王木亡一朗「殺した息の葬式: Be the one that saves me?」書評

 王木亡一朗氏の「殺した息の葬式: Be the one that saves me?」を読了しました。


 余計なお世話かとは思いますが、父親になった氏の作品はどんどん角が取れて、よく言えば温かみを重視した作品、悪く言えば毒にも薬にもならない作品になっていく可能性があるのかなとは思っていたのですが、今回はとんでもなく重い作品を投入してきたので驚きました。


 本作の冒頭は主人公である万由子が父親を迎えるところから始まります。


 父親は殺人の罪で17年間服役していました。


 父親が殺した相手は、万由子が小学校3年生の時に彼女を強姦した、同級生の父親でした。


 長き時を経て元に戻った家族。当然の如く浦島太郎状態の父親は、スマホを噂に聞いていたけどよく知らないなど、意図せず浮世離れした感じになっています。


 そういった社会との間に出来た溝を埋めつつ、万由子の一家はかつての幸せを取り戻そうとします。


 その一方で加害者の家族として世間から逃げ続けた佐野璃子さの りこの存在が描かれていきます。


 自身の罪ではないとはいえ、父親の犯した犯罪が世間で許容されるわけもなく、一家で世間から逃げるように生きていきます。


 そんな二人を繋ぐ自称ジャーナリスト。この男が実にいけ好かない奴で、好事家剥き出しのキャラクターで万由子と璃子の対立を煽っていきます。


 はたして万由子や璃子は本当は得られていたはずの幸せを得られるのか。また、二人の対立を煽る自称ジャーナリストの目的とは……?


 すべてが明かされた時、あなたは傍観者でいる事が出来なくなる――。


 ……といった作品です。


 作品の感想としては、氏にしてはかなり重い作品を書いてきたというか、独身の時でもこういった痛みや目を背けたくなる物にはあまり積極的に関わろうとしない傾向を感じていましたが、今回は薬丸岳のようなアプローチで攻めてきたなと。つまりは贖罪ですね。


 贖罪がすべてではないのですが、こういった直接の加害者でない人達が背負った十字架や痛みにどう向き合うのか、本当の正義というものは何なのか、今回はかなり考えさせられた作品だと思います。


 加害者がいれば被害者もいるわけで、どちらも理不尽な運命に苦しんでいる点は共通しています。また、加害者と被害者はちょっとした事で入れ替わる事もあるわけで……。


 私は「正義」が持つ怖さを表現するために「鬼娘の千倍返し」や「カチコミ山」(芥川龍之助平名義)を書いてきました。


 上記は「正義の復讐」が持つ恐ろしさをいくらか包含した作品になりますが、そのまんま表現するとおそらく説教臭くなるか、重すぎて向き合いたくない感じになるかと思ったので、あえて「正義の味方」を茶化すような視点で作品を書きました。その方が読む方も受け入れやすいからです。


 ですが本作はこの状況が誰の人生にも起こり得るという視点で書いています。


 物語としてのとっつきやすさはよもかくとして、読者に逃げ道を用意していないのですね。だから読む方は茶化すことも出来ずに、重いテーマと正面から向き合わないといけない。


 物語の面白さは勿論ありますが、本作を読んだ後にはどうしても「私ならどうするか」と自問自答する事が避けられません。


 ゆえに軽い気持ちで読める作品ではないかと思います。でも、それでも読んで欲しいです。


 本作は世間で溢れている客観性の無い「正しさ」に警鐘を鳴らす作品になるかと思います。


 この世界には理不尽な事がたくさんあって、幸せはちょっとした事で瓦解してしまう事もあります。


 だから、愛する人がすぐ近くにいるのだという事を再確認する意味でも、本作には読む価値があるのではないでしょうか。


 話は少し変わりますが「ノックバック・ビヨンド」で「リドルストーリー」という言葉を知りました。


 リドルストーリーの定義をWikipediaから引用します。


■リドルストーリー

 ――リドル・ストーリー (riddle story) とは、物語の形式の1つ。物語中に示された謎に明確な答えを与えないまま終了することを主題としたストーリーである。リドル (riddle) とは「なぞかけ」を意味する。

(引用ここまで)


 本作では、万由子にしても璃子にしても、これからどう生きていくのか。それが明白には描かれていません。


 そういう意味では、本作は本当の正解を個々で考えるリドルストーリー的な側面があるのかと思います。


 万由子であれ、璃子であれ、彼女達は彼女達なりに、自身の幸福を模索しながら、しばしば人生の厳しさに懊悩しつつも前へ進んでいくのだろうな――そう思うと、本作には素敵な余白があると思うのです。


 余白は、もちろん白紙です。


 だから、それは私達が個々に仕上げていく必要があります。


 人生の余白をどのような色に染めていくのか。


 それを決めるのは、どういった立場にあろうが、結局は私達一人一人に他ならないのです。


 正月から素晴らしい問いをありがとう。


 私はきっと、それを何年もかけて解いていくのでしょう。

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