3
「おい」と、雑虗に声を掛ける。
木の
「テメェ、斎藤トシオだな」
この雑虗は生前、斉藤トシオという名前だった。
工場の派遣社員で享年40歳。
真面目で気の弱い男だったが、ある日、工場の先輩に連れてこられたこの店のキャバ嬢、ミユキ(源氏名)に一目惚れし、何とか気を引こうと給料をすべてこの女に貢ぎ、それだけじゃ足らずに会社から給料の前借り、消費者ローンに手を出して焦げつかせ、最後は闇金から借金を重ねていたという。
だが、ミユキの方は斎藤を便利なATMくらいにしか思ってなくて、もうこれ以上金が引き出せないと知ると、あっさりと捨てちまった。それもかなりこっ酷いやり方で。
その翌朝、全てを失った斎藤は、わざわざミユキの住むマンションの屋上から飛び降りて、その惨めな生涯を閉じた。まぁ、よくある話だ。
生前に深い恨みを残して死んだ人間の魂は、腐って穢れ悪臭を放ちつ。それがあいつ。哀れな斎藤の“成れの果て”ってわけだ。
俺は、グラサンを外すと胸ポケットから取り出したタバコに火を点けて、吸い込んだ煙を深く吐き出した。
ちなみに、グラサンはU0(幽霊)遮断レンズ使用で、タバコは瘴気を打ち消す成分を含んだ特別な葉が巻かれている。どちらも霊能者用の特製品だ。
「テメェ、ミユキとかいう女に随分入れ込んでだらしいな。それでこっ酷くフラれて死んだって?
でもよ、相手は男をその気にさせるプロだぜ。素人のテメェごときがどうこう出来る相手じゃねえって事くらい、本当は薄々分かってたんだろ?」
『うるぜえぇえぇぇぇぇぇ!!!』
雑虗となった斎藤が叫ぶ。黒板を爪で引っ掻いたような耳障りで不快な声に、俺たちは思わず顔を顰めた。
『ミユギは、あの女は、オデのごとを優しぐで好ぎっていっだんだ!!結婚ずるなら、あなだみだいな人がいいっで!
ぞれなのに、ぞれなのにあのおんな……オデを裏切りやがっでぇぇ!!』
ノイズ混じりの聞き取りずらい言葉で、雑虗は呪詛を叫び続ける。
『オデが一文無しになっだどだん、アンダみだいなクソだぜえオッザン、金がながっだらダレも相手なんがずるわけねえだろっで!!
どっがに消えろっで!!
ごの店の連中ど笑いモのにしやがっで!!
オデは、オデハ、本気であいじでだのに……だがら――』
だから。
「だから、ミユキを殺したのか」
俺の発した一言に、雑虗は一瞬怯んだような素振りをみせ、隣のセイも驚いたように俺を見た。
証拠は何もないし、女、ミユキは雲隠れしただけかもしれない。
だが、俺には確信があった。
他の雑虗と比べても一際ひでぇ悪臭。原型を止めないほど腐り歪んだ魂。
俺はこのおぞましい魂を“知っている”。
「兄貴、それって……」
「さっき、あの縦じまスーツが言ってたろ。ミユキはコイツが死んだ日に”消えた“ってよ」
「それじゃぁ……」
あぁ、間違いねぇ。
「ミユキは“消えた”んじゃねぇ。コイツに殺されたんだ」
『オ、オデは悪ぐない!!あいづが、あのオンナが!!』
「うるせぇ!」
俺はありったけの大声で、元斎藤の耳障りで不快な声をかき消す。
「被害者ヅラすんじゃねえぞ斎藤。テメェ、ミユキを『本気で愛してた』と抜かしやがったが、返せねえほどの借金こさえて、金だの品物だの貢ぎまくったのは“あわよくば”ってスケベ心があったからだろうが!」
『ぢがう!!』
「違わねぇ! 女はな、男のスケベ心なんざ全部見透かしてんだ。
特に歌舞伎町の女は騙し騙されの修羅場何度も潜ってきてんだよ。テメエごときの安いスケベ心なんざ、最初からお見通しよ」
話しながら横目でセイを見る。俺の意図に気づいたセイは、雑虗に気づかれないように、こっそり奥で気絶している弥生の正面に移動した。
「この街じゃあな、惚れた腫れたはギャンブルと同じ。惚れさせ貢がせりゃ勝ち。惚れて貢いだら負け。勝負に負けてオケラになりゃぁ大人しく場から離れる。それが唯一絶対のルールだ。なのに、テメェは負けた腹いせに女を殺しちまった」
コートのポケットからメリケンサックを取り出して右手に嵌める。人間にも悪霊にもダメージを与える優れものだ。
「こいつは重大なルール違反だぜ」
『オデは悪ぐない!! オデは悪ぐない!! オデは悪ぐない!! オデは悪ぐないいぃぃぃぃぃ!!』
元斎藤は、俺の言葉など聞く耳持たぬとばかりに叫び続け、酒瓶だのグラスの破片だの、すでに半壊状態の椅子やテーブルまでもが、宙に浮き上がっては俺目掛けて飛んでくる。ポルターガイスト現象ってやつだ。
だが、その殆どは俺ではなく壁や床に当たる。駄々を捏ねるガキが、手当たり次第に掴んだ物を投げるだろ? あんな感じさ。
さて、手順その1「交渉」は決裂。そろそろ“手順その2”に移行しようか。
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