとこの事実がよく分かる。

我が国、日本は自分で自国を守れない哀れな、いつ滅んでもなんの不思議はない国なのだ。

唯一の救いは、原発があることだ。

原発があるイコール、ウランを保持していることだ。

ウランがあれば、大陸間弾道ミサイルなどの長距離は無理にしても、北朝鮮や中国、韓国くらいの隣国であればそれほど時間をおかずに核を製造して攻撃できる。

なので、世界は日本を核保有国と同等にみなしている事実をどれだけの日本人が認識しているだろうか?

まあ、アメリカ、中国、ロシアのように何千発もの核を保有し続ける核大国ではないにしろ、北朝鮮レベルであれば、それほど大きく変わらない。

日本の隣国、北朝鮮、中国、ロシアと三国ともに核保有国であることは、厳然たる事実だ。

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