ロイデアー化物と人間社会の共存論ー

朝方の桐

第1群

ありふれた日常

『この私達の世界は、知的生命体が生きていくには少しばかり障害が多すぎる』−W・ミルズ


「名言集なんて読んでどうしたんだ」

「スワンプマン」

「自分でつけた名前を忘れたのか低脳。

 私のことは『カゲ』と呼べ」

「そうだった、ごめん」


 青年は安いボロアパート……とまではいかないが、決して新しい訳でもないありふれたアパートの、ベランダという名の少し出っ張りのついた窓に手を伸ばし、寝そべって本を読んでいた。

 その姿は、22歳という社会人になりたての幼さが微かに残っていた。

 すると、後ろから声がしたのでぐるんと半回転して見上げると、が変なものを見るような顔で青年を見ていた。


「で?名言集なんぞ読んでどうしたんだ我が契約者学正がくしょう哲哉てつや

「いや、これといったことはないんだけどね……珍しい名言集だったから」


 学正がくしょう哲哉てつやと呼ばれた、黒髪黒目ヒョロヒョロしているが、痩せすぎという訳ではないどう見てもそこら中にいる一般人の青年は、起き上がると真新しいその本の背表紙を撫でた。


「……なるほど」


 哲哉にスワンプマンと呼ばれ、カゲと呼称した学正がくしょう哲哉てつやな彼。

 双子の様にも見えるが、それにしては雰囲気が違い過ぎる……強いて言えば、双子よりはまるで平行世界の学正がくしょう哲哉てつやの様な、彼ことカゲは唯一哲哉てつやと違う黄色い目をスッと細めてその本を見下ろす。

 感情が読み辛い人物ではあるが、見続けてきた哲哉てつやにはそれが悪い印象を持っている訳ではないことだけは理解出来た。


『ロイデアにまつわる名言集』と書かれたその本は、決して薄くない厚さでその手の中に収まっている。


「私達のことを解明する手段としては、中々斬新で良い試みだと私は思う、評価しよう」

当人ロイデアからそう言われるなら、企画者冥利に尽きるんじゃないかな?」


 時は21世紀、20■■年の日本にっぽん

 そして彼らが居るここは、首都東宮あずまみや23区のとある住宅街。


 この世界は神秘は途絶え、神は薄れた。

 2度の世界大戦を乗り越えた人間は、神秘より科学を尊び信仰することで、生活水準を高めこの地球という星をその手に収め、宇宙にすらその手を伸ばそうとしている。


 しかし、神秘と言うものは人間が思っている以上に根強いものであった。

 未だ人々の生活に寄り添う宗教……という話ではなく、否定できない神秘、存在する説明不可能な事実、科学者にとって目の上のたんこぶである存在する異常現象こそ『ロイデア』と呼ばれる存在の話である。


「それより、窓を閉めろ契約者、せめて網戸を閉めろ。

 夏が近付いてきたと、テンションが上がっているのか知らないが虫が入ってきている」

「閉める、閉めるから怒らないでくれ」


 蛍光灯に照らされている筈なのに影を持たず、実態を持たないカゲは自身に付き纏う虫をジッと焼き殺しながら音を発しない靴の爪先を軽く2、3回イライラしたように動かしていた。


 最果てからの来訪者とも呼ばれる、ロイデアと言う存在が何なのかは今の科学を持ってしても多くの事は判明していない。

 現状分かっていることは、エネルギーの集合体であること、生死の概念はないこと、言葉を型として形を保っていること…ではないこと。


(僕からすれば、彼は実際にここにいて生きているように感じるのに…それすら、幻覚で幻聴というのだから変な感じだな)


 カゲこと『スワンプマンのロイデア』。

 哲学者ドナルド・デイヴィッドソンが、1987年に発表した、あの泥男のお話である。

 その概念を軸として、この世界にカゲは顕現している。


 存在すると存在しないは両立する。

 薬物依存者が見る、何かが幻覚であっても彼らにとっては確かにそこに存在するように、ロイデアであるカゲと契約した哲也てつやにとっても、カゲは確かにそこに存在している。

 ロイデアとは、そういうものである。


「『我々は未来への負債を残すことしか出来ず、人間はそれを支払う術を持たない』」

「ん?」

「結構気に入っている言葉さ、誰が言ったのかは忘れたがね。

 ロイデアと人間の関係性を良く表してる言葉だとは思わんかね?」


 人は、知的生命体は生きている限り言葉を使い言葉を生み出していく。

 いくらロイデアの実態が判明していなくても、言葉が関係していることだけは数少ない解明された事実である。


「……そうだね、人間は自滅するのが先か君達に滅ぼされるのが先か見物だね」


 人が言葉を使い続ける限り新たなロイデアは生まれ続ける。

 いつか、ロイデアのことを解明しその驚異と共存できない限り『いつか滅亡の日』は必ず訪れる。


 カゲは、キョトンとした顔後で可笑しそうに目を細め口元に手をやってクスクスと笑った。


「おかしなことを。

 何時だって、お前ら知的生命体人間の驚異は知的生命体人間だけだよ。

 我々ロイデアなんて、副産物でしかないさ」

「……そうか」


 難しいことは哲也てつやには、分からない。

 彼はとても頭が良いわけではなく、カゲと二人三脚の関係になったのも半年程前からである。


 だけど、カゲは……契約者としての平等な立ち位置にいるカゲも、人を超越するロイデアとしてのスワンプマンとしての彼も言わないことはあっても、嘘は言わない。

 だから、カゲの言っていることは多分本当なのだろう。


「さっさと寝ろ。

 明日は、出社するんだろ」

「そうだね、おやすみ」


 思い出したかのようにカゲは小言を言い。

 哲也てつやは、自分と同じ顔に説教されている現状に苦笑しながら寝る準備に取り掛かった。



**

平日週2、1を目安に投稿していきます。

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