第40話 裁判の後のアグニエスカ
侮蔑の表情、嘲るような笑い、馴染まぬ世界であっという間に、私は世界から分断されていく。
新聞社に勤めるマレック・モーガンに対して、確かに微かな好意を持っていた事は否定できないけれど、新聞社を辞めた後も、ネチネチ好意を持ち続けていたなんて事は一切ない。
彼には退職後、一度も会った事はないし再会してから付き纏ったなんて事実は絶対にない。だとしても、
「アグニエスカさんは妻子ある上司の事が今でも好きで好きで仕方がないのですって」
放置した噂が後押しとなって、話を覆す事が出来ない。
「おばさま、ヤン、本当にごめんなさい!私なんかの所為で!本当に、本当に、ごめんなさい」
裁判の判決が出た後に私が泣きながら謝ると、二人は全く気にしていない様子で私の事を抱きしめてくれた。
「アグニエスカは利用されただけなの、気にする必要なんて全くないのよ」
「そうだよ。俺たちが一体何をしたっていうわけ?コロア王国の高位貴族所有の別荘を壊したのだって、完全なる自作自演だろ?」
本当にそうなんだけど、いつの間にかこの世界には、正義というものがなくなったみたい。
あの日、職場から帰ると、家の前にいたナタリアが言い出した。
「本当に、本当に、私はアグニエスカに謝りたくて仕方がないんです!友達なのに、私の発言が彼女の迷惑になるような事にもなっているみたいで、本当に、本当に、後悔しかなくって!」
王都までやってきたナタリアが、お呼ばれしたお茶会で、私やひいおじいちゃんの事を話題にしたのがマリアおばあちゃんにまで伝わって、またまた激怒されたという事はわかった。
謝罪の意味も込めて最近人気のカフェでケーキを奢りたいと言い出したナタリアは、私とおばさまを連れて貴族街の坂道を進んでいったわけだけど、そこで私たちを襲った暴漢はフェルドマン伯爵家の護衛の者たちという事になってしまった。
突然現れた元上司のマレック・モーガンさんとナタリアの謝罪を聞かない私たちが暴力行為に出た為、それを止めるために護衛の者が現れたという話になっている。
嘘八百の物語があっという間に形成されていき、問題の邸宅を壊したのがヤンの魔法によるものなのか、別の要因によるものなのかといった調査すら満足に行われず、すべての非はスコリモフスキ家にあるという事が決定づけられた。
「フェルドマン伯爵はバルトシュ第三王子の祖父となるヴァルチェフスキ公爵の子飼いだもん。公爵は孫の為に、俺たちスコリモフスキ家というか、マルツェルの奴を排除したかったんじゃないの?」
「マルツェルだけじゃないわよ?ヤン、貴方をカシア姫の王配にするって案が浮上しているのを知らないわけがないわよね?」
「そういう事を言うなよお・・・」
王位継承第一位のイエジー殿下が呪いをかけられている状況のため、正妃の娘であるカシア姫の王位継承を望む声も、日々大きくなっている。姫の伴侶として第一に名前が上がるのがヤンで、巨大な魔力量を認められた形となるらしい。
「なんだかんだ言って、お家騒動に巻き込んでしまった形になるんだよね?本当にごめんね〜」
相変わらず髪の毛の先から爪先まで真っ黒状態のイエジー殿下は呑気な様子で私たちが与えられた部屋へ入ってくると、涙を浮かべたマルツェルがその後ろに続く。
「アグニエスカ!ごめん!僕が何も出来なかった所為で!本当にごめん!」
マルツェルは相変わらずで、部屋に入ってくるなり私の手首を握ると、引き寄せて腕の中に閉じ込めながら泣き出した。
「僕が戦地に行くからアグニエスカは安全なところで待っていてよ!ね!お願いだから!」
「お前は古竜討伐だろ」
後ろからチョップを入れる殿下の姿を呆れた様子で見てしまう。この二人、知り合いだったのかしらと思いながら、聞き捨てならない言葉に体が凍りつく。
「こ・・こ・・古竜討伐ってどういう事ですか?」
イエジー殿下は人差し指で自分の顎を掻きながら口をへの字に曲げた。
「最近、山脈に移動した古竜の動きが活発になっている。マルツェルは東の森の守護を命じられたけど、最初に原因の古竜を叩いた方が王国にとっての安全に繋がるんじゃないかっていう話になってね」
「ひ・・一人で討伐ですか?」
「一人じゃないよ?三人くらいはついて来てくれる事になっているから」
「でも・・・三人ですよね?」
古竜といえば伝説の生物で、過去に騎士団員千人をぶつけても倒すことは出来ず、頑強で、凶暴な生き物だと言われている。
私が言葉を飲み込むと、イエジー殿下が肩をすくめながら言い出した。
「此方としても思ってもいない方向で物事が進んでいる状況で、お互いの意見のすり合わせが重要だと考えている。個人的に話しておきたい事があるから、隣の部屋に移動してくれるかな?だけど、アグニエスカ嬢は戸籍上では平民扱いだから、この部屋で待機してて〜」
裁判は終わったばかりで、私たちは最低限の家具しか置かれていないシンプルな部屋に連れてこられていた。
裁判所からの移動はまだ許されていない。
事件の後は家に帰れないままの状態となっていた為、王宮内にある貴族専用の軟禁部屋っていうのかな、隔離しておきた人物を入れておく特殊な部屋での生活を余儀なくされていた。
「アグニエスカ・・・」
心配そうに見つめるマルツェルと私は部屋に取り残されてしまったようで、扉の前には警護につく兵士なんかもいるんだろうけど、部屋の中ではふたりっきりの状態となっている。
「マルツェル、私ね」
ソファにマルツェルを座らせると、私はもしゃもしゃ髪に隠れた金色の瞳を見つめた。
「多分、送られた先で死ぬと思う。戦争ってそういう事でしょ?無事では帰っては来られないと思っているの」
平民の命は軽い、きっと私は無事では済まない。
二つのソファとローテーブルしか置かれていない狭い部屋で、これで会うのは最後になるかもしれないマルツェルの顔を見つめた。
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