【東京・六本木ヒルズ編】日本茶狂騒曲

 私はお茶を飲まない。


 こう言う言い方をすると語弊があるかも知れないが、実家は珈琲党の集まりだった。


 たまに祖父母宅に行くと煙臭が独特の番茶を出されていたけれど、そもそもは、それが苦手だったせいもあったかも知れない。


 食わず嫌いならぬ飲まず嫌い。

 お寿司屋さんや和食レストランにでも行かない限りは日本茶全般を口にしないと言う状況のまま成長し、気付けば結婚年齢になっていたのだ。


 そんな生活にさざ波どころか大波が押し寄せたのは、結婚が決まり、相手宅へのご挨拶に出向いた時のことだった。


「緑茶、煎茶、玉露。お抹茶もないこともないけれど、どれがお好み?」

「⁉」


 一瞬、何を聞かれたのか理解が出来なかった。

 義母となる女性の口からは、珈琲のコの字も紅茶のこの字も出なかったからだ。

 心の中で私は思った。

 それ、全部日本茶じゃないか――と。


 さて困った。


 当然私にはその区別がつかない。

 だって物心ついた頃からほとんど飲んできていないのだから。


 せいぜい、番茶と麦茶くらいしか聞いたことも飲んだこともなく、選べるはずもない。


 皆さんと一緒で構いません、などと言う非個性的な回答しか返せなかったのは、今でも私の中の黒歴史だ。


 挨拶を済ませた私は即、有名な紅茶と日本茶を取り扱うメーカーの初心者講習会を申し込んだ。


 日本茶とは? に始まり、玉露や煎茶、抹茶に番茶の飲み比べをして、美味しくなる淹れ方も教わった。


 今にして思えば、そんなことも知らないのか? と実際に思っていたかどうかは分からないが、姑からの圧力をそんな風に勝手に感じていたのかも知れない。


 いずれにしても複数のワークショップに参加することで、私にもようやく人並みの知識がついたのだ。


 その頃にちょうど、六本木ヒルズに嬉野茶の農家の若手が七人集まって、茶師として目の前で嬉野茶を振る舞うと言う期間限定のカフェがオープンした。


 目の前で直接お茶を淹れて貰いながら、興味深いお茶の話を聞かせて貰うことが出来た。

 私はこの時まで、佐賀の吉野ケ里町が嬉野茶どころか日本茶栽培の発祥地であることを知らなかったのだ。


 何せ、お茶と言えば静岡か京都くらいにしか思っていなかった。


 そんな物知らずな私にも嫌な顔ひとつせず、茶師の方は現在では生産量も少なく希少価値も高いとされている「釜炒り茶」を惜しげもなく飲ませてくれたのを覚えている。


 さすがにもうこの頃になると、煎茶と緑茶と玉露の区別がつかないとは言わなくなっていた。


 何なら茶器にも興味が湧いたくらいだ。

 日本各地のお茶に加えて茶器にも目が向くようになると、よりその世界の奥深さに気付かされる。


 今度は自分好みの味を知るべく、色々と試してみたくなった。


 日本茶の沼に片足を突っこみかけている義理の娘を、果たして離れた場所に住む姑は今頃どう思っているだろうか。

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