第8話 質問

「今日はスミレちゃんの話してよ。」

何度目かの訪問で蓮司が言った。

蓮司はいつも通りキャンバスに向かい、スミレはノートパソコンで作業をしていた。

「えっ」

「俺ばっかり話しててズルいから。」

「一澤さんが言い出したことじゃないですか…」

「いいじゃん、スミレちゃんの事知りたい。スミレちゃんて何歳いくつ?」

キャンバスに絵の具を塗りながら蓮司が聞いた。

「…セクハラじゃないですか?」

「じゃあ契約解消する?」

蓮司が不敵な笑みを浮かべた。

「…ずるい…」

今更、年齢を聞かれたくらいで契約解消まではできない。

「……28…ですけど…」

菫はパソコン画面を見ながら渋々答えた。

「へぇ年上とは思わなかった。」

「………」

「スミレちゃんて彼氏いるの?」

「………」

「じゃあ好きな人はいる?」

「…“じゃあ”ってなんですか…これは本当にセクハラじゃないですか?」

蓮司は空笑いした。

「…なんで営業の仕事してんの?」

「え…?」

「スミレちゃんが選ばなそうな仕事って感じがするから。」

蓮司が言った。

「…元々は、私もデザイナー志望だったんですけど、いろいろあって営業になりました。」

「いろいろ?」

「そんなに大した話じゃないですよ。ミモザの前の会社も同じ文房具の会社だったんですけど、そこは新卒社員は全員まずは一年間営業をするっていうルールだったんです…」

「へぇ」

「そこで明石さん…今の社長が私の教育係だったんですけど、“営業に向いてる”って言ってくれて。」

「………」

「その頃は香魚あゆさんも同じ会社にいたんですけど…」

「あぁ、アユさん…」

蓮司は先日のあんぱんを思い出した。

「香魚さんが目の前でサラサラってデザインしたり、完璧なプレゼンしたりするの見てたら…私は自分でデザインするより、こういう人の商品をもっともっといろんな人に知ってもらう仕事の方がやりたいんじゃないかな…って思ったんです。」

菫が当時を思い出しながら言った。

「私、デザインの勉強はしたけど衝動的に「描きたい」とか「創りたい」って気持ちにはならないんですよね。」

「そうなんだ、俺なんて衝動しかないけど。」

蓮司が迷いなく筆を動かしながら言う。

「…でしょうね。」

菫は苦笑いした。

「にしても…新人の頃から明石さんがいたんだ。」

「はい。でもミモザ立ち上げで、明石さんも香魚さんも一年後には会社辞めちゃいましたけど。」

「スミレちゃんは一緒に辞めなかったんだ?」

菫はうなずいた。

「そもそも新人だったので、新しい会社の立ち上げには役に立たなかったと思いますが…明石さんにはピーコック…えっと、前の会社を良くしていくのは私や他の若手営業だって言われてたので、頑張るつもりだったんですけど…」

菫の口が少し重くなった。

「前の会社の営業部は男性社会だったので…だんだんセクハラっぽいこととか言われることが増えてきて…結局その一年後に辞めちゃいました。」

「………」

「その頃、一澤さんの個展があったんですよ。」

「……」

個展というワードに、一瞬蓮司の手が止まった。

「仕事…もう営業自体辞めちゃおうかなって思ってる頃で、営業帰りにたまたま通ったギャラリーにカラフルな絵があって。大きいキャンバスにバーンッてモチーフがあるのが、なんか気持ち良かったんですよね。元気が出るっていうか。」

蓮司は黙って聞いている。

「いつかこういう空気の絵で商品作りたいな〜売りたいな〜って思って。で、文房具の営業は続けようって決めて、転職して、今に至ります。」

「じゃあ俺と仕事できるのって念願てこと?」

「正直言ったら念願です。契約までが最悪だったので言いたくないですが。」

菫がまた渋い顔になったので蓮司は笑った。

「ふーん。でもそっか…、なんかいろいろわかった。」

蓮司が妖しく目を細めた。

「え…何がわかったんですか?」

キョトンとする菫に、蓮司が見透かすように笑った。

「スミレちゃんに彼氏はいないけど、好きな男がいること、とか。」

「…え?」

「“彼氏がいるか”って聞かれたら、彼氏がいるコはだいたい“いる”って答えるし、“好きな人がいるか”って聞かれたら、いないコはだいたい“いない”って答えるんだよ。スミレちゃんて本当に素直だね。」

「…そんなの嘘…」

菫はムッとした。

「相手もわかった。」

菫は無視して仕事を続けようとペンを手にした。

「スミレちゃんさ、明石さんが会社辞めた後でセクハラがって思ってる?」

「え…現にそうでしたけど…」

「俺が思うに、それって明石さんがいた間は明石さんがセクハラから守ってたんじゃないの?」

「え…?」

菫の脳裏に明石の顔が浮かぶ。

「…やっぱり。スミレちゃんて、明石さんのことが好きなんだね。女の表情かおになった。」

———カタンッ

菫が持っていたペンを落とした。

「………」

蓮司の方を見て、顔面蒼白で硬直している。

「…そんなに動揺する?」

「………え?なんで…て、あ、ちがう…し…」

「この間明石さんと来たときは、明石さんがスミレちゃんのボーッとしてる部分をカバーしてるから、そんなに男に無防備でいられるんだと思ったけど…」

「………」

「スミレちゃんて、明石さん以外の男が全然眼中にないんだね。ムカつく。」

菫は首をぶんぶんと横に振った。

「全然ちがいます!だいたい社長は香魚さんと結婚してるし!」

「だから、その“アユさん”になりたいんじゃないの?」

「やめてください!ちがいます!」

菫は蓮司の口を止めようと必死になる。

「明石さんも気づいてるんじゃない?勘が良さそうなタイプだし。」

「やめてください…!」

「まあ新入社員の頃からベッタリだったなら…」

「やめてってば!」

菫の頬に光るものが伝った。

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