05 サメ対策(2)

「──そもそも、なぜこのように海の外でも棲息できるサメが近年出現したのか? 諸君はその原因を理解しておるかな?」


 マイアミのアメリカ南方軍司令部内に置かれた臨時作戦本部で、居並ぶ高官や〝カルカロドン・ハンター〟の士官達を前にしても、無駄に自信あるいつもの態度でDr.ペーパーはトンデモ論を披露する。


「……どうやらわからないようだの。では、質問を変えよう。諸君は〝シュレーディンガーの猫〟という言葉を聞いたことがあるかな?」


 薄暗いミーティングルーム、皆が座る円形の白テーブルの前に立つDr.ペーパーは、プロジェクターのスクリーンをバックにそんな質問を投げかけてみ説明る。


「あれか? 箱の中に猫を入れて、開けた時に生きてるか? 生きてないか? とかいう……」


 他の者達が押し黙る中、カリントー大佐が相変わらずの険しい表情でそう答えた。


「そう! その通り! オーストリアの物理学者エルヴィン・シュレーディンガーが考えた量子力学の思考実験だ」


 その答えに、どこか愉しそうな様子のDr.ペーパーは、テンションの高い声を高い天井に張り上げる。


「箱の中に一匹の猫とある機械を設置する。その機械というのは放射性元素を入れて密閉した鋼鉄の箱で、その放射性元素が原子崩壊したことをセンサーが感知すると、青酸ガスが発生するという仕組みになっとる……つまり、原子崩壊が起きれば箱の中の猫は死に、しなければ猫は生きているというわけだ」


「いったいそのシュレなんとかの猫とどう関係があるのかね?」


 なぜか奇妙な実験の話を始めるイカれたサメ学者ペーパーに、少々苛立った様子で軍のお偉いさんが尋ねた。


「まあ、そう慌てなさんな。この思考実験の肝は、原子崩壊が起きるかどうかは五分五分だということだ。ミクロの──素粒子の世界では、相反する二つの状態が同時に存在している。この実験でいえば、原子崩壊が起きている状態と、崩壊が起きていない状態が重なり合っているということだな」


 しかし、その苦言にもどこ吹く風で、ペーパーはなおももったいぶって説明を続ける。


「そして、この重なり合わせは観察することによって、どちらか一方の状態に収束する……となれば、箱の中を見るその瞬間まで、青酸ガスが発生しないで猫も生きている状態と、ガスが発生して死んでいる状態が同時に存在しているということになる」


「そんなバカなことが。科学というよりむしろオカルトだ」


「ああ、確かにオカルトじみておるの。だが、それがミクロの世界での常識なのじゃよ……ま、シュレーディンガー自身はこれによって、量子力学の矛盾点を示そうとしたわけなんじゃがな」


 到底、科学とは思えないようなその理論に、マーティー警部は呆れたように肩を竦めるが、Dr.ペーパーはいたく真剣な顔をしてその言葉を否定する。


「しかし、この空想上の実験は、皮肉にも世界の真理を逆に示唆することとなった。即ち、マクロにおいても〝観察した時点でこの世界の在り方は決定する〟ということじゃ。この〝観察〟は〝認識〟と言い換ってもらってもいい」


 ペーパーによる、非現実的としか思えない量子物理学の講義はなおも続く。


「一方、この量子の重なり合わせの性質を用い、一定の間隔で極めてランダムに数字を現す乱数発生器という機械を用いたとある実験では、9.11やファイヤーマン・フィスティバルなど、人が極度の興奮を覚える状況において、ありえないような数字の偏りが報告されておる……これは、人間の意識が重なり合わせの収束に影響を与えている証拠じゃ」


「何が言いたい? つまり、あの積乱雲は人の心が創り出したものだとでも言うのか?」


「その通り! 近年、陸上を泳ぐサメや空飛ぶサメなど、水中以外でも棲息できるサメの映画が大量生産され、一定のヒットを得たことで人々の意識を変えた……もしもサメが空から降ってきたとしても、なんら不思議なことではない…というようにな」


 再び合いの手を入れるカリントー大佐の言葉に、我が意を得たりという様子でペーパーは結論を口にする。


「バカな! ありえない!」


「エイリアンがエリア51で働いてる方がまだ信憑性がある!」


 無論、高官達の間からは批判する声が噴出するが、ペーパーは無視して話を進める。


「だが、サメを降らす積乱雲が実在するのは確かだ。実際のメカニズム的には、洋上で発生した竜巻がサメごと海水を上空に巻き上げ、あの巨大な雲を形成したものと思われる……おそらくはアングラで大ヒットした〝サメを伴うトルネード〟を描いたB級映画が直接のトリガーになったんじゃろう」


「……あなたの仮説はわかった。Dr.ペーパー。しかし、原因がわかったところで問題が解決するわけではない。我々が求めているのはあの積乱雲を消滅させるための方法だ」


 話を聞き終わり、軍高官や関係者達がどよめく中、独りカリントー大佐はリアリストらしい端的な意見を述べる。


「フン。無論、それもすでに考案済みだ。相手が人の認識によって創り出されたものならば、こちらもその認識を利用してやればいい」


 だが、その厳しい意見にも動揺することなく、むしろ不敵な笑みを浮かべながらマッドドクター・ペーパーは答える。


「認識を利用する?」


「スキューバタンクじゃよ。巨大なスキューバタンクをあの積乱雲の中へ撃ち込んで爆発させるんだ。いわば、酸素爆弾じゃな」


 今度はマーティー警部が怪訝な顔で聞き返すと、驚くべきその具体案をペーパーは平然と口にした。


「スキューバタンクだと!? なにをバカなことを言っている!」


「冗談もほどほどにしろ! ミサイルでも吹き飛ばなかったのだぞ!?」


 そんなふざけているとしか思えない作戦案に、やはり高官達は声を荒げるのであったが。


「おや、知らんのかね? サメ映画の金字塔『ジョーズ』のラストでは、口にスキューバタンクを突っ込まれて爆破されるんじゃよ。あのサメ型の積乱雲を創り出した人々の頭にも、そのイメージは強く焼き付けられているはずだ」


 Dr.ペーパーは愉しげにその顔を歪めると、高官達を嘲笑うかのようにそう答えた──。

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