第54話 治癒師のエリートイザベラ
イザベラは大嫌いだった。
あの真っ赤な髪の毛も、新緑の瞳も、イエジー殿下に気に入られているという所も、本気で気に食わない。
癒しの力を持つイザベラ・センドラは子爵家に生まれ、20センチの切り傷まで治癒する事が出来たため、軍の衛生部隊への派遣が決められた。
軍部内も衛生班内も、平民と貴族との間できっちりと枠組みが作られており、子爵家であるイザベラは、騎士爵や男爵位の人間ばかりが集まる軍部の中では上位に位置する事になる。
5センチの切り傷が治せれば御の字という治癒師の中で、20センチの切り傷を治すイザベラは特別な存在と認められ、上層部にも重用される事となったのだ。
癒しの力は病を治さない、骨折も治さない、大きな打撲も直せない。ただ、自分に見合った切り傷を治すだけ。
ただ、貴族階級で癒しの力を持つ人間はごく少数となるため、やり方次第では、国王の近くへ侍る事も夢ではない。
20センチの傷を治せるイザベラは、王宮への出仕も夢ではないだろうと言われ続けていた。陛下の周りは男性の治癒師が多いらしいけれど、そこへ私が入ったらどうなるだろう?
全世界的に魔力を持つ人間は少なくなっていて、代々膨大な魔力を持つ王家の血は、年を追うごとに非常に貴重なものとなっている。王宮内では魔力を持つもの同士の結婚を推奨しているし、膨大な魔力を持っている子女は、それだけで優遇されると聞いている。
イザベラは顔だって美人の部類だし、部隊の中では1番の人気者。それにこの若さで癒しの力が強いとなれば、新王の妃として輿入れする事だって夢じゃないはず。
だって私はいつだって一番だったんですもの。
そう、一番だったのに。
「傷は治せないですけど、痛みだけなら操作することが出来ます」
赤毛の女は唐突にそう言うと、ペコリと頭を下げたのだった。
アグニエスカの力は本物で、天幕十個分の人間の痛みをあっという間に取り去った。治した訳ではない、ただ、痛みを取っただけだけど。
「痛みに悩まされずに眠れるようになりました」
「アグニエスカさんのお陰です、ちっとも辛くないんです」
痛みを取れば皆、晴れ晴れとした表情を浮かべて、女神でも崇め奉るようにしてアグニエスカを褒め称える。
今までイザベラが一番だったのに、全く理解できなかった。彼女は決して治したわけじゃなく、ただ、痛みを取っただけなのに。
「傷を治すって言っても、爆撃で受けた火傷を治すことは出来ないし、切り傷限定で治すだけだろう?」
「他の貴族出身の治癒師だって、かすり傷程度を治すだけだろ?それなのに、なんであんなに偉そうなんだ?」
「貴族連中があんなに偉そうな素振りで、ちょっとした傷を直しただけで鼻高々な様子見て、俺、本当に哀れだなって思っちゃったよ」
「本当にそうだよ。アグニエスカ様は無茶苦茶な人数の痛みを一瞬で取り去る大魔法使いだっていうのに、そのアグニエスカ様を下に見て、嘲笑っている奴らの姿とか見てて、呆れるっていうか、憐れにしか見えないっての?あのイザベラ様だってたった20センチの傷を治す程度のことしか出来ないし、しかも20センチ治したら、その日はそれで終わりだろ?意味ねー〜ー」
アグニエスカが目立てば目立つほど、今まで悪く言われる事がなかった治癒師たちが非難の目で見られる事になる。
「私は貴族なのよ?平民たちが言っている言葉なんて気にもならないわ」
私は傷を治しているのよ?みんなの健康を守っているのよ?頑張って今まで働いてきたのに、なんでそんな目で見られなくちゃならないの?
頭にくる、頭にくる、頭にくる、頭にくる、頭にくる。新聞でも色々と書いてあったみたいだけど、それって私に関係ある?関係ないわよね?しかもここは戦場で、しかも最前線よ?何かが起こったところで、細かい事を考えている暇なんかありはしないのよ。
「アグニエスカさん・・・アグニエスカさん・・・」
イザベラは、アグニエスカが寝ている天幕へと忍び込むと、彼女の肩を叩きながら声をかけた。
「う・・ううん・・イザベラ様?」
目を開けたアグニエスカはギョッとした様子でイザベラの顔を見上げた。
「アグニエスカさん、ロサティ大佐の命令に従って、あなたを安全な場所まで移動させます。痛みの操作を行うアグニエスカさんを日中に移動させると、患者さんたちが大騒ぎするかもしれないので、夜中のうちに移動させることが決まりました」
「え?今から移動ですか?」
「そうです」
シャツとスカート姿で寝ていたアグニエスカがぼんやりとこちらを見上げるので、
「服装はそのままでいいです、残ったものは後から送りますのでとりあえず安全第一のため、身一つで移動をいたしましょう」
と、声をかけた。
アガタ・スコルプコ少尉が持ってきた命令書には、早急にピウスツキ部隊へ移動させるようにと書かれていた。衛生部隊の拠点であるルミアからの撤退も指示されており、戦況の厳しさが滲み出るような内容となっていた。
村長の家で看護を受けていた貴族籍の人間はすでに移動をしており、ここに残った貴族籍の人間は私とゲンリフ様だけ。
馬車に乗り込むと、御者の合図で馬車がノロノロと動き出した。
「アグニエスカ嬢を本当に置いていくつもりか?」
向かい側の席に座るゲンリフは、馬車に乗り込んだアグニエスカに麻酔針を刺し込みながら、イザベラに向かって問いかけてきた。
王宮に仕えていたゲンリフは、傷の治療でいえばほんの小さな傷しか癒すことは出来ないけれど、麻酔の知識を持ち、結界に張り巡らされる魔力の動きを見ることに長けている。
「他にも使えるし、高く売れるとも思うんだがね」
確かにアグニエスカの力は異常とも言える、他国に売り払えば巨万の富を得ることも可能かもしれない。だけど・・・
「今は戦時下ですよ?下手な欲をかくと大変な目に遭いますよ」
他国に売りに出したのが誰かという事がバレた場合、色々と面倒な事になるのは目に見えている。それに、万が一にも、この赤毛が幸せになりました、なんていう結末は絶対に避けたい。
「私も貴方もこの娘が気に食わない、それでいいじゃないですか」
イザベラが決めつけるように言うと、
「そうだな、下手な欲はかかずに、村に捨てていこう」
ゲンリフはため息混じりにそう答えたのだった。
ヴォルイーニ王国の新興貴族は、新しい一歩を踏み出す事を決意した。
多くの魔法使いが生まれる事にあぐらをかき、近代兵器の導入に尻込みし続けた結果、今、国が滅びようとしている。
大魔法使いが居る国であっても、肝心の大魔法使いが行方不明。どうせ滅ぼされるのなら、多くの利益を取り込んだ上で、敵国相手に有利な交渉を進めたい。
敵は肥沃な大地を手に入れて、こちらは新しい統治下での確固たる地位を約束してもらう。
魔力層を読むことに長けたゲンリフ様は結界の情報を売り、イザベラは軍部の動きを敵にリークし続けた。
「コシャリン村に到着いたしました」
御者の声に、
「わかった、例の家の前に寄せてくれ」
ゲンリフが震える声で答えている。
国境に広がる小さな森の中には村が点在しており、コシャリン村もその中のひとつとなる。
無人の家の裏手にある納屋の中へアグニエスカを放り込むと、急いで馬車へと駆け戻った。国境を越えた敵は夜中にはここを通過する。もしも見つかれば、全員がただで済むわけがないのだから。
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