世界のおしまいに見る夢

平賀学

世界のおしまいに見る夢

「うわーーーー!!」

 ぼくは笑いながら叫んだ。風を切って空を飛ぶのは気持ちいい。ぼくを乗せているのはペガサスだ。知らない人に説明すると、白い馬に翼が生えていて、人を乗せて空を飛ぶ、超かっこいい生き物だ。でも、こんなかっこいいけど見てくれだけの翼で、馬の体とそれに乗っている人の重みを支えて飛べるはずがない。つまりこれは夢だ。

 そして夢を夢と認識しているぼくは無敵だった。手にはこれまたかっこいい剣を携え、ときどきいい感じに掲げながら、ペガサスを乗り回していた。中学校の上を旋回して、クラスメイトが校庭でサッカーをしているのを見て、砲撃手にミサイルの撃ち込みを許可した。ぼくの号令で学校に黒くて細長くて尾びれのついたミサイルがばんばん飛び込んでいき、校庭も校舎もめちゃくちゃにした。砂ぼこりを上げながらちゃちな校舎が崩れていき、クラスメイトや先生たちはわーきゃーと逃げ回った。ぼくは愉快だったのでまた笑った。

「次はどこをめちゃくちゃにしようか、ディートリヒ」

 ぼくは愛馬の腹を撫でながら話しかけた。感触はタロウ(うちで飼ってる柴犬)の耳の裏に似ていた。夢だからぼくの想像は超えられないんだろう。ちょっと残念。

「塾にしようかな、父さんの会社に行こうかな。あっ、家をドラゴンに燃やさせちゃうか」

「お言葉ですがご主人様」

 ディートリヒが落ち着いた声で言った。ペガサスは動物で、動物は喋らないものなのでびっくりするべきだと思ったけど、夢だからそんなに気にならなかった。

「魔王が迫ってきます。お逃げください」

「魔王?」

「ええ、ほら、あちらに」

 ディートリヒがあごをしゃくって示した方を見ると、遠くから、大きな影がこちらに向けてゆっくりと動いていた。なんだろう。まっすぐで寸胴な蛇みたいなシルエットだ。そいつはおもちゃみたいな家の群れを押しつぶすようにして這っている。

 ぼくはあれはいらないと思ったから、消えろと念じた。夢ならなんでも思うとおりだからだ。でも、眉間に力を込めて睨んでも、そいつは消えなかった。僕は少し怖くなった。

「ディートリヒ、あいつは何」

 ぼくはディートリヒの脇を蹴って、あいつから逃げるように進ませた。ビューン! こっちは思い通りの速度になる。

「魔王でございます」

「魔王ってなに」

「魔王は魔王でございます」

 長い首をねじって、ディートリヒがこちらを見た。つぶらな瞳だった。授業で豚の目の解剖をしたことを思い出した。

「ご主人様はご存じのはずです。だってあれから逃げたいというのもご主人様の願いだからです」

 そうだよ。ぼくはずっと逃げたかったんだ。

 ぼくの横を羽の生えたトラックが飛んで行った。ペガサス以上に物理法則を無視して飛んでいくそいつの、こっちに迫ってくる感覚だけやたらリアルだった。クラクションの音に体がすくんだ。

 ぼくは不安になって振り返った。魔王はまだ追ってくる。あいつはゆっくり這っていて、こっちはペガサスを法定速度なんて無視して飛ばしているのに、差がぜんぜんあかない。

 魔王の頭の先端が開くのが見えた。大きなヒトデみたいなグロテスクな頭だ。

「ちくしょう、どうして」

 どうして追いかけてくるんだ。ぼくはもう嫌なんだ。

 ずっとこの夢の世界にいたいんだ。母さんはぼくの模試の順位しか見ていないし、父さんはそもそもぼくなんて目に入ってないんだ。クラスメイトはみんな頭が悪いくせに、結託して人を馬鹿にすることだけに頭が回るんだ。先生にもぼくが見えていないんだ。

 また魔王を振り返る。魔王の頭はヒトデなんかじゃない。手のひらだ。大きな腕が、作り物の町を壊しながら這っていた。押しつぶされたガレキからじゅうじゅうと煙が上がっていた。きっととんでもない熱なのだ。

 ぼくは動けなくなった。逃げたい。母さんの顔が浮かんだ。逃げるの? いつ学校に行くの? ずっと逃げ続けてどうするの? どうやって生きていくつもりなの?

「逃げてもいいですよ」

 落ち着いた声がした。ディートリヒだ。

 ぼくはしばらくディートリヒを見つめた。ディートリヒも黙って僕を見つめていた。背中からは熱気と、巨大な腕が迫っていた。

 ここには母さんも父さんもいないんだ。誰もいない。ぼくは自由だ。誰の目を気にする必要もない。

 ぼくは思い出したようにちゃちな剣を掲げた。ぼくは騎士だ。ぼくが騎士だとおもえば超かっこいい騎士になれるのだ。ここならずっと。

「行こう、ディートリヒ。空の果てまで!」

 いななきを上げて、ディートリヒは速度を上げた。ぐんぐんと空を切る。気持ちいい。全部捨ててしまうのがこんなに楽だなんて。

 腕も、だんだんと距離が開いていくのを感じた。ぼくはぼろぼろと涙をこぼした。

「私がいればご主人様は逃げなくてもよかったのかもしれませんね」

 ぼくの最高の相棒はつぶやいた。それだってぼくなのだけど、言うのは野暮だった。ふとあの日母さんに取り上げられたノートはどうなったんだろうと思った。ぼくの空想を詰め込んだ落書き帳。きっと家の裏で燃やされたんだろう。

 ご臨終です。知らない男の人の声がした。ずっとぼくの動かない右手を握っていた誰かが離れていった。

 もう魔王は追ってこない。ぼくは空の果てを目指した。

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