第56話 錆色の古竜
その古竜は地中深くに潜り込んで眠っていたというのに、どうしようもない不快感で目を覚ました。すると、背中の上で生活をしていた魔獣たちが驚き慌てて大騒ぎを始めたので、ますます不快感が大きくなる。
仕方がないから魔獣を退け、森の中から山の方へと移動をしたのだが、その後も、背中が痒くて痒くて仕方がない。
森の中のジメジメとした湿気が悪さをするのかと思い、乾燥した山岳地帯へと移動したというのに、痒さは依然として続いたままだ。
何処へ移動すればこの痒さがなくなるのだろうかと途方に暮れながら考え込んでいると、山頂まで登ってきた人間の男が、
「そこに刺さっている棘が問題なんじゃないのかな?」
と、言い出した。
棘と言われても背中を自分で見ることなど出来やしない。
「僕が抜いてあげてもいいんだけど」
男は棘を抜く代わりに、二つの約束をして欲しいと言い出した。
一つ目は、人間の住む街には降りて来ないこと。人間は弱くて、魔獣以上に大騒ぎをするから、約束なんてしなくても人里に降りていくつもりはこちらとしてもない。
二つ目は、
「一回だけでいいから、僕が必要な時に、僕を乗せて移動をしてほしい」
と男は言い出した。
「僕の愛しいお嫁さんが今は戦争の最前線に居るんだよ。もしも危険になったら分かるようにはしているんだけど、至急、彼女の所へ移動しなくちゃならないとかあるかもしれないだろ?」
これは愛というやつかな。
「分かった、分かった、お前が移動したいって時には必ず叶えてやるから、さっさとその棘とやらを抜いてくれ」
「人間の言葉がわかるのかい?」
古竜は男の言葉にフンと鼻で笑ってやった。
「俺が何年生きていると思うのか?今年で三千歳だぞ?人間の言葉くらいわからんでどうする?」
「今年で三千歳って本当?キリが良すぎない?」
「俺は嘘つかん」
フンッと鼻を鳴らしているうちに、男は背中に刺さった棘を抜いてくれた。
男の手元にあるのは古びた槍だった。
「そういえば千年前に喧嘩を売ってきた人間が、そんな槍を持っていたなあ」
「とりあえず傷口に薬を塗っておいた方がいいよ」
男は槍を投げ捨てて、背中に出来た小さな穴に、人間が塗る薬を塗りつけてくれたらしい。
男の名前はマルツェル。他にも二人男が一緒にいたが、そいつらの事は無視する事にした。
腰を抜かして漏らすような奴は、相手にする価値もないと判断した。
「それで?何か言いたい事がありそうな顔をしているが、一体なんだっていうんだ?」
「いやあのね、人間の世界では良くある話だと思うんだけど、王様が古竜を倒してこいとか言っているわけ」
「くだらぬな」
人間に古竜が倒せるわけがない。
「まあ、それで、倒せるわけがないっていうのはこっちも十分に分かっているんだけど、王様が納得するにはどうすればいいかと考えていて」
「知るか」
人間とは、何年経ってもくだらぬものよ。
しかし、いくらくだらぬ存在とはいえ、約束は約束。
「ホロファグス!」
決死の覚悟で呼んでいるのだから、迎えに行かないわけにもいくまい。
空間を圧縮しながら男の元へと移動すると、古竜は男を丸呑みにしながら大空へと舞い上がる。
俺の名前はホロファグス『全てを丸呑みにする』という意味を持つ化け物。俺を呼び出すのなら、国の一つ位、滅ぼさなければ割に合わない。
「マルツェル!」
下の方で赤い髪の女が叫んでいる、きっと男の番つがいだろう。
「心配するな、すぐに返す」
そう答えると、煌々と月が輝く夜空へと羽ばたいた。
◇◇◇
ヴォルイーニ王国の第二王子ユレックの祖父となるユーゴ・ストラスは、自領の兵士を引き連れて、夜の森の中、愛馬を急がせるようにして走らせていた。
国境を警備中の兵士から、ヤン・スコリモフスキが国境線に築いた結界の一部が破壊され、約一万の兵士が我が国へすでに侵入し、西の大都市ビドゴシュチを目指して進軍を始めたという報告を受けていた。
ストラス子爵領は西の国境に位置をしており、南に移動した陸軍の補充部隊として自領の兵士を移動していた。その最中の報告であった為、敵の進軍を止めるために兵を動かす事を決意した。
「お館様、前方から馬車が移動してきた為、情報を得るために止めているのですが・・予想外の事態となりまして」
車というものが開発され、物資を運ぶトラックなるものも近隣諸国から輸入し始めている。移動には車が有用ではあっても、森の中の移動手段として馬車を彼らは選択したらしい。
停車させた6台の馬車には軍服を着た貴族の子息が詰め込まれており、後続の馬車には貴族籍の治癒魔法師が乗り込んでいた。
この中の責任者だというゲンリフ・ヤルゼルスキという男が意気揚々と前に出てくると、
「ヤン・スコリモフスキの結界が破れ、敵の大軍が押し寄せるようにして駐屯地へとやってきた為、命からがら逃げ出してきた次第にございます」
と言って跪いた。
「我々はこの状況を王都に報告せねばなりません。このような状況ではありますが、ストラス子爵様には護衛の者を数名、お貸しいただきたく存じます」
斥候の者の報告から、敵軍が今、どの位置に居るかという事は大体把握できている。
現在、後方支援の拠点はルミアの街となっているが、周辺の村に衛生班が派遣されているという話も聞いている。
彼らがその派遣された衛生班だとしても、敵軍から逃げ出すのが時間的にもあまりに早すぎる。
「王宮への報告とな、一体何を報告するつもりなのだね?」
「私は元は陛下の専属治癒師をしておりました。陛下とも昵懇の間柄にて、現在の詳しい戦況を、陛下ご自身の元へ」
「ははっははは、お前が陛下ご自身の元へと言うか」
手引きした内通者が敵の進軍を助けたのは間違いようのない事実。明らかに怪しいこの集団を、護衛付きで王都に送るほど耄碌した覚えはない。
「では、お前たちを拘束した上で、王宮へ連行してやろう」
「な・・なぜ?」
「お前らがあまりに怪しいからさ。敵から逃げてきたと言う割に、動き出すのがあまりに早すぎるだろう?まるで敵の動きが分かっていたかのような動きじゃないか」
「そんなバカな話があるわけないじゃないですか!」
「きゃ・・きゃーーーーーーっ!」
「化け物!化け物だあ!」
爆発音と共に森が膨れるようにして盛り上がると、巨大な竜が木々のはるか向こう側から舞い上がり、銀色の月の下で錆色の体を鈍い光で反射させる。
「こ・・こ・・古竜だああああ!」
驚き慌てる男たちを尻目に、夜空に目を凝らした子爵は、確かに、竜の口から移動した小さな塊が、龍の首の上へと移動した事に気がついた。
竜の首に跨る男が夜空に魔力を爆発させる。
何度も、何度も、何度も、火花のような渦を撒き散らしながら、おそらくルテニアの王都を目指しているのだろう。
悠然と空を移動するその姿を見上げながら、
「錆色の古竜、渦の禍から生まれしもの。多くを飲み込み、多くを吐き出す。国一つを滅ぼさぬ限り、その動きを止めないだろう」
昔から伝わる伝承を口ずさんでいた。
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