第20話  マルツェルはアグニエスカを思う

「王子様に用はないってどういう事なんだろう・・・」

「はい?」


「アグニエスカは王子様には用がないって言いながらポズナンの家を出て、王都のスコリモフスキ家に移動した後は、イエジー殿下の治療のために、毎日王宮に出仕しているっていうんだよ」


「そうですね」

「だからさ、王子様に用はないって言いながら、王子様に毎日会いに行っているんだよ?意味がわからなくない?」


 古竜の調査のためにカルパティア山脈へと出向いていた僕は、山のような報告書を片付けながら、副官として働くジガ・キェブラの方を見上げた。


「それは・・・」

「それは?」


「マルツェル様に対して用はないと言ったのでは?」

「なんで僕に用がないわけ?」


「ポズナンまで追いかけて行ったのですよね?」

「そうだけど」


「それではきっと、そういう事なのでしょう」

 そういう事ってどういう事なわけ?


「僕は確かに、スタニスワフ王の血を引いているよ?だけど、婚姻関係も何もないカイルアンの姫だった母から生まれているものだから、ヴォルイーニ王国では王の子だと認められていないでしょ?だったら王子様って事にはならないでしょうに?」


「見ようによっては、カイルアンの王子にもなるのでしょうか?」

「カイルアンの姫君って言ったって、母上は妾腹の子だよ?」

「うーーーん」


 ジガは胸の前で腕を組み、気難しげに眉を顰めると、

「嫌われちゃったんじゃないですかね」

 と、恐ろしい事を言い出した。


 王都にあるスコリモフスキ家に行く暇もないまま、副官のジガに古竜が逃げた山脈へと連れて行かれ、手薄となった東地区が問題がないかどうかと連れまわされて、ようやっと王都に帰って来られたと思ったら、報告書、報告書、報告書。


「もう、僕、死んじゃうかもしれないよ」


 時計を見ると夜中の12時を指している。本当に、本当に、死んでしまうかもしれない。


「死んでもらっては困ります」

「でしょ?だから明日はお休みにして」

「休暇はポズナンで十分に取ったのではありませんか?」

 ジガは何も言わずに休みまくった僕に対して恨みを持っている。


「休暇分は十分に働いたと思うけど?」

「まあ、そうですねえ・・・」

「だからさ、明日は絶対にアグニエスカに会いたい」

「嫌われているのに?」

「ぐぬぬぬ」


 出来るならこの副官、殺してやりたいけれど、僕は人に向けて魔法を放つ事が出来ないのだ。


「では、明日はイエジー殿下との面談を予定に入れておきましょう」

「えええ?なんで殿下と面談なんか」

「アグニエスカさんが居ますよ?」

「行くよ!面談に行く!」


「それじゃあ、そのように手配しておきますので、今日はもうお帰りください。しっかりご飯を食べて、お風呂に入って、ゆっくり寝てくださいね」


「お前はお母さんか」

「お母さんみたいな人間に、あなたの生活の補助は任せておりますので」

「誰それ?」

「帰れば分かります」

 そう答えて、ジガはにっこりと笑った。



 魔法省に勤める魔法使いの幹部にはそれぞれ一人ずつ秘書をあてがわれる事になっている。何故そうなるのかというと、幹部は朝から晩まで酷使されるのが常すぎて、日常生活をフォローする人間を配置しないと早々に過労死してしまうというデーターが出揃ってしまったからだ。


 秘書が導入される前は、朝、出勤して来ないので家まで見に行ってみたら死んでいた、みたいな事が頻回にあったらしい。


「マルツェル様、おかえりなさいませ」


 クリスティナ・ピンスケル嬢は、僕が魔法省に移動となってから僕付きとなった秘書で、


「出張の際に使用された洋服に関しては洗濯が済み、クローゼットの方へ業者が運び込んでおります。お食事の方は八番街の案山子邸の持ち帰りディナーをご用意し、テーブルの上に置いてあります」


と言ってペコリと頭を下げた。


「家の方に直接連絡とかなかったかな?」

「いいえ、ありませんでした」


 ピンスケル秘書はそう答えて春物のコートを羽織ると、

「出張での過重労働がお体への負担となっている事と推察いたしますので、明朝7時には朝食の方をお届けにあがります」

 と言って玄関のドアを開けた。


「マルツェル様は明日、朝8時に起床ということで宜しいでしょうか?」

「いや、明日はイエジー殿下との面会があるから7時に起きるよ」

「了解いたしました」


 ピンスケル秘書はペコリと頭を下げると、外に出て、玄関の扉を閉めた。


 はっきり言って、僕はこの秘書という職務に就く女性の必要性など全く感じていなかった。


 王都に移動してからは一人暮らしだったし、家の事は何でも出来るし、アグニエスカと交際を始めてからは外に食べに行く事も多かったし、アグニエスカが家に来て色々と世話を焼いてくれる事も多かったから。


 イエジー殿下が呪いにやられて、本格的に王家の剣として魔法省に移動する事となってから秘書が割り当てられる事となったんだけど、秘書のピンスケル女史は距離を縮めて来ないというか、やるべき事をやったらすぐに距離を取って待ちの態勢でいてくれるというか、必要最低限の付き合いっていう所が僕としては丁度良かったわけだ。


 最初、彼女は僕の食事を作ろうとしてくれたのだが、僕はアグニエスカの手作りしか食べるつもりはないから拒否したところ、出来合いのものを用意するようになった。洗濯も、自分の衣服をいじられるのが嫌だと言ったら、業者を頼んでくれるようになった。


 掃除も手配してくれるだけで、自分がやろうとはしない。この適度な距離感が、はっきり言って有難い。みんなが秘書というものに憧れるのも良く分かるというものだ。


「はあ・・明日こそアグニエスカに会えるといいんだけど・・」


 キッチンに移動すると、テーブルには温められた食事が並べられていた。だけどそれは一人分だから、近々、アグニエスカと二人で食事を食べたい。


 心の底から僕はそう思っていた。

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