第26話 ニューヨーク

蓮司の個展は会期中、平日・休日を問わず盛況だった。

展示していた絵もほとんどに【売約済み】の印がついた。

「一澤君。」

会期終了が近づいたある日の閉場後、蓮司に声をかけたのはギャラリーのオーナー、卯野うのだった。

「毎日盛況ですね。」

「おかげさまで。このギャラリーは場所もいいですよね。たまたま通りがかった人が入ってきてくれます。」

「いやいや、ここで何人もが展覧会をしていますが、通りすがりの人が入ってくるかどうかはアーティストの実力次第ですよ。ここ数年でここまで人の入りの多い作家は記憶にない。」

「そう言っていただけると、個展開催した甲斐があります。」

「それで一澤君に話があってね…」


土曜日 アトリエ

「ニューヨーク…?」

「うん。」

「それは…旅行とかじゃないよね…?」

菫が聞いた。

「うん。卯野さんの知り合いの画商がニューヨークにギャラリーとアトリエを持ってて、そこのアトリエを貸してくれるって言ってくれて…」

「ニューヨーク…」

「そこで2年間、絵を描いて売ってみないかって。」

「2年間…」

菫は蓮司の言葉を咀嚼そしゃくするように繰り返す。

『………』

二人とも黙ってしまう。

「…蓮司は行きたいんでしょ?」

「………」

「蓮司?」

「………俺は…」

蓮司がゆっくりと答える。

「断ろうと思ってる。」

「…え!?」

意外な答えに菫は驚く。

「どうして!?」

「…もう十分、絵で食えてるし。」

「それはそうかもしれないけど…」

「日本でいいよ、俺は。疲れたからもう寝る。」

「蓮司…」


菫は蓮司の寝顔を見ながら悶々もんもんとした夜を過ごした。

(行きたいから、私に話したんじゃないのかな…)


日曜日 朝

「スミレちゃんのご両親に挨拶しないとね。」

「え…あ、うん…そうだね…。蓮司のご両親にも…」

アメリカ行きの話ではなく、結婚の話をする蓮司に戸惑ってしまう。

「スミレちゃんの親って厳しい?うちは放任主義だけど。」

「うーん…厳しくはないと思うけど…」

「大事に育てられてそうだからなぁ…銀髪やめようかな。」

「え!そんな…サクラの色なんでしょ?絶対やめたくないって言ってたのに。」

「スミレちゃんのためだし。」

(私のため…)

「結婚式とかもさ、スミレちゃんがやりたいこと全部やろう。」

「やりたいこと…うーん…」

菫は結婚式を想像してみた。

「やりたいことは特にないかも。自分が結婚するってあんまりリアルに想像したことなかったから。」

菫は苦笑いした。

「今から考えればいいよ。スミレちゃんならどんなドレスも似合うだろうけど、せっかくだからオーダーしよう。俺がデザインしたい。」

蓮司は優しく笑う。

「一澤 蓮司にウェディングドレスのデザインしてもらえるなんて…夢にも思わなかった。」

菫は微笑んだ。

「スミレちゃんのためにデザインできるって嬉しいよ。」

「………」

「個展も明日で終わりだから、終わったらゆっくり話そう。」

「うん…。」

「絵はほとんど売れたし、売れた絵の発送作業は卯野さんのところでやってくれるから片付けはかなりラクそうなんだよね。」

「絵、ほとんど売れたんだ。」

「うん。」

「………」


月曜

(今日で個展も終わりかぁ…始まったらあっという間だったな。)

菫は仕事中も、蓮司のアメリカ行きの話と結婚のことを考えていた。


「おつかれさま。」

「え?スミレちゃん。どうした?」

菫は仕事帰りにギャラリーに顔を出した。蓮司が片付けを終えようとしていた。

展覧会の風景が嘘のように、ガランとした空間が広がっている。

「片付けの手伝いにきたけど、もう終わっちゃうね。」

「うん、もう少しで終わるから待ってて。なんか食べに行こう。」


それから二人は食事をして、帰路についた。

「ねえ蓮司。」

歩きながら菫が言った。

「ん?」

「ニューヨークのこと、卯野さんと何か話した?」

「あぁ、うん。行かないつもりって言ったら、もう少しよく考えてみてくれって言われた。」

「そうなんだ。」

話が立ち消えていないことに菫はホッとする。

「断るつもりだけど。」

(やっぱり…)

「……ねえ蓮司」

「ん?」

「本当は行きたいんじゃないの?ニューヨーク。」

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