第一章 アメイジング花嫁(1)
家の前にたどりついたボクは少し驚いていた。我が家の前に見慣れた一台の原付バイクが止まっている。このピンクナンバーのバイクは……。
「おお、はく坊、今帰りか?」
自宅の玄関から、板前姿の中年男が出てきた。
商店街で寿司屋を経営しているすし丸の大将だ。
「……うちでバイクのメンテ?」
多分、違うと思いながら、そんな言葉が出てきた。
「いや、寿司の出前だ。というか、はく坊、なにか、おめでたいことがあったのか? 王寺家が特上を注文するなんて、俺が知る限り、はじめてだぞぉ!」
大変失礼なおっさんだが、驚くのも無理がない。
ボクの記憶が正しければ、特上どころか、上コースの注文だってした覚えがない。
「まさか、王寺家から諭吉が三枚手渡される日がくるとはな。明日は空からタコでも降ってくるんじゃないか?」
本当に失礼なおっさんだと思うが、その気持ちはよく理解できる。
本当に明日は空からタコが振ってくるかもしない。
それぐらい、我が家にとって、あり得ない出来事だ。
「おっと、油を売っている場合じゃねぇな。次の配達が待っているんだ。んじゃな、はく坊っ!」
大将はボクに軽く手を振り、次の配達場所へ向かった。
「まさか、お婆さんの予言が当たるとは……」
特上コースのお寿司が食べられる。本来なら、感極まって香奈子に自慢の電話をするのだが、今は流石に素直に喜べない自分がいる。
とりあえず、家に中に入ろう。玄関の扉を開き、ボクは中に入る。
「うん? 誰かきているのか?」
何故、そんな結論に至ったのか、答えは簡単で、
「いやぁ~っ! こんなかわいい女の子にお酌をしてもらえるなんて、今日は本当に幸せだなぁ~」
「ほらほら、遠慮せずにいっぱい食べてね」
と、両親の楽しそうな声が一階のリビングから聞こえてきたからだ。
どうやら、誰かお客様が家にきているようだ。
その証拠に見たことのない履き物があった。
そう、我が家の玄関に似つかわしくないシューズがちょこんと置かれていた。
行儀が悪いと思いながらも、その履き物に興味が惹かれてしまったボクはその靴を自分の目線まで持ち上げる。
「……なんだこれ、めちゃくちゃ派手だな?」
派手というよりも、ゴージャスという表現の方がしっくりくる。
なんというか、おとぎ話に出てくる西洋のお姫さまが履いてそうな白のヒールだ。
こんなお姫さまが履いてそうな靴の持ち主とどこで知り合ったのだろうか?
少なくともボクの記憶の中には存在しない。
そう思うと気になった。とても好奇心がくすぐられた。
そう考えたボクはローファーを脱ぎ散らかし、リビングに真っ直ぐ向かった。
そして、リビングのドアノブを回し、楽しい会話が飛び交う場所に足を踏み入れた。
――驚くことに、リビングにはボクのよく知っている女の子がいた。
その子はボクに向かって笑顔で「おかえりなさい」と挨拶をした。
まず自分の目を疑った。次に自分の頭を疑った。
目をゴシゴシとこすり、頭をコンコンと叩いた。
それぐらい想像できない光景が、信じられない人が、リビングの椅子に座っていた。
そして、ボクはもう一度――泣きぼくろが特徴的な彼女を見つめる。
「おかえりなさい」
ボクに可愛く手を振り、またも笑顔で挨拶された。
く、悔しいけど、す、すごくかわいい……。
まあなんだ、目も頭も異常はないみたいだ。ボクの身体に異常がないということは、この状況はまごうことなき真実で、うそ偽りない現実ということになる。
リビングにはガラの悪そうな中年男と童顔の小さい女性が、テーブルの真ん中に置かれている特上コースのお寿司をぱくぱくと食べている。
まあ、このアホ二人はボクの両親なので何ら問題がないし、今はどうでもいいことだ。
問題なのはその向かいに座っている女性だ。どうして、彼女がボクの家にいる?
彼女には今日振られたばかりだぞっ!?
そんな彼女が今ボクをじっと見つめ、ニコニコと笑顔を向けてくれている。
ど、どういうことだ? どうして、姫城冬花がボクの家にいる???
いや、問題は彼女がボクの家にいるよりも――格好だ!?
どうして、姫城さんはウエディングドレス姿なんだ!?
そう、彼女の格好はどこからどう見ても花嫁そのもの。
真っ白で、キラキラした純白のドレス。
ボクが知る限り、ウエディングドレスは家で着る普段着ではないはず。
そう、ウエディングドレスは結婚式で着るための服装だ。
なるほど、玄関にあったヒールの持ち主は姫城さんのだったのか……。
あまりの驚きにボクは目をパチパチさせた呆然とする。ちゃんとしなければ頑張ってみたが、どうしても、今の光景が夢幻にしか思えなかった。
「あ、あれ?」
糸が切れた人形のように、ボクはドスンとお尻からフローリングに倒れってしまう。
いわゆる腰が抜けた状態になってしまった。
「――えっ!? は、はーくん、だ、大丈夫!?」
ウエディングドレス姿の姫城さんが倒れたボクを見て驚く。
そして、椅子から立ち上がり、ボクの元へ駆け寄る。
ボクは震える手を上げて、彼女の顔に人差し指を向ける。
そして――。
「はわわわ」と間抜けな声が漏れた。
すると、ズボンのポケットから『ウーカンカン』とサイレンが鳴り響く。
一時間と五分前にセットしたアラームの音だ。
まるで、その音は今のボクの状況を代弁しているかのように思えた。
どちらにせよ、あの予言は間違いなく的中した。
奇しくも婆さんの言葉通り、一時間八分後にボクは腰を抜かし、間抜けな声を出した。
ボクはとても後悔した。
お婆さんにその後の展開もちゃんと聞いておくべきだったと、心から悔やんだ。
それにしても。好きな人の前で腰を抜かすなんて、本当に情けない男だボクは……。
ああ、戻れるなら、五分前に戻りたいと思うボクだった。
***
「はーくん、少しは落ち着いたかしら?」
「…………」
「おーい、はーくん、聞こえてる?」
抜けた腰が回復したボクは自力で空いて、椅子になんとか座る。
気を遣ってくれるのは嬉しいけど、残念ながら、落ち着ける訳がない。
状況をなんとか整理しようと頑張ってみるが、よけいに混乱している自分がいた。
そんなボクの隣に座り、心配そうな表情で顔をのぞき込んでくる姫城さん。
「混乱するのはわかるけど、わたしの言葉を聞けば少しは納得してもらえると思うの」
「……納得ですか?」
気になることは山のようにある。その全てを彼女はこれから語ってくれるのか?
頭のてっぺんから爪の先まで何度も彼女の姿を確認する。
やっぱり、ウエディングドレスだよな? うん、どこからどう見てもウエディングドレスだ。肩口や背中が露出したタイプなので、美しい鎖骨や、麗しいうなじがよく見える。
それと、やっぱり、胸が大きいな。学生服の時でも隠しきれていなかったが、大きな谷間を見て、彼女は巨乳と呼ばれるジャンルの女の子なのだと再認識した。
ちなみに、邪な目では見てはいないつもりだ。どうしても、彼女の胸に注視してしまう理由があるのだ。それは数字だ。彼女の右胸に『60』という数字が刻まれていた。
あれはタトゥーってやつなのかな? 仮にそうだとしても、あの数字になんの意味があるんだ? あれか、おっぱいのサイズか? バストのサイズを意味する数字で『60』ということなのか? いや、どう見ても、姫城さんの胸の大きさは90センチ以上あるように思うんだけど? もしかしてセンチではなくインチなのか? そんなボクは注視していたおっぱいから頑張って、すごく頑張って、なんとか視線を外し、そのまま上へ上へと目線を上げ、彼女の端正な顔をみつめる。
「うん? わたしの顔に何かついている?」
屈託のない笑顔をボクへ向ける姫城さん。
ああ、ボクの好きな表情だ。
普段はクールなのに、この時折に見せる、純真な笑顔に心を奪われてしまったんだ。
そうだ、ボクはこの笑顔を独り占めしたかったんだ。
ただ、彼女の顔を見て、少し違和感が生まれた。
気のせいか……妙に色っぽいというか……エロいというか……ウエディングドレスを着ている所為か? それともいつもと違うメイクや髪型の所為なのか? いつも以上に雰囲気が大人っぽいなとボクは思った。普段から、同年代より、大人に見える彼女だけど、今は成熟した女性のようにも見える。
「一つだけ確認しても?」
「なにかしら?」
「……これってドッキリとかではないんですよね?」
色々と考えたが、この答えが一番しっくりくる。
寿司を美味しく頬張っている両親と香奈子、それとあの占い師の婆さんと姫城さんたちが、皆で共謀して、ボクを驚かすつもりでドッキリを仕掛けた。
もし、それが目的なら、それは大いに達したといえるだろう。
なので、そろそろネタばらしをして欲しい。
「まあ、驚いたと思うけど、ドッキリ企画ではないわよ」
「なら、どうして、ボクの家に!? どうして、ウエディングドレスなの!? あと、さっきからバクバクとマイペースにお寿司をたべるなよぉ! 緊急事態だろ? 家にウエディングドレス姿の女性が緑茶を涼しげな顔で飲んでいる状況なんだぞおぉ!? 大人として、もう少し反応とかないの? あと、そのいくらとウニと大トロはボクのだからなぁ!」
どうして、この両親たちはマイペースにお寿司を食べていられるんだ? まったく信じられん親だ。
「落ち着きなさい、はーくん。順を追って説明するから」
「順ですか?」
「まず、わたしは――タイムトラベラーなの」
「――――――はぁ!?」
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