とめられなかった羅針盤

ミドリ

くるくる回る

 僕たちは、年の離れた兄弟として暮らしていた。


 枯渇の兆しを見せ始めた資源を取り合い、世界は戦乱の世に変わっていた。


 どの国が制圧された。どの国が勝利した。


 連日そんなニュースがテレビから流れ、まだ幼い弟のカズキは、僕の腰にしがみついては怖いと泣きじゃくる。


「大丈夫、僕がついてるよ」

「ユウヤ兄ちゃんは僕を置いていかないよね?」

「うん、勿論」


 僕は可愛いカズキの頭を撫でると、カズキが大好きな絵本を手に取りベッドに向かう。


 カズキは僕の腕枕で瞼を閉じると、僕の朗読の声で眠りに落ちていった。


 視界を可視光線から切り替える。国からの電力供給はとっくに絶えた。日中溜めた太陽光で蓄電した電気を使い、この部屋に防弾シールドを張ってあるのを確認する。


 先日、この国の首都に敵国が攻め入った。つまり、僕たちが住んでいるこの場所も戦闘地域となった。


 カズキの親は、足手まといになるからとカズキを置いて我先にと逃げた。だが彼らは国境超えに失敗した模様で、不在に気付き生体反応を確認したところ、途中まであった反応が国境付近で消えた。恐らくは、銃殺されたのだろう。


 僕は元々は彼らに雇われたハウスキーパーだが、カズキはお兄ちゃんと慕ってくれていた。雇い主が亡くなった今、僕の主人はそのカズキだ。


 その夜、敵軍はとうとう市街地へ進行し、カズキが寝ている間に政府は制圧され、僕たちが暮らしていた国は消失した。



 翌朝。敵軍が住人の生き残りの殲滅作戦を実行しているというニュースが飛び込んできた。


 これ以上ここにいるのは危険だ。


 僕はリュックに入るだけの携帯固形食糧と飲料水を詰め、着替え少々も入れると、それを背負った。


 不安そうなカズキには、黄色いチューリップのアップリケが付いた幼稚園のリュックに、お気に入りの絵本と取っておいた飴玉の袋を詰めてあげた。


 手を繋ぎ、住んでいたマンションを出る。外には沢山の遺体と瓦礫の山があり、カズキが泣き始めた。


 泣き声で敵兵に見つかっては問題だ。僕はカズキを前に抱くと、「見ないように」と優しく頭を撫でてやった。


 僕の視界を赤外線用に切り替える。時折反応があると近付かず、町の外を目指した。


 死屍累々な光景が広がる中、暗くなるまで進み続け、首都から出ることが出来たのは空が暗くなってから。


 カズキが尿意を訴えたので、今夜休む場所を探したところ、一軒のボロ家に明かりが灯っているのが見えた。遠くから中の様子を窺うと、大人がひとり、それと子供がひとりいる様だ。


 その家のドアをノックする。子供がいることを伝えると、子供の方がドアを開けてくれた。


 カズキより1、2歳程度年上に見える女の子だ。


 そこへ、大人がやってくる。身体を壊しているのか、ガリガリに痩せた顔色の悪い老爺だった。


 僕たちは話をした。そこで、彼は教えてくれた。ここから北に行った場所に、軍人の家族だけが入れるシェルターがあると。


 老人は、退役軍人だった。そこへ孫の女の子を連れて行ってやりたかったが、この身体ではいけない。軍人だった証拠であるドッグタグと軍支給の羅針盤を渡すので、この子の家族として共に連れて行ってくれないか、との話だった。


 願ってもない提案に、僕は一も二もなく飛びつく。これから先どうしようかと考えあぐねていた僕には、有り難い話だったからだ。


 翌朝、泣く女の子の手を二人で繋ぎ、僕たちは出発した。


 だが、問題が起きた。


 羅針盤は、シェルターを指すと言われていた。だが、針が何故かぐるぐると回った後、僕の方を指してしまうのだ。


 仕方なく、僕は一定の距離を離れ、女の子に方向を見てもらうことにした。何かあってもすぐに駆けつけられない距離まで離れると、羅針盤は正しい方向を指す。


 僕には、その理由が分かった。だが、僕を兄と慕って頼りにしているカズキには、どうしても言うことが出来ない。


 一週間、その様にして歩き続けた。女の子とカズキはすっかり打ち解け、まるで兄弟が増えたかの様だ。


 彼女なら、きっとカズキを守ってくれる。


 いよいよシェルターの入り口が近付いてきた。森の中にうまく隠された岩場にそれはあり、ドッグタグと羅針盤を掲げると、二人は中に入ることを許可された。


 ――だけど、僕は。


「お兄ちゃん?」


 カズキが泣き顔になる。僕は食糧が入ったリュックを中から出てきた大人に渡すと、「二人をお願いします」と頭を下げた。


 生体反応がない僕は、入場が厳しく制限されているシェルターに入ることは許されないそうだ。羅針盤をとめられなかった僕に、入る資格はない。


 泣きじゃくるカズキが、女の子と大人に連れられて中へと消えていく。


 この先僕に出来ることは、カズキがいるこの場所を敵兵から守り抜くこと。


 もし世界がまた平和になったら、その時はまたお兄ちゃんと呼んでくれるかな。


 その時、僕の姿が今と変わってなくても、会いたかったと喜んでくれるかな。


 その日を夢見て、僕はシェルターに背を向けた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

とめられなかった羅針盤 ミドリ @M_I_D_O_R_I

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ