【怖い商店街の話】 精肉店

真山おーすけ

精肉店

私はある商店街で精肉店を営んでいる。先代の父は私が十五歳の時に亡くなり、しばらくは伯父が引き継いでくれていた。


幼い頃から父にある程度のノウハウは叩き込まれていたけれど、私は学業を優先したいがために、伯父に頼み込んでお願いしたというわけだ。


伯父は最初、店を手伝うことをとても嫌がっていた。それはもう尋常ではないほど。だが、祖母にどうしてもと頼まれ、渋々OKしてくれた。肩書はけっして「店主」ではないことを条件に。


そして、私が正式に店主として働くようになってからも、母と伯父に手伝ってもらいながら、最高級の肉と代々続く自家製のソーセージや燻製を日々研究してお客さんに提供した。お客さんは昔からの常連さんが多く、私が作る加工品は常に好評で、代が変わっても店は安泰だった。


それから数年後、伯父が突然に亡くなった。持病があるとは聞いていなかったし、前日もいつもと変わらず元気そうだった。


亡くなったのは、店の裏口付近。その頃、伯父は営業終了後の清掃を担当しており、私と母は先に帰宅していた。


一体何があったのか、伯父の頬は獣に食われたように肉がえぐれ、苦悶な表情を浮かべながら亡くなっていた。


そして、祖母が伯父の遺体を見ながら、『くわばら、くわばら』と数珠をはめた手をすり合わせて拝んでいた。


私が二十一歳になった時、幼馴染のマチという女性と結婚をして三人の子供を授かった。男・女・男と、跡取りが出来たことで母はとても喜んでいた。


その頃には、店で働くのは私とマチになっていた。私は肉を切り分けたり、加工品の研究と製造をし、マチはお客さんの接客と電話対応をしていた。私の作るソーセージが好評なおかげで売り上げが日に日に伸びていき、その口コミがどんどん広まっていき、遠くから買いに来るお客さんまで増えた。


店は大いに繁盛し、すべてが順風満帆だった。


だが、不穏な風が吹き始めたのは、それから数年後の事だった。


日中でも冷たい風が吹き始めた冬の日、その日も店は忙しく営業していた。私は何キロもの肉を切り裂いたり、潰したり、こねたりを繰り返した。マチはお客さんが来ては、肉を袋に詰めたりレジを打ったりと大忙しだった。営業が終わる少し前になると、商店街で買い物を済ませて家に帰る。帰ったら、私の母や子供たちのご飯を作り、家事をこなすのだ。本当に、マチには頭が下がる。


私は営業時間が終わると、片づけと道具の洗い物をする。在庫のチェックや加工品の研究も、営業後のシャッターを閉めた後に行うのが日課だ。帰る頃には、いつも21時を超えていた。


ゴミの入ったポリバケツを持ち、私は裏口のドアに運んだ。ドアノブに手をかけようとすると、外で風が吹いたのかガタガタとドアが揺れた。


随分とドアも古くなったものだ。最近ドアノブも取れそうだし、そろそろ新しくしようか。そんなことを思いながら、私は裏口のドアを開けた。


途端に冷たい風が吹きすさび、私は寒さで亀のように首を縮めた。


裏通りは相変わらず薄暗く、道端には放置自転車が置き去りになっている。


街灯の明かりはポツポツと立っているが、一番奥の街灯は消えてしまっていて、その手前の一つは消えかかっている。他の店はすでに誰も残っていないのか、隣の店の窓も真っ暗だった。私は寒さで身を震わせながら、ポリバケツの中のゴミをまとめていた。


ふいに顔をあげた時、五十メートルほど先で立っている人影が見えたちょうど消えた街灯と点滅している街灯の間に立っていて、上半身がよく見えなかったが、赤いロングスカートとハイヒールらしき靴を履いていて、立ち姿からも女性であることがわかった。彼女は商店街とは反対の方向を向いているようだった。


こんな寒い日に、誰かを待っているのだろうか?そう思いながら見つめていると、彼女の体はそっとこちらを向いた。瞬間、頭からつま先まで千切れそうなほどの寒気に襲われた。


私は慌てて店の中に逃げ込んだ。寒気は木枯らしのせいかもしれないが、とにかく嫌な感じがしたのだ。


しばらくは店の外に出られなかったが、様子を見るためにドアを開けてみると彼女の姿が消えていたため、その隙に家に帰ったのだった。


翌日、営業時間が終わり片づけをしている時だった。裏口のドアが、またガタガタと音を鳴らしながら揺れた。風で揺れているのだと思ったが、いつまでもそれが続いた。おかしいと思い、私が裏口に行ってみるとドアの揺れはピタリと止まった。


それからしばらくして、私は家に帰ろうと店の電気を消して裏口から外に出た。昨夜よりも裏通りが暗かった。消えた街灯はそのままで、点滅していた街灯は消えてしまっていた。挙句、今までついていた街灯の一つが点滅し始めていた。暗闇がだんだん近づいてくるようだった。


私は気づいた。暗闇と点滅する街灯の間に、またあの彼女が立っていることに。顔は見えないが、こちらを向いているようだった。だが、こちらに歩いてくるわけでもなく、ただ単に誰かを待っているだけかもしれないと、私は裏口の鍵を閉めてそそくさと家に帰ったのだった。


次の日の夜も、彼女はこちらを見て佇んでいるのが見えた。奥の街灯は相変わらず消えていて、手前は点滅を繰り返す。昨日よりも、彼女はこちらに近づいていた。


一体、彼女は何者なのか。


そう思った時、一台の車が狭い裏通りに入って来た。ヘッドライトの明かりをつけながら、彼女の方へゆっくりと走っていく。その時だった。ちょうどヘッドライトの明かりが、彼女の上半身を照らした。


目に映ったのは、大きな豚の顔だった。あまりの事態に、私の心臓は止まりそうになった。そして、車は彼女の体をすり抜けて行った。


私は逃げるように店の中に戻り鍵をかけた。見間違えじゃないのか。そう思うとしたが、確かに体は人間の女性だが、頭が豚という異様な姿が目に焼き付いていた。さて、どうする。もう一度ドアを開けて確認するか。私の心臓の鼓動は高鳴り、頭の中はパニック状態だった。


その時、裏口のドアがドンドンと叩く音がした。嫌な予感がした。裏口にはドアスコープもなく、外は確認できない。だが、外で何か呟いている声が聞こえ、ドアに耳を当てた。


「……せ……ない」


声は小さくてか細いため、よく聞き取れない。ただ、女性の声だということはわかり、あれはやはり見間違いだったのかもしれないと、ドアノブに手をかけた時、僅かに曇りガラスの窓に人影が映った。そのシルエットは、やはり人ではなく豚の頭のように見えた。私はドアノブからそっと手を離した。私は息を殺しながら様子をうかがっていた。許せない。女性の声で、確かにそう聞こえた。


すると、曇りガラスから影が消えていき、私は彼女が立ち去ったと思い安堵した。だが次の瞬間、激しくドアに体当たりをしてきた。古いドアが衝撃とともに弾んでいた。私は声を殺し、その場でうずくまった。体当たりをしてきたのは、一度だけだった。


「早く返せ」


その声を最後に音がしなくなったが、しばらくはドアを開けることができなかった。


店を出たのは、それから一時間ほど経った後だった。


家に帰ると、マチと母が心配した様子で待っていた。子供たちはとっくに寝たようだった。


「店の裏通りに変な女がいてな」


容姿については言わず、ただ不審者がいたことだけを伝えた。だが母はその言葉を聞いて、神妙な顔つきで「それは豚の頭をした女かしら」と言った。私は驚いて、「なんで知ってるの?」と口走った。


すると、母は「やっぱり現れたのね」とため息交じりでそう言った。


母から聞かされた話は、私にとっては信じがたく絶望的であった。


豚の頭をしたあの女は、三代前の店主だった私の曾祖父の弟(丈男)の愛人だった。女の名は幸子といい、美しい面立ちでスタイルもよく、商店街近くでホステスとして働いていたそうだ。丈男は幸子に惚れ、毎晩幸子が勤めていたバーに足を運んだ。はじめは丈男が一方的に口説いていたが、口が上手く気前がよかった丈男に心を許し、いつしか身体を寄せ合う仲になった。


だが、問題があった。丈男には妻と子供がいたのだ。酒飲みだった丈男は、幸子に会う時にはすでに酒を食らい酔っていたのだ。丈男が妻と別れる気はさらさらなかった。それを知った幸子は激高し、包丁を手に丈男に詰め寄った。


「奥さんと別れないなら、あなたを殺して私も死ぬ」


丈男は幸子を落ち着かせようと試みたが叶わず、二人はもみ合った結果丈男が幸子を殺してしまった。そして、ここからが問題だった。丈男は当時、肉の仲卸をしていて商店街の裏通りにあった倉庫で肉の解体をしていた。そこで解体された肉を、曾祖父は親戚価格で仕入れていたのだ。幸子を殺してしまった丈男は、幸子の遺体を運ぼうとしたが一人では運べずに、兄である曾祖父に助けを求めた。事情を聞いた曾祖父は自首を勧めたが、丈男は残される家族を理由にして拒んだ。


そして、幸子の遺体を倉庫に運び込むと、丈男はそこで幸子を解体した。幸子の首を切り落とし、身体の肉と骨と内臓に切り分け、肉と内臓は切り刻み、潰し、ミンチにして豚の肉と混ぜ、それを調理して自ら食したという。曾祖父は、嫌々ながらも最後まで丈男を手伝った。さすがに食べることはできなかったそうだが。


それは曾祖父が残したノートに懺悔の形として記されていたそうだ。そのノートは妻に代々託されたらしい。


そして、幸子の骨は粉砕し、頭をどうしたかまでは書かれていなかったが、骨粉とともに近くの川にでも捨てたのだろう。と書かれていたようだ。『幸子さんの恨めしそうな目が忘れられない』と書かれていたと、母は言った。


それからだという。商店街の裏通りに豚の頭をした女が現れるようになったのは。丈男は、ある晩に顔面の半分をかじり取られたような姿で亡くなっていたそうだ。


そして、幸子の怨念は曾祖父にも襲い掛かった。彼女は恨みを晴らしながら、自分の頭を探している。


丈男の子孫である男性は、みな不可解な事故で亡くなった。遺体のどれもが損傷が激しい。


兄である曾祖父の家系もそうだ。祖父も父も、ある歳を境に心臓発作で亡くなっている。それも店の裏口で。私も曾祖父の家系だ。だから、母は言った。


「もう二度と、彼女の顔を見てはいけないよ。夜中にドアを叩かれたら、けっして開けてはいけないよ」と。


私はそれを守れるだろうか。


毎晩、店に残っていると裏口のドアを叩き、時には激しく体当たりをしていく。何度ドアを新しくしても、すぐに傷んでしまうのだ。最近、息子にこの店を継がせるかどうか悩んでいる。母やマチには幸子の姿が見えないようだから、跡取りを長女に任そうかと。息子は店を継ぐ気満々なのだが、説得できるだろうか。


商店街の裏通りの街灯は、もう切れているか点滅しているかしかない。


一体、いつになったら取り換えるのか。


闇が確実に私の足元まで来ている。

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