その一声に命を込めて ~その声優は鏡には映らない~

高坂シド

No Reflection in a Mirror

 春色も染め始めを終え、太陽から零れた灯りが8光分先の星々を捉えている。

 木々は緑を髭のように蓄えはじめ、往来を行き来する人々が手をかざして、光が指の隙間を縫うような頃。


 あー、あー、あー、と雑居ビルの前で発声練習をする。

 この日にかけて、服装は清潔感のあるものを選んできたつもりだ。

 ちゃんと鏡の前で髪の毛も整えて、髭も剃った。周りに対する印象は悪くないはずだ。


――このキャラクターは、どういう思いでこの台詞を吐いたのだろう?


 この役のオーディションに備え、それを一生懸命、考えてきたはずだった。

 原作をめちゃくちゃ読み込んできた。

 自分なりにこのキャラクターのことを考えてきたはずだ。


 マイクの前に立つ。

 周囲の注目を一身に浴びる。

 緊張して喉が枯れそうだ。


「ユア・エンタメプロ所属、南健みなみけんです。よろしくお願いします!」


 彼、南健は、プロの声優だった。


 音響監督が『どうぞ』と手を差し出した。




 演じる役は熱血系の主人公。


 いつも元気で、小さなことにくよくよしない。


 だからその台詞は、怒鳴るように言うのが普通であったはずだ。


 他の者が、大声で情感を秘めて述べた台詞を、健は極めて、努めて冷静に発した。


 だから、よけいにその声は際立った。




「うるさい……くどい……」




 その陰気な言い回しに、周囲が少しざわつくのを感じる。


『そのキャラは、そういうキャラじゃあないだろう』


 しかし周りの者は、そのキャラ作りがなぜか腑に落ちる感覚もある。


 28歳。それといった実績のない崖っぷちの南健が、はじめて主役を獲得した瞬間であった。




※※※※※




「389円になります」

 

 そう言って、南健は営業スマイルした。


 このコンビニで18歳から働いて、もう10年が過ぎようとしている。

 上京してきた大学時代から、売れない声優となって980円で始まった時給は昇給を繰り返して、今では1160円となっている。


「マネージャーにならないか?」


 店長はそう言って来ている。

 本格的にコンビニ勤めを本業にしないかとのお誘いだった。

 給料は倍以上になるよ、と言ってきたのが魅力と言っちゃあ魅力である。


「もう、夢は諦めて実家に帰って来い」


 両親もそう言っている。

 お見合いをさせて家業を継がせたいのだ。

 親の家業は国家試験が必要で、今から修行兼試験勉強を行うとすれば、ギリギリの年齢ではある。


 オーディション会場と、ユア・エンタメプロ社と、コンビニと、アパート。

 この4つだけを行き来して、6年。

 友人たちは、結構なキャリアを築いて来ている。自分と言えば、演じたキャリアにモブAとモブBが追加されただけだ。たぶん、それはもうモブZを越えて、アルファベットでは数えきれないだろう。


「グエンさん、もう賞味期限切れのパン、抜いた?」


 ベトナムから日本に出稼ぎに来ているグエン・バン・ヒューさんが鷹揚に何度も頷いた。

 ちなみに、このコンビニにはもうひとりのグエンさん。グエン・キム・ホアさんもいる。


 顔が知られている人気声優であれば、人前に出るコンビニでなぞ働けない。

 皮肉なことに、健の知名度の無さがそれなりの待遇の働き場所を許可していた。




 ポケットの中のスマホが、通知を告げた。

 ユア・エンタメプロのマネージャー、桂からのものであった。


『南さん。『その機械人形ヒロイン、狂暴につき』って作品のオーディションが来ていますけど、出ますか?』


『何役ですか?』


『キツイかもしれませんが主役と、あとサブキャラを2役ほど受けたらどうかと』


『わかりました』


 その場で『その機械人形、狂暴につき』という作品をスマホで検索する。

 どうやら、原作はコミカライズ化されたものが3巻出ているライトノベルらしい。

 すぐにコミカライズの方の電子書籍を買って、客がいないときに読み始めた。


「なんだ、これ……めちゃくちゃ面白いじゃん!」


 主人公の『イマ・ダイゴ』が、ヒロインの機械人形『オカ・サヤ』を伴って彼女に感情を取り戻させつつ活躍するという冒険活劇であった。

 前のめりになるよう読み進めて、気がつけばページをめくる指のスピードが増していた。

 そして、最後まで読むとまた最初に戻して今度はゆっくりと主人公の感情に寄り添いながら読んでいく。


 するとどうだろう。

 情熱的で熱血な主人公が、実は寂しさを感じる孤独な少年のように思えてくるではないか!


 健の声質は、成人した男性にしてはやや高い少年のようであった。

 線の細い主人公声とも言えるかもしれない。

 だから、オーディションはいつも倍率が高い。

 同じような主人公声の男性声優と、少年役を希望する女性声優もライバルだった。

 



 南健は暗い高校時代を過ごしていた。

 友達はあまりおらず、3年生になるとその数少ない友人たちともクラスが離れ離れになった。

 新しいクラスメイトは、ウェーイ系のとても仲良くなれそうもない男女たち。

 我慢に我慢を重ねて登校していたが、夏休みが終わるとどうも体の調子が悪い。まさか、夏休み明けに『学校に行きたくない』と言う学生に自分がなるとは思わなかった。


 受験シーズンであるにもかかわらず、現実逃避してアニメに逃避した。

 日常系の主人公や、熱を感じさせる脇役、たった一度しか出番がなかった割にはやけに脳裏に焼き付いたモブ。どれもが好きになった。


 あるとき、このキャラクターを演じているのが誰なのかが気になった。

『声優』という職業を初めて知った瞬間だった。

 

 自分もこういう風に演じてみたい!

 他人になりきりたい!

 現実ではなれないキャラクターになりたい!

 

 将来の夢が決まった。

 あとは、親を説得するだけだ。




 案外、楽に親は説得できた。

 高3になって死んだ眼をしていた息子の眼に生気が戻った。

 だったら、その夢を応援してやりたいと両親は思ったのだ。


 東京の大学に進学して、大日本ナレーター養成所にも入所することが決まった。

 それぞれ文学科と声優科を卒業し、ユア・エンタメプロ社の入社面接。


「南さん。あなたの得意なことはなんですか?」


「はい。今一般的に知られていることを違った解釈で説明することです」


 それから、だれでも国語の授業で一度は読んだことはある夏目漱石の『こころ』を今までとは違った解釈で説明しだした。

 面接官は最初は興味深く聞いていたが、飽きたのだろう。

 2分が過ぎると厳しい顔をして、3分経つと『ありがとう、もういいよ。君のことは充分わかった』といって打ち切った。


 それでも、ユア・エンタメプロのジュニア部門に合格した。

 3度の契約更新を打ち切られずに、ここまでやって来た。

 でも、ここらで売れないと次はないかもしれない。




 健はコンビニのバイトが終わると最寄りの本屋によって『その機械人形、狂暴につき』のライトノベル全巻を購入した。

 そして、アパートの部屋に戻ってベッドの上に転がって読みふけった。


 主人公のイマ・ダイゴは、とても情熱的な少年だ。

 なんでも熱血で解決しようとする、今では絶滅危惧種の主人公。

 暑っ苦しくて逆に『これ、今の時代に受けるのか?』と心配になってくる。


『うるさい! くどい!』


 とダイゴはよく言う。

 まるでYESマンしか求めない独裁者のように。


「こりゃ、嫌われるわ……」


 健はそう思った。

 だが、脇を固めるキャラが良い感じで、イマ・ダイゴの暴走は止められることが多い。


 そのたびに、ダイゴは成長していく。


 ただ一言の


『うるさい』


 が意味を持っていくように健には思えたのだ。




「ふー、良かった……」


 7巻を読み終えるころには、健は完全にダイゴに感情移入して一晩明かしていた。

 そして、続きが読みたくて、コミカライズが連載されている週刊リングアベルを読むために、スマホを取り出して、『リングアベル+』というアプリを落とした。

 月額324円を支払って、最新話まで読むと、やはり『その機械人形、狂暴につき』は面白い。

 作者の笠乱りゅうらんという人はどんな男なのだろう? やはり、こういう世界観を文章で丁寧に表現できるのだから結構頭が良い人だよな、などと考えてしまった。


「自分だったら、どうダイゴを演じるかな?」


 公園に行って練習しようと足を運んだ。

 

 遊具で遊んでいる少年少女、空き缶を前にしてギターをかき鳴らしている若者、漫才の練習をしている二人組。

 いろいろな者がいる。

 ここで、演技の練習をしても浮くことはないだろう。

 頭の中で反芻して、実際に声を出してみる。


「うるさい! くどい!」


 どうもしっくりこない。


 ベンチに座って、また『その機械人形、狂暴につき』を読み返す。

 イマ・ダイゴという人間は、思ったより複雑な人間であるのではないか?

 ダイゴという人間を自分の感情に当てはめてみる。

 すると、彼の『うるさい』には何十パターンもあることに気づいた。


 健も声優として崖っぷちだ。

 だからこそ、ピンチのときのダイゴに共感できる。

 彼が仲間から助けてもらったときに発する『うるさい』はただのがなり声ではないはずだ。


 なぜだか、健はダイゴと同調シンクロした感じを受けた。




※※※※※




 ダイゴ役を求めて集まった人々は、まだ10代の少年から、50代の女性まで幅広い人間が集まっていた。

 人の熱波に押されそうになりながらも、健は落ち着いていた。


 もう一度、原作を取り出して読み直す。

 本の表紙に描いてあるダイゴは、それはそれは活発そうな男の子だった。

 間違っても、挫折などしそうにはない。鬱屈とは無縁の存在でありそうだ。

 そうでなくては、若者の共感を得ることなど出来ないであろう。

 適度にラッキースケベもあるし、彼を慕うヒロインたちとの心の交流もある。

 まるで自分の暗い学生生活とは180度違う。




「イマ・ダイゴを演じさせていただきます。ユア・エンタメプロ所属、南健です。よろしくお願いします!」


 はっきりし、シャキシャキした声で健は言った。

 これから発する声とは真逆だ。


「はい、南さん。お願いします」


 息を吸い込み、腹に力を込めて、その台詞を吐き出した。




「うるさい……くどい……」


 情熱を感じない台詞を、健は冷静に発した。

 初めて作品を読んだときに感じた、ダイゴの儚さ。

 機械人形ヒロインを人間にするためなら、どんなことでもやろうとする懸命さ。

 情熱を感じさせながらも、どこかで冷めている決めゼリフ。

 他に演じたものはそうはしなかったから、その声は違和感しか感じない。


 折れてしまいそうな、か細い声。

 今までの演者が、生への執着、熱い気持ちをぶつけてきたのに対し、そのダイゴはまるで死にに行くように冷たかった。




 ブースの中で、それをみたアフロヘアの男が指を鳴らしたのが健の目にかすかに入った。




※※※※※




 その日、健はスマホのソシャゲの収録に来ていた。


「もっと熱を感じるようにお願いします」


 次々とリテイクが積み重ねられていく。


 健が演じるのは、基本的にレアリティが低いキャラクターだ。

 言ってみれば、これもモブである。

 ☆4、レアリティが最高段階の☆5から一つ低いキャラを一体だけ演じている。それはこのゲームでは性能が良いとは言えず、☆4の中でもモブキャラであった。


 収録が終わり、自分へのご褒美にコーラを買った。

 コンビニでは高いので、安売りしているスーパーへと向かう。

 定価162円のそれは、ここでは76円で売られていた。

 思わず3つも手に取り、レジに並ぼうとすると、また桂から連絡が入った。


『南さん、合格です。『その機械人形、狂暴につき』のダイゴ、決まりました』


 スマホを見ると、健はびっくりして持っていたコーラをひとつ落としてしまった。転がったそれは、シュワシュワと泡を立てている。

 売り場に戻って交換してもらおうかとも思ったが、結局そのまま買った。記念に取っておこうと思ったのだ。


 コーラとスマホをそれぞれ手に持ち、健は、トイレに入り鏡の前でシャッー! っと声を挙げた。

 気のせいか、鏡に映った自分は自信に満ち溢れているように見える。

 トイレから出て列に並ぶと、不気味に感じた人々が違うレジで勘定を済まそうとそそくさと逃げて行った。


――この喜びが、簡単に周りの人間にわかってたまるか


 役を得られたからだけではない。

 南健という人間。

 自分を知って、認識してくれた人がいたのが嬉しかったのだ。


 28年の人生。8年間の役者人生。

 どっちも誰もが知らないモブであった。

 

 それが今現在、どちらも羽ばたこうとしている。

 成果が100%出るとは言えない世界だ。実際、あと2年がタイムリミットだった。

 若いイケメンの後輩が次々出てくる世界。

 そんな中で、蜘蛛の糸をようやく掴んだのだ。


 他の誰にも、この役は譲りたくなかった。

 自分の限界をここで見て、それを越えたような気がしたからだ。


『イマ・ダイゴ』という存在は、『南健』という人間にとって切り離せないものとなるはずであった。




※※※※※




『その機械人形ヒロイン、狂暴につき』のキャストが発表された。


『主人公、イマ・ダイゴ。南健』

 

 原作のファンたちは「誰、こいつ?」と騒ぎ始めた。

『無名だな』

『それほどイケメンでもないよね』

『声、あってなくね?』


 95:5の割合で否定する声が聴こえてくる。


 放映が開始されると、批判のピークは頂点に達した。

『俺たちの思っているイマ・ダイゴを返せ!』


 情熱をほとばしらせるはずの、ダイゴ。

 なんでもその直情的な性格で解決するヒーロー。

 求められていたのは、もっと有名で、イケメンで、肉感的な声が出せる声優だった。


 南健が発するダイゴは、それはそれは弱そうだった。

 健の声は、弱々しい。

 だが、時折出す『うるさい』は芯の強さを感じさせる。


 それでもまだ、大部分の人を納得させるには時間がかかった。




『その機械人形、狂暴につき』のネット・ラジオもはじまった。

 パーソナリティは主人公役の南健とヒロイン、オカ・サヤ役の武田優たけだゆう


「はい、はじまりました。『その機械人形、狂暴につき』のwebラジオ、『そのラジオ、狂暴につき』」

「はじまっちゃいましたね~」

「実は僕、ラジオって初めてなんですよ。武田さん、進行とかフリとかお願いしますね」

「え~、私も初めてなんですよ!」

「そうなんですか!」

「ええ!」

「じゃあ、ふたりで成長していきましょうね!」


「さて、こんなお便りが届いていますよ。『第1話、すっごく面白かったです。特に武田さんのセリフの言い回しが機械人形に合っていて、これから感情を取り戻すサヤにすっごく感情移入できました……』」


 武田優は売り出し中のアイドル声優だ。

 若干、棒読みな部分もあるが、それがまた機械人形のオカ・サヤによく似合うと評判である。

 彼女が台詞に感情を込められたときには、原作の機械人形もエモーションを取り戻しているかもしれない。


「『ラジオ、楽しみに聴いています。毎週、アニメの放送が終わった後に更新されるラジオが楽しみです。ダイゴもサヤも頑張って生きていると思えば、現実の私も頑張ろうと思えてきます』」

「役者冥利に尽きますね~」

「違う違う。これはダイゴとサヤに向けられたメッセージなの!」

「『現実の私』も頑張って演じてますよ?」

「そりゃね。まあね。職業だからね」

「そっちのが現実的じゃないですか!」


 


 アニメの販促ラジオでは、基本的に否定的なメールは読まない。

 ときには、批判的なメールも届くことがある。

 それは健が、ダイゴを演じるのを批判していることが多い。


『なんで南健さんがダイゴを演じているんですか? もっと別の方が良かったです』


 電波に載せることはない。

 だが、確実に健の心を抉っていく。




「武田さん。俺ってダイゴ演じて良かったのかな?」

「何言ってんですか! 良いに決まっています!」


 私だって、棒読みをからかわれているんですから! と、彼女は健を自虐的に励まし続けた。

 自然、ふたりの距離は近くなる。




 第15話のアフレコともなると、演者もスタッフもこなれてきて、そこに一体感が生まれる。

 ましてや、健は主役は初めてだ。この作品の座長とも言っても良い。周りを見渡し、気を遣うことも多かった。


 そんな折に、原作者の笠乱がブースにやって来た。

 差し入れとして、岡山の名産・吉備団子を大量に持って来て。


 健は彼を意識している。尊敬してるとも言い換えられる。

 もう田舎に引っ込もうかと思っていた自分を、この世界に繋ぎとめてくれた、いわば恩人だ。

 どんな人なんだろうと、興味が湧かないはずがない。


 笠乱はアフロヘアをした、190センチ近くの大男だった。

 しかし、威圧感を感じることはない。

 逆に、その長身が腰を折る丁寧さから、好感を持たずにはいられなかった。


「笠先生。ダイゴ役に選んでくださったのは、先生の鶴の一声だと伺いました。なんで僕なんかを抜擢してくださったんですか?」

 そう聞かずにはいられない。


 今ちょうど世の中で、第3話が放映されている頃だ。

 自分の声が、ダイゴと合わないとネットで叩かれているのを知っている。

 原作の売り上げにも関わってくるだろう。

 それを思うと申し訳ない気持ちでいっぱいだ。


「それはね。南さんしか、私の納得のいく『うるさい』を出せなかったからだよ。自信を持って演じてください」

 

 その言葉に救われた思いがした。

 原作者のイメージと自分の感覚が共有されていたのだ。

 嬉しくないはずはない。


「笠先生はどこの大学出身なんですか?」


「私は高校中退なんですよ」


 えっ、と健の眼が見開いた。

 別に学歴マウントを取ろうと思ったわけではない。

 健の出身大学は名門とは程遠いし、これだけの作品を書ける作者の出身校はそれはそれは良い大学だろうと考えていたからだ。


「私、高3の夏休みが終わったら、学校行きたくなくなったんですね。3年生まで通って中退なんておかしいでしょう?」


 笠は声を挙げて笑った。

 健は引きつった愛想笑いをしたが、心の底からは笑えなかった。


 ある意味、自分にも訪れた分岐点で、違う方向に進んだのが笠乱という人物だった。

 そう考えると、笠乱の考える情熱的なダイゴと、健の考える冷えたダイゴというキャラクターは、自分そのものだとも感じたからだ。




 アニメは2クール目も終わりに近づいた。

『少しずつ感情が、サヤに宿っているのを感じます。最近の優ちゃん、感情が籠もっていて優ちゃんがサヤを演じてくれて良かったと心から思います』

『サヤがダイゴを好きだと認識したときのあの表情。思わずニヤニヤしてしまいました。おふたりも仲が良さそうで良かったです。ゴールデン・コンビですよね!』

『ダイゴとサヤみたいに、リアルでも健さんと優ちゃんがくっつかないかなあとか思ってしまいます。そうだったら嬉しいのに……』


 それでも、こういうメールはやって来る。


『ダイゴは南さんに合ってないと思います。サヤも武田さんが演じるには荷が勝ちすぎる。ラジオも聴いていますけど、なんかコレジャナイ感がすごいです』




※※※※※




 原作者が納得しているとはいえ、評価を下すのは視聴者である。

 そういうメールは、無視するべきだった。反応するべきではなかったのだ。

 だが、チクチクと健の心を痛めつける。

 個人でやっていたSNSで、健はお気持ち表現した。


「確かに、否定的な声は多いです。ですが、僕は一生懸命僕なりに解釈して、ダイゴを演じています。そこだけは認めてほしいです。僕がダイゴを演じることで嫌な読者は、多様な解釈をアニメにも認めるべきです」


 燃え上がるネット。

『誰がこいつにダイゴを演じさせようとしたんだ?』

『声が合ってないじゃないか』

『思っていたのと違う』


 酷いのになると、人格否定どころか殺害予告まで送られてきた。


『南と武田、付き合ってるみたい』

『あー、ラジオで言われてたのマジだったんだ』

『匂わせあったもんな』


 ふたりのSNSで『照合』が開始される。


『南健は、ガチで害悪! 今からでも遅くない。イマ・ダイゴを降りろよ!』




 そんな折に、作者の笠乱がSNSを開始した。

『本物かよ?』

『なんでこの時期に?』

『火中の栗を拾うつもりか?』


 原作のファンは、みんなそのアカウントをフォローした。

 だが、いつまで経っても呟かない。

『偽物じゃないのか?』

 ファンがやきもきする。


 アカウントに、SNSの公式マークが付いた。

 そして、笠乱が

『私が無理を言って、ダイゴには南健さんをキャスティングしてもらうように言いました』


 ネットは再炎上した。

 業火に油が注がれたのだ。

 ガソリンが巻かれたかのように、すべてを燃え尽くすかのように大炎上した。

『ダメだよ、それは……』

『作者が一番の害悪だったとは……』

『笠乱とかいう『ソノキカ』のエアプ』




 健が出演している他の作品にも、それは飛び火していった。


『もう、南健を出演させるのは止めてくれ!』


 どの原作者もそう思い始めていた。

 健自身も、メンタルが病み始めている。

 優がいなければ、乗り越えられなかった。

 一回。2本撮りなので2週分、webラジオの収録を休んだが、そのときの優の気丈な対応を健は一生忘れないであろう。

 休みを挟んで戻って来ると、スタッフは拍手で迎え、優は涙を一筋こぼした。




 第二期が、放映された。


『なんで、この作品に二期が作られるの?』


 そういう声でいっぱいだった。


『海外人気が高いらしいよ』

『ああ、話の筋は良いもんな』

『向こうでは吹き替えだからでしょ?』

 無責任な声が溢れる。


 健は自信を失っていくのを実感した。

 ダイゴというキャラクターは、自分が演じるには大きすぎる存在であったのだ。


 如何せん、彼を好きな人が多すぎる。

 作中でも作外でも。


 それでもイマ・ダイゴは自分だ、という認識は強い。


――このキャラクターは、自分ではないか


 誇りを持っているはずだ。

 その証拠に鏡など見なくても、自分がキャラに憑依し、憑依されているのがわかる。






 それからまた2年が経ち、『その機械人形ヒロイン、狂暴につき』のライトノベル最終巻が発売されようとしている。


つぐ・そのラジオ、狂暴につき』というネットラジオに続き、『きらめき・そのラジオ、狂暴につき』が新たに始まり、アニメも第三期が開始されようとしていた。


『煌・そのラジオ、凶暴につき』の第一回ゲストは、原作者の笠乱であった。

 今まで顔も見たことがない、声も聴いたことがない人気作の著者の突然の登場に、ネットは少し湧き上がっていた。

『最後の販促だから、出てきたんだろうなあ』

『まあ、絶賛と炎上の繰り返しだったし』

『終わり良ければすべて良し。サヤが人間になって、ダイゴと結ばれればそれだけで良いよ』




 そんな中、最終巻をフライングゲットした読者が、結末をネットにアップした。

『ダイゴ、最後『うるさい』って言って死んじゃう!』




「ダイゴ、死んじゃうみたいですけど……」


 健が、笠に問うた。

 昔の漫画であれば、演じる声優が自分のキャラクターのことを原作者にひとことモノ申すことは多かったらしい。

 今の気持ちは健も同様だ。


『イマ・ダイゴ』というキャラクターは、この3年で南健と同化したはずだ。

 いわば、自分を切り売りされている気分だ。愉快であろうはずはない。

 このキャラクターのおかげで、運命の人物に出会えもしたし、軽く鬱になったりもした。

『イマ・ダイゴ』は『南健』と代名詞に変えても良いかもしれない。


 胸中は複雑だ。


――自分とダイゴを切り離して考えるなど、これから先の声優人生でも考えられない!

 

「ダイゴはね、『Now I`m Die Go』なんですよ。いい加減な英語のダジャレですけど。命を燃やして、燃やして、燃やし尽くして最期にはその炎でみずから燃え尽きてしまう。最初からその意図を、南さんは読み取っていたんですね。その上で、物語の最後の『うるさい……くどい……』が一番似合う声優さんが南さんだった。だから、無理を言って南健さんにイマ・ダイゴという人物を選んだんです」

 アフロヘアの原作者はそう言った。


 ラジオを聴いている熱心なファンは、否定したい気を持ちつつも、作者の言葉に納得した。

 確かに最期の『うるさい……』は南健にしか言えない言葉だ。

 他のファンたちも頷き始めた。

『ダメ絶対音感』でラストの『うるさい……』を南健の声で再生すると、それはもうとんでもなくハマリ役ではないか!


 健も納得した。

 納得できてしまったとも言い換えられる。

 自分が初めて作品を読んだときに感じた、ダイゴの弱さ。

 サヤヒロインを人間にするならどんなことでもやろうとする冷徹さ。

 希望を感じさせながらも、どこかでそれを失っている決め台詞。

 すべて符号がいった。


 自分が演じた『最初のイマ・ダイゴ』は間違っていなかったのだ。

 だからこそ、自分が選ばれた。

 やはり、南健が直感で感じたダイゴはそうであったのだ。




 ライトノベルが原作にしては珍しく、『その機械人形ヒロイン、狂暴につき』の最終クールはプライムタイムに放映された。

 遅まきながら、だれもが南健によるイマ・ダイゴに魅了され始めた。


 そして最終話の『うるさい……くどい……』という台詞が放たれると、ネットでは祭りが起こった。

 ラノベファンや漫画ファン、アニメファンだけではない。

 一般人にもその台詞は浸透し、流行語大賞にもノミネートされた。

『urusai,kudoi.』として、海外でも通じるようにもなった。一番日本語の中で有名な言葉と言われるようにもなった。




『ダイゴには、南健しか考えられない!』


 健は一流声優の仲間入りを果たした。

 日本だけではなく、海外のフォーラムでも知られるようになった。

 地上波のテレビにも出演するようになったし、オーディションではなく直接指名で作品に出るようになった。


 出演作品は雪だるま式に増えていく。

 南健のキャラクターはみんな人気になっていく。




 はずであった。




※※※※※




『南健ってさ、どれを聴いてもイマ・ダイゴだよね』

『思った!』

『他のキャラの声聞いても、頭の中にダイゴが浮かんじゃうよね』

 そういう声が、拡がっていった。


――確かにダイゴは俺だ。だが……


 役のイメージが強すぎて、健の声はいつの間にか無個性からダイゴ専用機と言われるようになってきた。

 他の役をやっても、「ダイゴ、ダイゴ」と呼ばれる。

 嬉しいはずの出来事だった。

 だが専用機はそのままの意味で、役を選べなくもなってきた。

 

「優、俺どうしたら良い?」


 姓を武田から南に変えた優に、健は問うた。


「代表作なんて、誰もが持っているわけじゃないんだよ!? それはそれで幸せなことなんだよ?」


 正論である。

 だが、健は今度は納得できない。

『イマ・ダイゴ』を越えるキャラクターを持ちたいと思うのは欲張りであろうか。




「今日は『ソノキカ』でダイゴを演じていらっしゃった南健さんがお越しになっています!」

 そう言われて、地上波のテレビにも出る。

 食うに困ることはなくなった。

 もうコンビニのバイトも辞めたし、親も故郷に帰って跡を継げとは言ってこない。

 妻となった優と、生まれてくる息子と共に、声優として東京で一生暮らしていく。

 そう思っていた。


 だが、『イマ・ダイゴ』を越えるキャラクターにもう会えない。

 自分の限界はここまでなのだろうか?

 どこの現場に行っても、音響監督が『もっとダイゴっぽくお願いします』とディレクションしてくる。


――ああ、俺はもうイマ・ダイゴから逃れられないのだ






「なあ、優」


「なに?」


「俺の田舎に帰らないか?」


「声優、辞めちゃうの?」


「そうだなあ……」


「今辞めたら、絶対後悔する。半端な気持ちなら、辞めるべきじゃない!」


「俺に……」


「ん?」


「俺に、ダイゴからの逃げ場はないのか……?」






『イマ・ダイゴの死』は、文字通り『声優としての南健の死』であったのだ。

 求められているのは、南健ではなかった。イマ・ダイゴなのだ。


 それからの13年間。

 健はまたもや死んだ眼をして、声優を続けて行った。




※※※※※




「これ、面白い!」


 無邪気な顔で息子がそう言った。

 よりにもよって、『その機械人形ヒロイン、狂暴につき』を観て息子がそう語っているではないか!


「主人公とヒロインが、ハマリ役なんだよ」


 小5になった息子は、そう言ってそのアニメを無邪気に親にも進めてくる。

 両親の馴れ初めがこの作品であると聴いたら、苦い顔をするかもしれない。

 だが、当時産まれてなかった自分の子供が、自分の作品を面白いと言ってくれるのは感慨深い。

 今までの自分を肯定された気がする。


 世はリバイバルブーム。

 平成後期に流行ったものが、令和になってまた活動を再開しようとしている。

 ファッションや、音楽、美術といった芸術系の過去のものが再び脚光を浴びようとしている。




「南さん。『その機械人形、狂暴につき』をリメイクするから、またダイゴ役お願いしますよ!」


 そう言って、プロデューサーが菓子折りを持って家を訪ねてきた。


「今は、ほら。声優交代するといろいろうるさいから。あ、奥さんも。昔のような棒読みは、もう無理でしょうけどね」


 優はそれを苦笑で応じた。

 上手く演じるよりも、下手に演じる方が難しい。

 失礼に感じると同時に、それを肌で知っているからだ。




「また、『ダイゴ』に振り回されなきゃならんのか」


 十数年ぶり。

 旧友に再会し、嬉しいようで寂しいようでもある。

 けれども肌が艶を帯びて、血色が良くなってきたと妻が言う。

 若返った! と息子が少ない語彙で告げた。

 死んでいた眼が生き返っているのを、自分でも感じる。


 再び、webラジオが復活した。

えにし・そのラジオ、狂暴につき』は前代未聞なことに、レギュラー・パーソナリティが実の夫婦である。

 ラジオの内容はこの16年間で起こったことが語られ、繰り広げられる。

 リスナーも家庭を持ち、『子供と一緒にラジオを聴いている』とメールが送られてきた。


『やっぱり、ダイゴは南健じゃなきゃ!』

『結末わかってるけど、面白いもんな』

『なんか、最期改変して、ダイゴ生き残って物語続いていくらしいぞ』




 そうだ。

 また物語の中で『ダイゴ』が死んだら、俺はどうなるんだ。

『Now』ではもう済まされない。

『ING』にそれはなる。

 過去であったものが、現在進行になってしまう。




 再び、『ダイゴ』に死が訪れたら、また『南健』も死んでしまうのではないか?


 キャラクターに声優を重ねてみていた時期が確かにあった。

 だが、声優がキャラクターに自分を投影したとき、それはどうなるのであろう。


 良い言い方をすれば、それはメソッド演技だ。

 しかし確実に死が訪れるキャラクター。それに自分を重ねるのであれば……




 13年間、自分は精神的に死んでいた。


 これから復活しようとしている。


 だが、またすぐに死ぬことも知っている。


 南健はそれが遠い未来であることを願っている。


 近い将来に確実に訪れることを察知している。


 そして今日も、必死にダイゴを演じようとする。




「今の俺なら、もっとうまく立ち回れるはずだろう?」


 過去の自分は、一秒毎に死んでいる。


 だが、今なら。今の自分であれば、ちゃんと過去を乗り越えられる。


 数年ぶりに原作本を手に取る。


 読んだ感想は変わらない。だが感覚が違う。


 年月を重ねてきた。無駄ではなかった。


 愛する人ができた。愛しい子供ができた。


 過去の自分が問いかけてくる。


「ダイゴ以外のキャラだって演じてきただろう? 20年以上のキャリアを築いてきたじゃないか。もうちょっと幅の広い『うるさい』が今のおまえなら言えるようになっているはずだ」


 少しずつ増えていった人生経験が、演技に深みを持たせるようになってきている。


 未だに取っておいたあのときのコーラのキャップが、棚に飾られていた。


 それを見ると痛みを感じると同時に、喜びもまた湧いてくるのだ。




 彼は声を静かに張り上げようとしていた。


 その一声に真実の命を込めて。


 それは何かの最期かもしれない。


 そういう季節がまたやって来る。




 ふと鏡を見やる。


 

 年月を経たその中に、限界という名のものはもう訪れることはなかった。






           ~了~

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その一声に命を込めて ~その声優は鏡には映らない~ 高坂シド @taka-sid

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