第57話  イエジーの解放

 離宮にある寝所で身を横たえていた第一王子となるイエジーは、めまいを感じて起き上がる。


 空間の歪み、大きな魔力の爆発、ルテニアの王宮が破壊され、イエジーに呪いをかけていた呪具が粉砕された事に気がついた。


 髪の毛の先から爪先まで真っ黒となっていた体から呪いが消えて、男の割には色白で滑らかな肌が視界に入る。


「力が満ちた」


 立ち上がり、右手を掲げながら空間を圧縮する。


 空間の転移、場所は血の繋がる弟の元へ。

 一歩、二歩、三歩と進んでいくと、月夜の下で、瓦礫となった王宮を寝所のようにして寝そべる古竜の前へと進み出た事に気がついた。


 巨大な竜の足元には血塗れのマルツェルが倒れ込み、虫の息となっている。


「呪いをかけて体内の魔力を抑えるとは、人のやる事は理解が出来ぬ事ばかりよな」


 古竜は、くつくつと笑いながらマルツェルの体を転がした。


 人を害さないようにと埋め込んでいた楔が全て折れ曲がり、弟の体を傷つけながら、魔力暴走を引き起こそうと渦を巻く。


「口中に入れて少しはまともにしたつもりだったが、此奴は王都を爆発させたのでな、もう駄目かもしれぬ。人の命など哀れなほどに短いものよ。今死のうが、年老いて寿命で死のうが大した変わりも無かろうが」


「いや、僕が絶対に死なせない」


 封印術はイエジーが最も得意とするものだ。

 これくらいの魔力暴走であれば、簡単に抑え込む事ができるはず。


「ほう・・・」


 何重にも保護魔法をかけてマルツェルを包み込むと、繭に包まれた状態となって弟は落ち着きを見せた。


「この保護は長くは続かないけど、後はアグニエスカに丸投げしよう」

「アグニエスカとはこの男の番つがいの事か?」

「つがい?」

 確かに、彼女はマルツェルの番かもしれない。


「それじゃあ、僕は自分の番を探しに行こうかな」


 王宮は崩れ、人の生存が確認できない。

 ルテニアの王都全体がシンと静まりかえっていて、物音ひとつしないのが異様でもある。


「お前の番、王宮の中にいたとしたら、すでに死んでいるんじゃないのか?」

「いいや、死んでいやしないさ」

 イエジーは確信を持って答えた。


 ルテニア王家には二人の姫君が存在する。

 一人は正妃の娘、もう一人は側妃の娘。


 正妃が亡くなった後、側妃が正妃にとなり、正妃の産んだ二人の子供は名ばかりの王女、王子となった。政治的に価値はないものとされて、見向きもされなくなったのだ。


 側妃の娘であるイレーナ姫は、

「や〜ん!イエジー殿下!格好良すぎる〜!」

 と、初対面で言い出すような残念な姫君であり、その後ろにひっそりと立つ正妃の娘、エルヴィラ姫の方が、よほど好感が持てると思ったものだ。


 イエジーの視覚は王家の色を残しているだけに特殊で、魔力が弱い人間は全体的に顔がぼやけてしか見えない。ルテニアの王族の中では、エルヴィラ姫とその弟のアルトゥル王子だけがはっきりと見える状態だった。


 顔がはっきりと見えない奴らの起こす現象なんて、喜劇以外の何ものでもない。


 イレーナ姫は自分だけが美しく見えるようにと綺麗に着飾り、異母姉のエルヴィラには、布地だけは上質であっても、あえて型落ちのデザインが施されたドレスを身に付けさせる。


「お姉様はお洋服を選ぶセンスがゼロなのよ〜」


 侮蔑を込めて姉を嘲笑しているようだったが、その発言自体が自分自身を貶めている事に気がつかない。


 ルテニア王家のゴタゴタを、あえて他国の人間に見せつける愚かさに呆れ果てはすれども、まさか自分自身がその喜劇に巻き込まれる事になるとは思いもしなかった。


「我が王家を愚弄するものに天罰を与えよ」(愛しく思うあなたが、永遠の守護を得ますように)


 あの日、嬉しそうに微笑んだエルヴィラ姫は、王宮の回廊を歩く僕を呼び止め、両手に乗せた美しいジュエリーを僕に差し出しながら、僕に愛の言葉をささやいた。


 白磁のような肌がうっすらと紅潮し、エメラルドの瞳がキラキラと輝いていた。可憐な彼女は微笑を浮かべて、善意そのものの気持ちを乗せて、プレゼントを渡してきたのだが。


「グッ・・・」


 イエジーに渡された宝石は我が国の宝物庫に仕舞い込まれた呪具。尊敬と愛を込めて口にした古代語は呪具を解放する呪いの言葉であり、イエジーの体はあっという間に漆黒へと染まり上がっていく。


「キャーーーーッ!エルヴィラったら!いくら私から殿下を奪いたいからって!呪いをかけてまで自分のものにしようと思うの?信じられない!」


 こちらに駆け寄ってきたイレーナ姫が驚きの声を回廊に響き渡らせると、


「え?」


 驚きで瞳を見開くエルヴィラが、近衛兵に取り押さえられながら、床の上へ倒れ込む。彼女の顔だけははっきりと見る事が出来るから、彼女の口が、

「だまされた・・」

と動くのを、見逃す事は出来なかった。



 古竜の伝説に必ず出てくるのは王国の滅亡、大都市の消失、大陸の破壊、などなど。


 地中で長く眠る古竜は寝ている間に大地のエネルギーを溜め込む習性があるらしく、そのエネルギーを吐き出す際には、世界のどこかが破壊され、滅びる結果となるらしい。


 今回はマルツェルの膨大な魔力が古竜のエネルギーを放出する方向を調整したようで、大半は空に弾け飛んだが、地上も大きく破壊される事になったのは言うまでもない。


 破壊された王宮の中も、その周囲も、イエジーが歩く際に転がる石の音しか響かない。


 丁度、イレーナ姫が居を置く離宮の前を通りかかると、瓦礫に寄り掛かるようにして金色の髪の女が、干からびた状態で倒れているのを見つけた。


 その首には秘宝ともされる古竜の魔石が施された壊れたネックレスがぶら下がっていた。


 呪いの言葉を口にしたのはエルヴィラであっても、実際に心底イエジーを呪いたいと思っていたのはイレーナだったのだろう。


 イエジーはぼんやりとしか見えないイレーナ姫よりも、はっきりと見えるエルヴィラ姫をじっと見つめることが多かった。


 可愛さ余って憎さ百倍となったのだろう。干からびた様子を見るに、イエジーにかかった呪いはイレーナの元へ弾き返されたという事になるのだろう。


 マルツェルと古竜による魔力の爆発の所為で、呪具は完全に壊れている。回収する意味もないので、そのまま放置して先へと進む。


 ルテニア王国は実はヴォルイーニ王国よりも長い歴史がある国であり、遥か昔には、どの国よりも魔術や魔法に精通していたというのは有名な話だ。


 良くある話で、巨大な力を持った王族の一人が大陸の制覇を夢見る事となり、世界を征服するための巨大な魔法を試行するため、王都の地下に引きこもって魔法陣の研究を続けていたらしい。


 だけど、その研究とやらはうまくいかず、王都の地下宮は封印される事となった。現在もその一部は、犯罪を犯した人間を隔離する施設として利用しているのだと聞いた事がある。


 崩れた王宮の中へと進むと、ぽっかりと穴が開いたような状態で、地下宮へと通じる階段が現れていた。


 その階段を降りていくと、その先に無数の牢獄が現れる。壁にはご丁寧に鍵の束がかけられており、見張りの兵士の姿も見えない。


「エルヴィラ姫?」


 暗闇の中で炎の魔法を灯しながら声をかけると、


「イエジー様?」


 暗闇の向こう側から鈴を鳴らすような声が響いた。

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