最期の花火

斗話

最期の花火

 守山神社の境内は、ここぞとばかりに熱気で溢れていた。浴衣姿の男女に親子連れ、所狭しと行き交う人の両脇には、〈祭り 屋台〉と、インターネット検索した結果を上から並べていったような、ありきたりな露店が規則正しく並んでいる。


 森谷哲(もりや さとる)は、案内所と書かれたテントの下で、本日何度目かの迷子を見送っていた。


「……ありがとう」


 母親に促されて頭を下げる元迷子は、孤独に怯えていたのか、哲の無愛想さに怯えていたのか分からない。父親譲りの細い目、脱色を繰り返した短髪に高校野球で鍛えられた体躯。それなりの威圧感は、祭りではしゃぎすぎるガキをなだめるには便利だが、迷子の対応には向いていないとつくづく思う。


 そもそも、〈祭り〉という行事自体が哲には向いていない。守山神社の神主は祖父であり、毎年アルバイトという名目でスタッフ業をやらされているが、大袈裟に打ち上がる花火も、屋台の電飾も、楽しそうに笑う人々も、哲には眩しすぎた。特に今年はひどい。ほとんどの時間を自室で過ごしていた哲にとって、祭りでのアルバイトなんてハードワーク過ぎる。落とし物の管理くらいが関の山だ。


 時刻は十八時五十八分。あと二分もすれば花火が打ち上がり始める。哲は帰りたい気持ちを必死に抑え、その時をひたすら待っていた。何かを変えなきゃと思いながら、惰眠を貪る日とは今日でおさらばなのだ。

 哲は腕時計の秒針を見つめた。この日のために新調した電波時計である。秒針が頂点に到達し、十九時になると、ドンッという音が鳴り、光の線が真っ直ぐ天へと伸びていく。一秒かそこらの沈黙の後、藍色の夜空に花が咲いた。守山神社にいる誰しもが空を見上げ、感嘆の声や、拍手が至る所から聞こえてくる。


――始まった。


 哲は次々と打ち上がる花火を見ながら、視界の隅に本殿を、その下にあるを黒いボストンバッグを捉えていた。


 ――今日こそ自分は変わる。


 耳をすませばカチカチという音が聞こえてくる。腕時計の音ではない。ボストンバッグの中からだ。俺の魂が鳴っているのだ。

 一際大きな音が鳴り、それまで上がっていたものより少し大きな花火が咲いた。


 ――あと二十五分。


 花火が終わる十九時三十分。その瞬間に俺は生まれ変わる。そのために俺は


 ――爆弾を仕掛けたのだ。




「守山くん?」


 いつの間に立っていたのか、小柄な青年が驚いた顔で哲の顔を凝視していた。


「谷口だよ。覚えてる?」


 そう言われてハッとした。高校三年生の時に同じクラスだった谷口……下の名前は思い出せないが、同級生の中でもかなり浮いたやつだということだけ覚えている。


「覚えてる」

「良かった! やっぱり守山君だよね? 髪の色……かっこいいね!」


 こいつ、こんなに喋るやつだったか?


「今何してるの?」

「何って、バイトだけど」


 正直鬱陶しい。今は、本殿に仕掛けた爆弾の音に耳を澄ませていたいのに。


「そうじゃなくて、卒業してから何してるの?」

「あぁそういうこと。大学生だよ」

「すごい! 守山くん、野球部なのに頭良かったもんね!」


 ズカズカと触れられたくない部分に踏み込んでくる谷口に、哲は段々と怒りを覚えてきた。野球部のわりに勉強ができる。野球で中途半端にしか活躍できなかった哲にとって、多少勉強ができるという評価は、その当時は救いであった。野

球はそこまでだけど、勉強はできるから。頭はそこまでよくないけれど、野球ができるから。それらはお互いの欠点から目を背ける言い訳だったと気づいたのは大学に入ってからだ。


「谷口は?」

「僕は、働いてるよ」

「すごいな」


 脊髄反射でそう返すが、内心ではホッとしていた。大丈夫だ、大学生の俺の方がこいつよりマシな人生を歩んでいる。そう思った。


「実はすごいんだ」


 十九時十五分。花火は有名なキャラクターの輪郭を空に描いている。


「色々あって今はベンチャー企業の社長やってる。まぁ社員も僕含めて三人だし、やってる事も地味だけど」


 ベンチャー? 社長? 谷口の口から発せられているとは思えない単語に、哲の顔は歪んだ。


「……すごいな」


 今度は絞り出すように言葉を発した。どんな企業? いつからやってるの? 年収は? 女とかいるの? 色んな疑問が頭を駆け巡ったが、それを口に出した瞬間に、谷口に負けてしまうような気がした。

 ふと視界の隅に谷口の腕時計が映った。カルティエの時計だった。電波時計を買うために寄った店で存在感を放っていた白銀色の時計。値段を見た瞬間にため息が出たが、いつかはこの時計を手軽に買えるほどの財力を手に入れたいと思った。その時計を、谷口がしているのだ。


「それにしてもこんなところで会えると思ってなかったよ!」


 苛々が積もっていく。


「もし良かったら、またご飯でもさ!」


 段々と谷口の声が花火の音にかき消されていく。


 十九時二十二分。目玉である巨大花火が打ち上がる。一際大きな音が心臓に響き、哲は我に帰った。花火がより高い位置で花開くと同時に、頭の中に良いアイデアが浮かんだ。


「もう帰る? まだいるなら酒でも飲もうよ、俺あと少しで休憩入るから」

 谷口の目が輝いたような気がした。

「ぜひ!」

「じゃあ、あの本殿の横待ち合わせで。差し入れでもらった缶酎ハイあるから持ってくる」


 バックヤードに入りながら、谷口が本殿へ向かってくのを想像した。夜空には最後の追い込みと言わんばかりに大量の花火が打ち上がっている。谷口はカルティエの時計をした左手で缶酎ハイを飲みながら、「綺麗だな」なんて思っている。そして、時刻が一九時半になった瞬間、本殿に仕掛けた爆弾が爆発する。本殿はもちろん、谷口を含めた大量の人々が吹き飛び、最後の花火が上が守山神社の内側で上がるのだ。


 完璧なシナリオに、哲の口角は上がっていた。


「お待たせ。次のシフトの人来たら向かうから、先に行ってて」

「ありがとう!」


 十九時二十七分。苛々で速くなっていた鼓動が、別の意味でさらに速くなっていく。何者にもなれなかった自分はここで吹き飛び、新しい人生が始まるのだ。本殿からカチカチという音が聞こえてくる。あと二分三十六秒。


「あ、そうえいばこれ届けに来たんだった」


 谷口は足元にある何に手をかけた。哲の位置からは死角になっていて見えない。


「なんか本殿の下に落ちてたんだけど」


 谷口がゆっくりとした動作でそれを持ち上げる。


「誰かの忘れ物だと思う」


 ドンッ。長机にそれが置かれる音と、花火の音が重なる。


 それは、哲が仕掛けた爆弾だった。


「え」


 思わず谷口の顔を見つめる。


「あれ、ここ落とし物届ける場所じゃなかった?」


 谷口が再びボストンバッグに手をかけたので、哲は奪いとるように手前に引き寄せる。


「こ、ここで預かるよ」


 声が微かに震える。頭がまったく回らない。つまらない人生を終わらせるため、コツコツと準備してきた結晶が目の前に置かれている。本来あるべき場所から離れ、哲の目の前に置かれている。体の感覚全てに栓がされたような気分だった。行き交う人々の喧騒も、花火の音も聞こえず、時計のカチカチという音だけがスローモーションで頭の中に響いてくる。


 時刻は十九時五十九分。半ば無意識に腕時計を見ると、ちょうど秒針が頂点に到達した。夜空に大きな花火が打ち上がる。とても大きなレモンイエロウの花火だった。

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