悪党は死んでヒーローになる。CA版

きゃきゃお

第一章

第1話

「やあ、少年……」


 男と出会ってしまったことは幸運なことに僕は世界と繋がり、不幸なことに世界は僕と繋がってしまった。

 世界を動かす錆びついた歯車は僕とヤツの出会い、僕という潤滑油でまたあの時の勢いを取り戻す。

 人類進化の歴史、目まぐるしく変化する歴史とはどの世界を辿っても同じく、ほんの小さな出来事によって繰り返される。


「僕は占い師だ。キミに待ち受ける運命を占わせてほしい」


 この出会いは運命だったのかもしれない。


「いったい何なんですか?」


 少年はいつもの通り人気のない路地裏を選んで学校から帰る途中だった。

 突然膝まで隠れる白いローブに身を包む男に声をかけられる。声にはまだ大人になり切れない少年らしさを残したままだったが、その雰囲気は人生二度目と思わせるほど落ち着きと余裕があった。

 少年は制服の袖に隠した刃物を相手に悟られぬよう慎重に手に握る。


「何ってさっきも言った通り僕は占い師さ。占うことが僕の仕事で偶然僕の目の前を通りかかったキミから何かを感じた……それだけだよ」


 男は占い師だと言い張るが、少年は彼の言葉を信じることはできなかった。

 泥棒を生業とする少年にとって敵は報酬額よりも多く、時には暗殺者を送ってくる金持ちや直接僕の狙う場所へ先回りして命を狙う者も居る。人気のない路地で声をかけてきた男を敵と考えるのは当然のことだろう。

 なら、目的はなんだ?暗殺なら声をかける前に終わらせられる、現に僕は男が話しかけなければヤツの存在に気が付くことは無かった。簡単に僕を殺せたはずだ。

 とにかくまずは目の前の男の武器を調べる必要がある……しかし、男は黒い皮のような質感の手袋をしていることで手の傷や火傷跡のようなモノは見ることができない。

 では、あの白いローブはどうだろうか?武器を隠すには十分だ。


「なあ、どうだい?キミには魅かれるモノがあるんだよ……それは水晶やら巻物のような道具を使わなくても感じられる」

「あんまりしつこいと警察呼びますよ……」

 

 不気味だ。

 男は何度断っても引くことなく一歩前進をする……近づく白いローブからは反射的に後退りをしてしまう。

 僕と男の距離は遂に一歩半、お互い顔のよく見える距離まで近づいてしまったが、男は人を占いたいなどと言ってはいるもののその顔は隠され僕からはその顔を拝むことができなかった。

 僕の身長は174㎝と少し、男子平均を少し超える少年とは頭一つ離れている。180㎝以上と仮定すると見上げるほどの男に路地裏で詰め寄られるのは恐怖でしかない。


「何のために占うんだ……」

「好奇心」

「自己満足のためか」

「本当にキミは心配性なんだね。僕はキミを襲ったりはしないし、僕の見る未来は100%当たる……いや、キミのことはキミ以上に知っているから外すことは無い」

「こんな路地裏で少年に詰め寄る大人ほど信頼できないヤツはいない。例え実績があってもだ」

「ならばキミの短い人生を勝手に少し覗かせてもらうよ。これが当たっていたらキミは僕を信頼するんだ……なに、お代は取らないさ」


 男はローブの袖口から乾燥された干物のようにカピカピに固まった巻物、長年使い古されたことで黄ばんだ紙を取り出すと丁寧に紙を巻くために使われてた紐をほどき始める。

 目の前で広げられた紙には文字が書いてあるようには見えなかったが、手袋を外した男の傷だらけ……ほとんどが火傷によってできたであろう傷、皮膚が裂け一生治ることのない右手の人差し指を少し傷つけ出てきた少量の血を紙に擦りつける。


「見えたよ。キミの名はソラ、幼いころに両親を亡くし…………。この東大陸の孤児院で育ったようだね。なんで泥棒をやっているか、までは言った方がいいかい?」

「け、結構です!」


 もし何も書かれていない紙に写った文字が見えたというなら男は本物だ。親が居ないことと僕が泥棒をやっていることを当てられるのは凄いことだが、当たってしまった以上この男はここで殺さなければいけない。

 知りたいと思うことは誰にでも許される行為、当然の権利であるが実際に知ることは罪だ。

 知りすぎただけで人が簡単に消される世界をわざわざ覗く馬鹿は居ない。占い師ならこの後どうなるかぐらい予想しているだろう。


「キミはこれから議員の邸宅に向かうのだろ?」

「なんでそれを……」

「言ったはずだ。キミの未来は全て知っている……」


 男は顔を隠すフードを突然外した。

 フードを外して最初に現れたのは顔を隠すまで伸びきった白髪で、手入れなんてのを長い間やってこなかったのだろう、栄養なくボサボサで乱れていた。

 そして男の顔には血を吸収しシミのできた包帯が巻かれていたが、男はそれを丁寧に外し始める。パキッ、ペリッと外すときに音が鳴るように外された包帯には変色した皮が少し張り付いている。

 やっと現れた顔には口元や頬の部分に刃物によって抉られ凹凸があり、光の感じない深紅の瞳は僕に向けられているが、不思議なことにその瞳は僕を見ていない。

 そのとき動物として人間に残された本能が男を敵と認識する。

 ソラが手に隠していた刃物を構えると同時に男はローブの袖から一本の赤い薔薇を取り出す。男から殺気を感じとって武器を構えたら相手の出した物が薔薇だったことに驚き呆れた刹那、ソラは膝から崩れ落ちていた。


「占い師の僕はやめた……これからは案内人だ。キミをこれからある人の下へ連れて行く……」

 

 うつ伏せで倒れたことで男の顔は見えないがブーツが近づいてくるのは視界に入っている。

 男は占い師から案内人に転職したようだが、いったい僕をどこに連れて行くのか。まあ、地獄でなければ僕はどこでも天国だ。

 担がれた僕の体はゆっくりとどこかへ向かう。

 意識は完全に途絶えていなかったが、体は痺れ意思に反して動くことを拒んでいた。恐らく神経系に作用するガスだろう……男の袖から取り出した薔薇から出ていたに違いない。

 男は無言で路地を進み続ける。僕から見えるモノは違法に営業を行う路地の店から廃棄された謎の液体がまき散らされ、先日の雨によってできた水溜まりやハエの集るネズミの死骸。四つの大陸で発展をしている東大陸と言えど主要な都市部のはずれはどこも今見る景色のように薄汚いところだ。

 大陸の政府は綺麗な街を目指すが、実際はこの広い大陸を全て把握しているわけではなく人目のつくところだけが発展していき、その発展に置いて行かれた人間は仕事もろくに貰えず飢えて死ぬか、違法な薬物に頼って最期は幸せな中毒死するかなど普通な生活を知る人間にとってはお世辞にも良い未来とは言えない最後を迎える。

 だが、彼らだって最後は死んだ冷たい体をネズミに食われ、ネズミが猫に食われ、食った猫の糞になって大地の栄養になれるんだ……きっと幸せだろう。


「着いたよ……」


 占い師から案内人と職を変えた男は目的の場所へ到着したことを告げる。ただ、残念なことに男は僕を肩に丸太のように担ぎ、見える景色は彼が今歩いてきた背後の世界のみで案内人が何を見ているのかを知ることはできなかった。


「キミはまだ盗みをするのか……?」


 案内人は優しい口調でそう問いかけてきた。


「こ、言葉の意味が……よく、分からない……」


 ようやく体から毒が抜けてきたようで途切れ途切れの片言ではあるが口が動き始める。しかし、脳みその方は男の言葉の真意を読み取れていない様子で脳を介さず脊髄反射のように言葉を返す。


「そのままの意味だ。キミは幼いころから盗みをおこない施設の人を困らせてきた。まだシスターたちを困らせるのか?」

「…………。僕に生きる道があるなら見せてくれよ……占い師。それ以外の道があるってなら他の道を見せてくれ」

「残念ながら占い師はさっきやめたばかりだ。だがキミは賢い、大学に行ける学力はある。もう盗みはしないで普通の人間の生き方をするんだ……」


 普通ってなんだ。生き方に普通なんてあるのか?正解の生き方なんて存在するのか?


「ああ、存在する。必ずキミは今の生き方を後悔するよ」

「なんでそこまでハッキリと言えるんだ」

「だって…………」

「それはどういうことだッ……!?」


 男は僕に聞こえるか聞こえないかのギリギリのボリュームで耳元で囁くともう一度あの赤い薔薇の香りを嗅がせる。今度はさっきよりも長くそして濃く全身に毒を回らせるために時間を使う。

 毒は効いていた。数秒で僕の体は硬直し、指先に力を入れようとしてもそれは自分のモノではないように意思を無視するか痙攣を起こして毒に抵抗するが無力。


「今なら遅くない。僕と約束しろ、そしたらキミをあの施設に戻す……。彼女はきっとキミを守ってくれるはずだ」


 しかし、男の言葉に反して藻掻こうとする僕にため息を一つ。


「もう戻れない……これがキミの選択だというなら好きにしろ。僕の案内はもう終わった……キミは死を待つだけだ。人間の絶望を粘土のように固めて作られた世界でね」


 男は担いでいた僕の体を空中に突如発生した先の見えない黒い渦に投げ入れる。

 意識の遠のく僕の視界に最後に入ったのは悲しい顔をする男……口元だけがゆっくりと動いているのが見えた。


――生き残りたければ抗え……


 渦の中では体がバラバラになっていく感覚、気持ちのいいものではないが、軟体動物のように骨を失い指先から頭のてっぺんまでをのしかかる重力に耐えきれずぺしゃんこになるのは初めての経験だった。

 いったいどれだけの時間が経過したのだろうか?光が入らず、風すらも感じることのできない無の世界で外の状況を知ることはできない。

 体感では10分であっても外の世界では10年かもしれない。

 そして、そんな疑問の答え合わせはすぐ行われた。

 僕の体は黒い渦から吐き出されると日の光を浴びることができた。


「眩しすぎだろ……」


 光は容赦なく瞼の内側までその光を焼きつける。土から出てすぐのモグラの気分だった。

 光に慣れてきた頃、僕はようやく自分に何が起こったのか確認を始める。

 体には骨が戻っていて骨格も変わっていない、毒の効果も切れて体には自由が戻っていた。

 ズボンを叩き土を払って周りを見回すと一瞬だったが呼吸を忘れてしまっていた。

 視界に映った景色は崩壊した世界……いや、まだなんとか文明を維持していると言ったところだろうか、建物は時間の経過と共に朽ちて人間による手入れがなくなり伸び放題の植物によって飲み込まれている。

 そして電波塔……僕がいつも路地を通る時に目印として利用するソレは常に西側に存在した。太陽が電波塔と同じ画角に入るタイミングとは街の色をオレンジ色に染め上げる夕暮れ時のみ、だが目の前で鉄骨の錆により根元から傾いた電波塔は昇る太陽と重なっていた。


「西から昇る太陽だと……?」


 案内人はいったいどこに僕を案内したんだ。

 まずはここがどこなのかの確認と他に人が居るかを把握しなければ……見たところ人の姿は無い。

 放置された店や家はボロボロになってはいるが、さっきまでいた僕の知っている街と同じだから同じ街と考えよう。


「誰かいるのかー?居たら返事してくれー」


 しかし、返ってくる返事は無かった。原因はわからないが崩壊した世界と共に人間もあの世に連れて行かれたのだろう。

 数十分、ソラは歩き続けやっと自分の通う学校まで到着する。学校の場所が自分の居た街と変わらないことでここが同じ場所だと確信できたのは良かった。街を知っている人間からすると動きやすくなったのは良いことだ。しかし、人が居なければ何があったのか把握ができない。

 そこで生存者がどこか避難するなら学校で生きている人間がいるならここしかないと思って来たのだが、学校も他と同様窓は全て割られていて壁も一部破壊されている……ただ、不思議な点があるとするなら壊れた部分は不自然、言葉の通り時間の経過と一緒に自然によって破壊されたとは思えない。

 実際、学校の大きくて頑丈な壁に爪痕を残せる動物なんて僕は知らない。

 二階から一階までを切りつける鋭い爪と巨大な足跡を残した犯人はなぜ学校を狙ったのか、そこに生存者がいたから?ならばこの足跡、爪痕を残した犯人は人間を食べることになる……出会ったら最後。僕は確実に食われて死ぬ。

 僕は恐る恐る破壊された校舎の中に足を踏み入れる。当然、校舎内も人の気配はないし、人の居なくなった建物に住み着いた獣の気配もない。


「死体が無いってのはおかしいな……ここを襲ったバケモノは丸ごと飲み込んだって言うのか?」


 血も肉片も人の存在したっていう痕跡一つ残らないのは流石におかしい。

 だが、自分の教室の扉に手をかけたときやっと謎が解けた。

 腐臭と血の臭いが充満するまさに地獄、込み上げる胃の中身を必死に飲み込むもうとするが教室の異臭が混ざって胃の中に入り込んでくる。

 教室の天井すれすれまで巨大化し固められた肉塊、いったい何人分だろうか?鮮やかなピンクや黒く汚れた肉が少しうごめき、外へ助けを求めるよう突き出された手がゆっくりと肉塊の内側へと引きずり込まれていく……。


「案内人は無事、キミをここまで連れてきてくれたようだね……」

「だ、誰だ!?」


 誰もいない、気配も殺気も感じさせず僕の背後にソイツは立っていた。

 黒いフルフェースで顔を隠し、案内人とは反転して全身を黒いパイロットスーツのようなモノを身に纏う男はこちらに拳銃を向けていた。

 僕はその姿を確認して身構えるが、相手の武器が人間の動きを超える拳銃であっては無駄なことだとすぐに判断して持っている武器となるモノを床に投げ捨てる。


「賢明だな」

「銃が相手じゃ勝てない……」

「安心しろこれはキミへのテストで警告だ。今、キミが僕の持つ銃に怯えて走って逃げたらその部屋に居る肉塊がキミの存在を見つけてあの世まで追いかけるところだった……。それにここで逃げ出すようなヤツに力は与えられないしな」

「力……?なんのことを言っているんだ?」

「おや?案内人から聞いていないのか……?」


 そのとき大地を揺らす獣の雄叫び、耳を塞いでも雄叫びは鼓膜を強烈に振動させ学校に残った窓枠が音に共鳴するように金属音を鳴らす。

 男は拳銃をこちらに向けながら視線だけを外に向ける。


「困ったな……説明もなくこの世界にのこのこやって来たんだったら無駄死にだ。せめて説明だけはしてあげないとな」

「な、なんなんだ……この雄叫び……」

「バケモノさ……この世界はヤツらのおかげで崩壊した。さ、キミも早く立ち上がって逃げる用意をした方がいい。この部屋の中に居る肉塊が動き出すぞ」


 男の言う通り教室の中で今まで静かにしていた肉塊は突如、体から飛び出る人間の細い腕を不規則に動かし起き上がろうとし始める。ひっくり返った虫が必死に藻掻く姿を連想させる動きだ……。

 そして同時に外の雄叫びも段々と近づいてきている気がする。


「おいキミ!突っ立っていないでついてきな。死にたいならそこでジッとしていて構わないがな……」


 男はいつの間にか校舎の階段まで後退している。音もなく危険を察知しての行動、慣れているようだが初めてのことに僕は戸惑い出遅れていた。

 僕はとにかく男を信じて階段まで走る刹那、教室の壁が内側から破裂するように大穴を開けて中の肉塊が出現する。数本の人間の腕が不規則に一生懸命がむしゃらに動きまた壁に大穴を開けて学校の外へと飛び出ていく。


「いったいどうなっているんだ……」

「話は後だ。とにかく屋上まで走れ!」


 階段も老朽化なのかさっきの肉塊のようなヤツに破壊されたのか、瓦礫によって限られた道だけが残っている状況だった。走りずらいが男はそんなことを気にせず瓦礫の上をジャンプで飛び越えるなど人間のできる動きを超えている。

 そして屋上に到着した時、ようやく外で何が行われているのかを目にした。

 それは一方的だった……人間を吸収した肉塊が学校の外でこれまた人間とはかけ離れた姿をしたバケモノに殺されていた。

 人間と同じ二足歩行をしたソイツは、肉塊を持っていた斧のようなもので切り開き何度も何度も繰り返し岩のようにゴツゴツした拳で殴る。皮膚を持たない肉塊の表面など二足歩行のバケモノにとっては粘土のようなモノ、肉を貫き噴き出る血を浴びてもなお殴り続ける。

 例えバケモノ同士であっても見ていられない程に惨い殺し方だ。

 最後に二足歩行は痙攣する肉塊から生える人間の腕を引き抜き、自分の口の中へ放り込む。これがヤツの狩りで、獲物を捕食しているだけだ。


「よく見れたかい?アレがキミの敵だ」

「敵……?何のことなんだ、僕はなんでこんなのを見ているんだ!?ここはどこだ!アイツ等はなんだ、アンタは誰なんだ!?」

「質問は一回でまとめてもらって助かるが、どれから答えるのが正解なのかな?そしてキミはそれを理解できるか?」


 理解できるかなんてそれこそ意味が分からない。

 占い師、いや案内人か?どっちでもいい……アイツに連れてこられたこの世界はどこなんだ。破壊された世界ってあのバケモノにか!?

 頭が割れそうなくらい情報が多くて困る!


「ゼロ……いや違ったアスタ、儀式の準備をしろ。やっと見つけた」

『また訳のわからない予備を見つけたのか?私もそんなに沢山送られては困ってしまうよ……違反者も出たしこれ以上お前には付き合ってられない』

「そう言わずに頼むよ……では少年。ここで何が起きたかを簡潔に説明させてもらう」


 男は薄くて小さい板を僕の方へ滑らせてきた。板に恐る恐る触れるとソレは明るく光り始めて何もない空間に映像を映し出す。僕の知らない技術、小説や漫画の世界で使われているホログラムというやつだろうか?

 ホログラムに映し出されたのはさっきの二足歩行のバケモノの姿だった。


「ソイツはネス……悪魔の類で僕らが倒さなければいけない敵だ。ソイツらの親玉があるモノを狙ってこの世界で戦っている。僕らはソイツらの狙うモノを守る……なにか質問は?」


 ざっくりと簡潔な説明だった。こんな状況じゃなければしっかり理解できたのだろうが、悔しいことに今の僕には全てを理解することができなかった。学校の下ではバケモノの雄叫びが近づいていてもう時期僕らを見つける頃だろう。


「バケモノから何を守るんだ……?まさかアレと戦うんじゃないだろうな?」

「いや、アレと戦う。まあ、見て覚えろ……」

「え?ちょっと待っ――」


 男は手袋を外し指の骨を数回鳴らすと校舎四階の屋上から飛び降りる。

 ただの飛び降り自殺であっても驚きだが、男はわざわざバケモノの居る場所を選んで飛び降りた。パラシュートもなく、武器もさっきの拳銃のような人間や小動物にしか利かない豆鉄砲、とてもあのバケモノに通用するようなモノではない。

 バケモノは飛び降りてくる男に気が付いたようで校舎を睨みつける。

 そして男はバケモノに向かって数発の弾を撃ち込む。火薬に引火し破裂する音が聞こえたが、こちらからは予想通りバケモノには利いていない様子しか見えなかった。


「磁力発生確認……クリエイト完了。射出!」


 刹那、バケモノはなにか強力な力によって仰け反るように体勢を崩し男のもとへ白い長物が一直線に向かってくる。

 男はそれを空中で掴みそのまま落下しながら構える。

 太陽の光を反射させる刀身は閃々迸る一本の残光を残し風と共にバケモノを断ち切る。遅れ切られたことを知るバケモノの体が左右に分かれ地に倒れた。

 最後に声をあげることも許さないその一太刀人の目にも美しく見えた。

 急いで僕は男の居る学校のグラウンドまで降りて何をしたのかを問うが男の手には既にバケモノを切った刀はなかった。


「か、刀はどこ行ったんですか?さっきまで手に持っていたじゃないですか」

「アレは僕がヤツの体から作り出したモノだ。ヤツが消滅すると共に刀は消える」


 あの一瞬でバケモノの体から武器を作った?あり得ない……バケモノが居る時点で可笑しな世界だが、人間にそんなことができるはずはない。


「不思議そうな顔をするね、バケモノが居るなら僕のような人間だっているだろ。これが力だ……。キミも今のようなモノを使ってバケモノを倒すんだ」

「え、それってどういう……」

「バケモノと戦う僕をキミも見ただろ?僕の力は物質の再構成……さっきは武器だったが物に触れればなんだって作れる。例えばロボットとかね……」


 男はついて来いと手招きしながらまた学校の中に入っていく。

 二階の教室、崩壊前のいつもなら裏山しか見えない窓のはずが頂上から山腹までを三日月形に抉られ今までは見えなかった山の向こう側が見えた。

 そこには世界を見下ろすように佇む巨大な木、数万年以上前からこの地に根を張り神のような威厳ある姿にソラは一目で心を奪われる。


「あれはいったい」

「アレが僕たちの守るべき存在。この世界を作り出した絶対者だ……」


 窓の外れた窓枠に座る男の“絶対者”という表現はあの木を表すのにこれ以上の言葉はなかった。

 飲み込んだはずの唾液が喉を通ることを拒みその姿を拝もうと必死に抵抗する。存在しない爪の神経が指先の熱と血の移動と変化する空気を知覚する。


「アレをバケモノの親玉は欲しがっている。ヤツらの手に渡ったとき世界はどうなると思う?」

「どうなるんですか……」

「いや、正直言って僕にもわからない。ヤツ巨大樹は自分を手に入れた者の願いを叶えると言われている……噂程度だが、この地上を欲するバケモノにアレを奪われることはあってはならない」


 願いを叶える木?それをバケモノが欲しがっている、それも地上を自らの物にするため……。

 願いを叶える木だとわかっているなら当然それを守る彼にも目的があるはず、木を守れと言われボランティア活動を行っているようには見えないし、ボランティアでバケモノと戦い命を張るのは割に合わない。

 彼もまた何かを望む者なのだろう。

 するとつま先から背筋へと疾走するように伝達される嫌な予感、寒気に近いが気温が下がったとか風が吹いたとかそういうのではない、高熱の時に感じる悪寒のようなモノだ。


「来たか……紹介しよう。僕の協力者だ」


 ざらついた殺気を滲ませて現れたもう一人の人間が教室の中に入って来た。

 ヘルメット男の他にまだ生存者は居たようだ。

 四ツ目狐の面をつけてこの男も表情や顔つきを僕から隠している。だが、僕の知っている世界も含め今まであって来た男たち同様にこの男もただならぬ気配を感じる。それに鍛えられた体は無駄を限界まで削ぎ戦いの為のスマートな体躯を維持していた。

 並んだ四ツ目のどこで僕を見ているのかはわからないが、男は僕を一瞥すると横を通り過ぎ荒々しくヘルメットの男の胸ぐらを掴む。

 さっき男は協力者だと紹介したはずだが、何も知らない第三者から見たら協力しているようには見えない。いつでも爆発する火薬庫、お互い信頼関係は無く利害の一致で手を組んでいる様子だ……そこに個人の情は感じられない。


「おい、これはなんの冗談だ。なぜあんな小僧を連れてきた?これ以上俺達の仕事に関わる無駄は減らせ……」

「ふぅん……」

「何か文句があるのか?」

「ならば聞こう。キミはいったい何に対して怒っているんだ?キミはいつも僕のやることには口を出さず無視してきたじゃないか?ゼロ……いや、アスタに新たな可能性を持つ者を探させたとき、そしてそこから逸脱者が現れたときもキミは口を出さなかった……しかし、なぜ今になって僕の方針にケチを出すんだ?」


 何もまだ詳しい説明を受けていない僕には二人が何故口論になったのか、恐らく僕が原因だというのは察しが付くが感情の読めない二人の会話からでは全てを知ることはできない。

 そして狐の男からの答えは無い。

 二人とも顔と表情は見えないが睨み合い何か一つきっかけができた瞬間、ここで血の流れる戦いに発展するだろう。実際、僕は二人の睨み合いだけで膝が小刻みに震えて胃が絞られる感覚に陥っている。

 二人の事情は知らないがここで争うのは得策ではない。外に居るバケモノを二人が個人の力で倒せるくらい強いというのはわかっていても生存者の二人がここで敵対して良いことがないというのは僕にもわかる。

 

「まあいいさ……キミにも感情が残っているようで僕は安心した。それ以上は聞かないであげるから外のバケモノ倒しててよ」

「説明が終わったらその小僧は元の世界に戻してやれ……そしてお前」

「ぼ、僕ですか……?」

「あの樹に近づくな……お前が知るにはまだ早い。二度と近づくんじゃない、願いなんて叶えてもらおう……なんて甘い考えは捨てろ」


 いったいなんだったんだ?狐の男はそれを言いにここまで来たのか?


「彼が感情を表に出すなんて珍しいこともあるもんだ……まあこれでようやくこの世界のことを話すことができる」


 ヘルメットの男は立ち上がり僕の額に真っ黒に染められたバイザーを当てる。ヒンヤリと冷たさを感じるバイザーをなんで僕に当てたのか、まるで内緒の話をするような距離だった。


「この世界はさっきも言った通りバケモノによって破壊された一つの世界だ。どうやらキミの住む街にソックリのようだが……前回の戦場はさっき紹介した僕の協力者の住む街にソックリだったんだ」

「え、場所が変わったんですか?」

「残念ながら彼の世界を救ったらここに行きついていたから僕にも彼にもさっぱりだ。わかるのはいつの間にかここに来ていつの間にか戦わされていたってことだけ」


 彼は戦場という言葉を使用した。

 戦う相手はバケモノなのかそれとも他にも存在するのか……。

 男の話では前回の戦場は協力者(四ツ目狐のお面をつけた男)の住む街を再現した場所でそこもここと同じく崩壊した街であったようだ。そこでもあの大きな樹は存在していてあれを守るために戦わされたらしい……そして今回も。

 戦場となったからには当然、多くの人間が死んだ。この街も前回の街もバケモノによって大人だけでなく罪なき純粋無垢な子供もたくさん死んだ……僕は彼の話す過去で初めてバケモノに対して明確な殺意というモノを覚えた。

 許せなかった。

 大人はどうなったって構いやしない、彼らは自立して一人で生きようと思えば生きられるんだ。だが、子供は違う。

 男は静かに怒りを鎮めようとする僕に気が付き、どこか遠くを見つめただ「仕方なかった」とつぶやいた。

 そんな説明をしているとき、彼の声はどこか寂しそうだった。だが、それは当然だ……戦いに勝ってもまたこんな場所で戦わされているんだから。

 何度も死を間近に見てきた彼は「もう終わらせたい」と僕に告げた。

 僕はもう一度教室の窓の外、距離感を感じさせない程立派な樹に目をやる。

 ソイツはまるで僕を呼ぶように脈打つようにほんのりと明るい光を点滅させながらその大きな両腕を広げて待っている。


「なんだか今日はやけに輝いている……何かと言うのはハッキリわからないが、何かおかしいんだ。ヤツは何かを探しているのか?」


 初めて見たモノだ、僕にソレが何かはわからない。

 だが、常に冷静でバケモノと戦っているときでさえ声色一つ変えなかった男はどこか焦っているようにも見えた。表情は見えないが動作が多くなっていることで彼の内心を表している。

 そして外の巨大樹はますます光を強めこちらに近づいているように……いや僕の方が、僕の魂の方がやつに近づいているのだろう。

 なぜか僕の脳内にはいろんな映像が流れ込んでいた。

 同じ惑星、同じ世界で生まれそして死んでいく儚い生命。全ての動物に植物、そして命を育む自然には始まりがあった……一つの巨大樹によってそれらは分かれ、そして最後に彼らは再開を果たす。


「まさか選定を始めたって言うのかここで!?おいキミ、ここへ案内した人間の顔を覚えているか?」


 巨大樹の光によって意識が取り込まれかけていた僕の魂を引き戻すかのように彼は僕を揺さぶり質問を行う。


「え……?白髪の顔に傷ができた男でした」

「…………クソッ!またまたあの男か、未来が変わっちまうじゃないか!儀式とか色々すっ飛ばしてキミを僕らの正式な一つの道にする!ヤツより先にだ!」


 僕の中では既に案内人の顔は靄がかかっていてハッキリとは思い出せなかったが印象に残っていたパーツを答える。

 そして巨大樹が光始めてから男は冷静さを失い、彼の言っている意味が最初から最後まで理解できていないが何か一刻を争う事態だというのはわかる。

 男は脇腹のホルスターから白銀に輝くリボルバーを取り出し僕に向けた。


「な、なんの冗談で……?」

「時間が無い、キミには二つ選択肢を与える……一つは我々と共にここでバケモノを倒す。もう一つはキミの未来を決定させる」

「僕の未来を決定させる?」

「ややこしい話だ……説明するの凄い嫌だ。そっちを選ぶなら彼女が教えてくれるはず……多分……」


 この人は多分、自分の予想を上回ったことが起きたら冷静さを欠くタイプの人だ……さっきから語彙力が下がって最後に「多分……」とつけた辺りそうなのだろう。

 てか、自分の未来を止めるってなんだよ!僕は勝手にここへ連れてこられて、バケモノを見せられてあの巨大樹の説明もこの世界のことも詳しく教わっていない!

 あまりにも理不尽だ。

 挙句の果てに今、僕は殺されるのかもしれない。


「でも何も分からずに死ぬなんてのは納得いかない……」

「キミの未来を確定させるには元居た世界に戻ってあの樹に自分の願いを叶えさせるんだ。だが、さっき見たバケモノとそこで戦ってもらう……今は一刻を争うんだ決めてくれ」


 僕があの木に自分の願いを叶えさせる?でも僕には叶えてもらいたい願いなんてないし、さっき狐の男にあの木に近づくなって警告をされたばかりだ。

 先程から男の気にする外を見ると今までよりも光輝く木の姿が見えた。少し視界に入れただけでさっき見せられた映像が脳内にノイズ混じりだが勝手になだれ込む。僕は完全にやつの虜になっていた。


「その拳銃は本物ですか?痛いのは嫌だな……」

「どうだろ、使ったことないからわからない……まあ、キミが世界を守ってくれるなら少し痛い程度だと思うよ」

「世界を守らないと言ったら?」

「ここで死ぬ……いや、どちらを選んでも結局は一度キミは死ぬけど何もせずに死ぬ方が辛いだろうね。それかあの巨大樹がキミを取り込んでヤツの栄養になるだけだ……それを幸せと言うヤツもいる」


 男はハンマーに親指をかけるとリボルバーの弾が入ったシリンダーが僕から見て左側に回転する。

 彼は間違いなく返答次第で……いや、絶対に僕を撃つつもりのようだ。

 僕の背中は嫌な汗が流れ落ちて膝裏はやけに湿っぽい……不意を撃たれるっていうのはわからないから心の準備というモノを必要としないが、これは撃たれるとわかってしまっている……緊張感はけた違いだ。

 呼吸の変化は彼も感じ取っているだろう。

 だが、僕はバケモノによって子供が殺されることだけは許せなかった……僕が拳銃を向ける彼の前で立てるのはそれが理由だっただろう。


「さあ、キミは自分の世界でバケモノを倒し人々を救うヒーローになるか?それともここで僕らと戦うかい?僕らは強いがキミをあの巨大樹から守ることはできないよ」

「…………ヒーローってのは嫌いだ。だけどこんな狂った場所で戦うのはもっとごめんだね……せめて戦いに慣れてからじゃないと」

「それが答えなんだね?」


 僕は頷いた。


「では、彼女女神によろしく伝えてくれ……」


 男はトリガーを引いた。

 火薬の破裂音と一緒に銃口から伸びる緑色の光線は僕の体を貫いた。男は確実に僕の心臓を撃ち抜き、痛みなく僕は死ぬことができたのだろう……彼の言っていた言葉はどうやら正しかったようだ。

 次第に全身の硬直を感じ死を実感するが、脳内に広がる幸福と言う感情が全てを支配したころには人間の死への恐怖なんてのは関係がなくなった。

 ただ気持ちが良かった。


「彼は運命を受け入れた……僕らのように永遠に続く生と死の輪廻へ自ら飛び込んだよ」


 男は光の粉となって消え始めた少年の体を彼の愛用していたで覆い被せる。

 彼もまた自ら死と生の輪廻と言う終わりなく続く道へ身を捧げていた。

 全てを知る全能の力とは彼を人類の最高点へと導きそして同時に人間の愚かさや美しさそれら全ての始まり、生命とは何たるかを彼に叩きつけた。


―――世界樹とは何か




『よう人間、今日は忙しくて悪いな……。あちこちに飛ばされて疲れただろ?だが、お前は誰かを救うことを選んでしまった。全ての人間が貴様に感謝するとは限らないが、私は貴様に感謝するよ……。よくぞこの道を選んでくれた』


 気が付いたとき目の前には純白のワンピースで岩に座って釣りを行う少女の後ろ姿があった。

 男に撃たれた胸元は塞がり皮膚には銃痕の形に凹凸がある。

 僕は釣りをする少女以外周りに姿が見えないので仕方なく彼女に質問をする。


「ここはいったい?」

『天国だ……』

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