第7話 マジコリサマ
なんということだ。
これが、遊びか。遊びで済まされることなのか。
早急に、
こんな残酷な遊びは、遊びの域を超えている。
***
金澤は小学校の教諭である。勤続十年。以前は都内一等地の学校で、やたらハイソな小学生を相手にしていたが、この度異動になったのは、都下、そして山奥の学校だった。
その学校は山を背負うようにして建っていて、広々とした校庭に佇むコンクリは、随分と古かった。聞けばあと五、六年で隣の学校と統合されるのだという。
「生徒数もね、少ないんですわ」
学校を案内してくれたのは、同学年を担当する女性教師であった。金澤よりも少しだけ若い。恐らく二十代半ばから後半、といったところであろう。
「金澤センセ、東京の学校から来たんでしょう?」
「東京、って、ここも東京でしょう」
「そやけどねぇ、センセ、ここの人はみぃんな、東京とここはベツモンやと思てますよ」
衛藤には独特の鈍りがある。恐らく西の方の出身なのだろう。聞けば彼女も去年異動してきたばかりで、二年目なのだという話であった。
知らない学校というのは、どこかよそよそしいものである。今は春休みで、生徒がいないことも理由の一つではあるかもしれないが、金澤はこの感覚が苦手であった。
新しい学校に入るとき、何か別の生き物の中に潜り込んでいくような、どうにも拭いきれない恐怖がある。これだけは、きっと何回異動をしても慣れることはないだろう。
窓からは午後の光が燦々と降り注いでいる。良い陽気だ。
「きっとみんな、センセの話、聞きたがりますよ」
「そうでしょうか」
「はい。ここは見てのとおり田舎ですから。娯楽が少ないんですわ」
長く伸びた廊下はしんと静まり返っていた。
「五年生の教室は三階です」
そう言って、衛藤が階段の手すりに手をかけた時だった。
数人の足音が、階上から聞こえてきたのである。
ばたりばたりと、随分と焦っているような足音だった。どうやら反対側に走って行ったらしい。どんどん足音は遠ざかり、やがて何も聞こえなくなった。
「今の」
衛藤はため息を吐く。
「やられた」
「え?」
「休みやって油断しとった」
「どういうことでしょう」
「わたしらの声で逃げよったんでしょう」
――見れば、分かりますよ。
そう言って、衛藤は階段を上った。
教室を開けると、机の上にチョークで描かれた大きな円。ぐるりと描かれたその中央に、手作りと思われる、歪な人形がちんまりと置いてある。
そして散らばった鉛筆と、横に置かれた裁縫道具の箱。
床に落ちている紙を拾って、金澤は絶句した。
「これは……」
「まったく、困ったもんですわ」
「これってつまり」
その紙に描かれていたのは、『はい』『いいえ』の文字。そして五十音が、規則正しく並んでいる。
これは。見覚えがある。昔流行った、あの。
「――コックリさん、ですか」
「名前は
衛藤は裁縫箱をちらりと一瞥する。四角い箱の正面右下に書かれた生徒の名前。その堂々たる様子に金澤は表情を緩めた。これでは、自分が犯人ですと言っているようなものだ。持ち主はよほど、慌てていたのだろう。
「学校始まったら、お説教せんとな」
衛藤は、目をすうと細め、呟いた。
***
新学期が、始まった。
あれほどよそよそしいと感じた学校も、怒涛の一週間を終えた頃には、すっかり馴染むことができたので、ひたすら安堵の息を吐く金澤である。
「なーセンセイ、センセイ独身?」
「彼女は? いないの?」
「衛藤センセイも独身なんだよ。つきあっちゃいなよ!」
この学校の生徒たちは、兎にも角にも人懐こい。前の学校の時は仲良くなるのに時間がかかったものだが、今回はその心配がなさそうで安心する。
受け持ったのは五年生のクラスで、金澤が一組、衛藤が二組の担任だ。生徒数は少なく、その分みな仲が良いように見えた。
好調な滑り出しに満足しながらその日の授業を終え、職員室に戻った時だった。
「金曜日、か」
隣のデスクに座っていた衛藤が、不意に小さく呟いたのである。
「申し訳ないんやけど、センセ。今日、うちらが見回り担当なんで、帰らんといてくださいね」
ぽかんとする金澤である。唐突すぎて、話の脈絡がつかめない。
「見回り、ですか」
「はい。交代でやってるんです」
「それは良いんですけど」
何か、見回らなければならないことがあるのだろうか。
『見回り』という言葉には、あまりいい印象がない。それは何かを抑止するために行われる行為である。実際金澤が初めて勤めた学校では、ゲームの持ち込みが問題になり、放課後に教室を見回って、集まってゲームをしている子がいないかのチェックをしたことがある。
持っていない子どもが仲間外れになる、という懸念からであったようだが、金澤はそれに疑問を投げるひとりであった。
確かに、持っていない子はどうしても話にはいれなかったりもするものだ。しかし、金澤が担当していた学年は、みなで仲良く貸し借りをしたり、持っていない子も積極的に輪の中に入り、質問攻めにしていたりしていた。
そういった光景をよく見ていたので、何とも言えない気持ちになってしまう。
結局学校で取り締まった所で、家に帰ってからまた集まって、ゲームをするのがオチである。そうすると、その場に集まれなかった子が仲間に入れず、孤立してしまうことになる。これでは、元の木阿弥だ。
こういうものは、規制すればするほど、熱を帯びる。やるなと言えばやりたくなるし、厳しくすればするほど、その目をかいくぐることに執心する。その結果、あまりいい状況にならないことが多い。
「でも、何が目的で、見回りを?」
問うた金澤に、衛藤は眼鏡をくいと持ち上げた。
「センセも一週間前、見たやないですか」
その意味深な言葉に、金澤は思い出す。
ばたりとしていて、すっかり忘れていたが。
一週間前。
逃げる足音。
ぽつねんと置かれた、手作りの人形。
金澤は瞠目する。
「もしかして」
――あの、コックリさんか。
「はい」
衛藤は重々しく頷いた。
「そんなに、流行っているんですか」
「ええ。何度
衛藤は眼鏡の奥に厳しい光を浮かべて、呟いた。
「見つけて、絶対に止めさせな」
思わぬ真剣さに、金澤はぎょっとする。それは、教師が生徒に注意するといったような、そんな甘いものではないように思われた。
「……衛藤先生?」
「ああ、いえ。まだ見回りには早いですから。――場所、変えましょう」
デスクで作業をしている他の教師を一瞥し、衛藤は囁いた。
***
「マジコリサマ、ですか」
「はい」
教員専用の駐車場、その車の中で、衛藤は呟いた。
衛藤の車に乗るようにと言われたときは、いったいどこに連れていかれるのかと思ったのだが、未だ車が発進する気配はない。どうやら本当に、『聞かれたくない話』をするためだけにここを選んだようである。
「マジコリサマ、マジコリサマ、お教えください、といって、人形の体を針で刺すんだという話です。その針をそれぞれで持って、ひとつの鉛筆をみんなで握る、と。そうするとマジコリサマが来て、何でも質問に答えてくれるんだという話で」
よくある、コックリさんと同じである。
「ただ、問題なのはそのマジコリサマは、人を呪うことも出来るんだっていう、噂で」
「は?」
「マジコリサマは元々人を呪うための存在なんだって」
運転席に座った衛藤は、真剣な眼差しであった。
「マジコリサマがいつから流行ったのかは、ウチにも分かりません。けど、もう去年の秋ごろには行われていたようなんです」
「結構、長いんですね」
「……はい」
衛藤は、少し過剰に反応しているように見える。確かに、流行りとしては長い。秋ごろということであったので、もう半年以上はブームが続いているということになる。もしかしたらそのことで、神経質になっているのかもしれなかった。
金澤は殊更明るく言った。
「ですが、所詮遊びでしょう。こういうのが好きな年頃ですし、それに」
「……それに?」
「あ、いえ」
続く言葉を思わず飲み込んだ金澤である。
『見回りなどをしているから、廃れないのではないか』とは、流石に言えない。新参者が、こちらのやり方に口を出すのが憚られたということもあるが、それ以上に、衛藤の表情が厳しいものであったのも大きな理由である。
「……センセは信じていらっしゃらないんですね」
運転席の衛藤が、前を見つめながらぽそりと言葉を落とした。
「それは、そうですよ。そんな非科学的な」
コックリさんというものは、遊戯に過ぎない。金澤はそう思っている。ちょっとイケナイ遊び、
衛藤は黙っていた。口を開きかけ、何かを言おうとし、また口を噤む。
「……衛藤先生?」
思わず、問うた。何となく聞いておいた方が、良いのかもしれないと思ったのだ。自分はともかく、衛藤は相当思いつめているように見える。
その呼びかけに観念したように、衛藤は目を伏せた。
「……ウチの故郷では、まだ生きてます」
「え」
「せやから。コックリさん――所謂、降霊術。まじない。呪いの儀式。そういったんが、ウチの故郷にはまだぎょうさん残ってるんです」
金澤は、瞠目した。
そもそも、見張りを提案したのは、衛藤なのだという。
「問題は、生徒が信じてるからなんです」
「……どういうことでしょう」
「こういうんは、信じる環境があって初めて生きるもんなんです」
「信じる、環境ですか」
「ええ、だから、どうせ来ない、どうせ当たらない、どうせ嘘や。そういう人がやっても効果がない」
と、言うことは、その逆で、『来る』『当たる』『本当だ』、そう思っている人がやったら、効果がある、ということなのだろうか。
衛藤は眼鏡の奥の瞳を細めた。
「せやから気ぃつけんと。こんくらいの子はそういうのが強いから。もしかしたらほんまに、呼んでまうかもしれんのです」
「――……呼ぶ」
呼ぶとは、なんだ。
言葉を失った金澤に、衛藤はにっこりと笑った。どこか無理をしているような、そんな笑顔であった。
「急にこんな話してもうて、すみません。けど、何となく、センセは近いような気がするんです」
「近い?」
「そう。ああ、この人、危ない、て」
危ないとは、何の事だろうか。話の流れでは、信じる信じないの話であったように記憶しているが、それでいうなら金澤は否定派であったし、新任でもないのだから、危ないと言われるような謂れはないはずだ。
訝し気に首を傾げた金澤に、衛藤は焦ったようであった。
「――まあ、とにかく。念のためってやつで。申し訳ないんですけど、お付き合い、お願いします」
そも、否を言える雰囲気でもない。金澤は憮然とし、ゆっくりと頷いた。
***
十七時ともなると、だいぶ日も落ちてくるものだ。それでも冬よりは日の出る時間が長くなった。廊下に差し込む斜陽の赤。前を歩く衛藤の影が、壁に当たって折れ曲がる。
カラスの鳴く声が聞こえた。窓の外には燃えるような夕日が、山の頂上にしまわれつつあるところであった。
その茜色の空を、鳴き声の主が悠々と飛んでいる。
山の学校は、夕暮れまで完璧だ。昔にタイムスリップしたかのような錯覚を覚え、金澤は目を瞬かせた。
出来る限り、足音を消して歩く。
一階にも、二階にも、残っている生徒は居なかった。そして三階へ上がろうという時に、階上で、がたりと音がした。
「いますね」
衛藤が小声で、囁く。
三階の教室、二組。衛藤の担当クラスだ。
「……リサマ、マジコリサマ」
小さな声が漏れ聞こえた。がさり、とした、密やかな息遣いが扉越しに聞こえている。随分多い。いったい何人いるのだろう。
扉に手をかけた衛藤が振り返り、唇に指をあてた。もとより、話す気など毛頭ない。
そのままの勢いで衛藤は扉を大きく開けた。
中を覗き見て、金澤は絶句する。
クラスの半数以上が、そこにいた。残っているのがばれないように、だろうか、それぞれの外靴が床に散らばっている。
中央は机を寄せて大きく開けられており、その中心にぽつりと置かれたひとつの机。その上に乗っている、歪な人形。
子どもたちが一斉にこちらを見る。
その瞳が、何故か、とても恐ろしかった。
「あなたたち、こんなことは止めなさいと言ったでしょう」
勇敢にも衛藤が一歩踏み出した。
生徒たちは黙っている。皆一様にこちらを見つめている。
何かが、きらりと光ったような気がした。
その手に持っているものを見て、金澤は色を失った。
彼らはみな、その手に小さな、光る。
針を、持っていた。
衛藤がもう一歩足を踏み出した。
その瞬間、水風船を針でつついたように、一斉に子どもたちが動いた。
蜘蛛の子を散らすような、という言葉があるが、まさに言いえて妙だ。子どもたちはパニックを起こしているようだった。大声で何やら叫びながら、自分の靴を引っ掴むと、あっという間に出ていってしまう。
そして、教室の中には衛藤と金澤だけが取り残された。
「逃げ足、早すぎませんか」
何の気なしに人形を手にとった。
フェルトで作られた、女の子の人形のようだ。デフォルメされた顔と、ピンクの服が愛らしい。
その服の上に、無数の穴が開いているのを見て、金澤は眉を潜めた。
なんだか、嫌な感じだ。
何故こんなに細かな穴が開いているのだろう。まるで何かでつつかれたような。
くるりと裏返して、金澤は小さく叫んだ。
その背中には――――。
「どうしたんです?」
間に合わなかった。
もう少し早く気づけば良かったのに、金澤は間に合わなかったのだ。
金澤の後ろから、衛藤がひょいと手元を覗きこんだ。
その顔がみるみる青ざめていくのを、金澤は見つめることしかできなかった。
人形の背中には、
衛藤のフルネームが、書かれていた。
***
衛藤は、目に見えてやつれていった。
「衛藤先生、顔色が悪いようですけど……」
大丈夫ですか、とは言えなかった。明らかに大丈夫ではない人に、その言葉は残酷だ。
「ああ、金澤センセ」
デスクに頬杖を突き、衛藤は笑った。
あれから一週間が経ち、また金曜日がやってきた。見回りの、日だ。
「よう眠れんのですわ」
「医者には」
「行きました。けど駄目なんです。これは、呪いなんですから」
何てことを言うのだ。金澤は顔を青くする。
「呪いって、あの、人形のことですか?」
「ええ」
「そんなの、ただの悪戯でしょう」
あれから他の教師たちに聞いて回った結果、同じような体験をした先生が多数いることが判明したのだ。
どうやら生徒たちは注意をされた腹いせでそのような行為をしているのだということであった。
質の悪い悪戯だ。
現に、他の先生方はぴんぴんしている。その中で、衛藤だけが呪われている――仮に呪いがあると仮定してだが――のは合点がいかない。
そう言うと、衛藤は首をゆるゆると振った
「ですね。けど、ウチには効くんです」
「どうして」
「その土壌があるから」
だから、有効なんです。と。
衛藤は、力なく笑った。
「――とにかく、今日は早く帰って休んでください」
「でも、見回りが」
「そんなの、俺がやりますから」
「そうですか……では」
よろりと立ち上がった衛藤の後姿を見て、金澤はざわりと心が動くのを感じた。
これが、遊びか。遊びで済まされることなのか。
こんな残酷な遊びは、遊びの域を超えている。
止めさせなければならない。
それも、早急にだ。
***
怒りに任せて、階段を駆け上った。
十六時半。
その日は雨だった。
しとしとと降る雨が、校庭の土を黒く染めている。
既に暗かった。分厚い雲が太陽の光を遮っている。
一組、金澤の担当クラス。その扉の奥に人の気配を感じて、金澤はいきり立つ。
扉をがらりと開けた。
「お前たち!」
窓の外は真っ暗だった。
雨粒が窓にひちゃりと辺り、すうと流れて落ちていく。
その闇に紛れるようにして、子どもたちが、こちらを見ていた。
無数の瞳が、視線が、無表情に、金澤の顔面に注がれている。
金澤は息を吸った。
負けてはいけない。
この子どもたちは、自分の生徒なのだ。
「いいか。お前たち」
子どもたちがひくりと動いた。
「マジコリサマなんて、いないんだ」
手に汗が噴き出る。
「こんなバカげたこと、今すぐ――」
「いるよ」
子どもたちが、笑った。
皆、笑っている。口が三日月のようにつり上がっていた。
「ねえセンセイ、マジコリサマは、いるんだよ」
子どもたちの顔が、ぐにゃりと歪んだ。
「まて」
黒く歪んだその顔の、口だけが下弦の月のように。
ぐんにゃりとねじ曲がったその身体が、闇に溶け込むように体積を増した。
「まて、お前たち」
自分の担当のクラスだ。
名前も覚えた。
顔を知らない子はいないはずだ。
それなのに。
なぜ、だれ一人。
「お前たちは、誰だ……?」
見たことがないのだろう。
――歪んだ顔。
歪んだ、子どもたち。
その顔をじっくりと見て、金澤は、手の先が冷たくなっていくのを感じた。
可笑しい。
こんなのは、可笑しいんだ……。
「マジコリサマ、マジコリサマ……」
***
それから、金澤は『マジコリサマ』をしている子どもたちを見かけても、止めることはなくなった。
この子たちは、あと二年で卒業だ。卒業したら隣町の中学校に通うのだと聞いている。大きな母体に吸収され、きっと他の事に興味が行くようになるだろう。
目の前を走り抜けた黄色い帽子の子たちが、楽しそうにはしゃいでいる。
「マジコリサマ、マジコリサマ」
幼い子たちは無邪気に笑う。その言葉がどんな意味を持つのかも、分からないのだろう。
金澤は、耳を塞いだ。
衛藤は、退職した。体を壊して、これ以上教鞭を振るうのは無理だという話であった。
――信じる環境があって初めて生きるもんなんです。
――もしかしたらほんまに、呼んでまうかもしれんのです。
本当に、その通りだったのだ。
もう絶対に、子どもたちの機嫌を損ねてはいけない。
あの子たちに嫌われてしまったら、金澤はきっと。
この学校は、あと五、六年で統合される。
だからきっと、この遊びも。
そう、『マジコリサマ』も、この幼い子どもたちの卒業とともに、いなくなるはずなのだ。
いなくなる、はずなのだと、
そう、信じている。
「マジコリサマ、マジコリサマ……」
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