第11話 営業モード

「今日は先日お送りした色校正いろこうせいの確認に伺いました。」

菫がいつものように蓮司のアトリエを訪ねた。

「一通り見て、気になるところは付箋貼っといた。」

いつものテーブル兼作業台には、大きな紙が広げられている。


色校正というのは、印刷の色や入稿データの間違いがないかなどをチェックする紙のことで、本番の印刷と同じように大きな紙に同じものがいくつも並んで印刷されている。

ここで希望の色が出ているかどうかなどを確認し、印刷会社に伝えて修正する。


「相間さんもメールで言ってましたけど、ピンクがもう少し鮮やかに出るといいですね。」

菫が言った。

「ノートとファイルとメモはいい感じだけど、付箋とレターセットが少し色が沈んでるかな。でも全体的には結構きれいだけどね。」

蓮司が言った。

「紙の種類かなぁ…相間さんにも確認して、場合によっては弊社でデータの色味を調整させていただきますね。」

「よろしく。相間さんとスミレちゃんの責了せきりょうでいいから。」

菫はパソコンにメモした。

「あとこれ、色校正の印刷で作ったサンプルです。」

菫が商品のサンプルを蓮司に渡した。

「色校正なので修正前の色味になっちゃいますけど、パッケージとか…商品の雰囲気はわかると思うのでお渡ししますね。」

「へぇ、もう形になってるんだ。おもしろい。このロゴいい感じじゃん。」

「これは営業がお店で商談するのに使うんです。カタログだけだと伝わらないところもあって。」

「営業モードのときはそういう顔になるんだ。」

蓮司が菫の顔を見て言った。菫は不意に言われた言葉に顔が赤くなった。

「そういうこと言わないでください。」


「レターセットとか、自分じゃ買わないからどれも同じって思ってたけど、自分の絵がレターセットになるとおもしろいもんだね。」

蓮司がサンプルを見ながら言った。

「え!何言ってるんですか!?全然違いますよ!」

急に菫の声色に熱がこもる。

「同じピンクの花柄のレターセットでも、ピンクの色だって違うし、花の種類も柄のレイアウトもちょっとしたことで全然違うし、封筒と便箋の組み合わせとか、紙の書き味とか…とにかく、エンドユーザーってそういうのを全部吟味して400円、500円を使うんです。とくにレターセットってファンレターとかにも使うので、自分の気持ちを飾る額縁?みたいな…印象が全然変わってくるので、お気に入りのレターセットをリピートする人もいるし…とにかくみんな真剣だから、メーカーも真剣にやらないと見透かされちゃうんです。だから、うちのデザイナーは細かいところまでこだわってデザインしてるんです。」

菫がいつになく流暢りゅうちょうに喋るので、蓮司は呆気にとられたあとで笑いだした。

「買いたくなった。」

「バカにしてません?」

「してないって。」

笑う蓮司に、菫は少し不機嫌そうな顔をした。

「これからお店の商談てことは、結構忙しくなるの?」

「そうですね…お店もたくさん回るし、地方の展示会とかもあるので出張もあります。」


展示会とは、文房具の卸問屋おろしどんやが主催する商談会のことで、いろいろなメーカーが会場内の自社ブースに商品を並べて、来場した店舗のバイヤーと商談する場だ。


「出張…」

蓮司は少し考えてから口を開いた。

「スミレちゃん、しばらくここには来なくていいよ。」

「え?」

「そんな忙しいのに毎週ここに来る予定組んでたらぶっ倒れるんじゃない?」

「え、でも契約…。それに、社長と柏木さ…えっと先輩がカバーしてくれるので…」

「契約は、俺がいいって言ったらいいよ。それに明石さんに借り作りたくないし。」

(借り…?)


“週一以上来い”と言われて憂鬱だったアトリエ訪問が“来なくていい”と言われると寂しい気がする。

「スマイリー…は…」

「ちゃんと面倒見てるから大丈夫だよ。」

それは菫もわかっている。

ここのところ、平日は毎日のように仕事帰りにアトリエに寄るのが当たり前になってしまっていた。


「…というわけで、しばらくはアトリエに行かなくて良いそうです。」

菫は明石に報告した。明石や他の社員には、あくまで週一で通っていることだけ伝えている。

「それは良かったね、って言いたいけど…川井さん、なんか寂しそうだね。」

明石が見透かすように言った。

「猫が…」

菫が言い訳のように言うので、明石は笑った。

「自分のキャパさえ考えて行動してくれれば、プライベートまでは口出さないよ。」

「え…っ!?えっと…プライベートって別になにも…だ、大丈夫です。」

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