振り返れば君

@maisakashu

大学3年 春の上野

 ゴッホが日本に来た。十九世紀に死んだ彼が現代日本に蘇ったわけではなく、彼の作品が日本各地を企画展で回るらしい。もっとも僕は、芸術に明るいわけではないので、彼の作品の歴史的価値や絵画的技術はよく知らない。ただ、『糸杉』と聞けば、彼の代表作は思い浮かぶ。その程度だった。そんな僕だから、美術館に足を運んだことなく、これからも予定はないはずだったのだけれど、大学で「単位の取得が楽だから」という理由で履修した授業で、ゴッホの作品を見た感想を提出せよというレポート課題を課されてしまった(正確に言えば、僕は初回授業をサボったので、律儀に出席していた友人に教えてもらった。友達とはありがたきものかな。)。かくして僕は、上野に降り立った。


 大学進学を機に上京してもう三年目になるというのに、実は上野に来るのは二回目だった。一回目は、中学生の頃、アメ横に来ただけ(偽物のブランド時計を買わされた)だったので、きちんと上野の町を歩くのは初めてだ。


 今年は猛暑になるらしく、まだ四月だというのに歩くと汗が滲む陽気だ。幸い美術館は、駅からほど近い。背を照りつける陽光から逃げるように、コンクリート造の建物へ滑り込んだ。


 係員にチケットを見せ、入場すると、音声ガイドなるものが五百円でレンタルされていた。首から提げる端末で、大きさは小学生が使う蓋付きの筆箱くらいだ。要はポータブル音楽プレイヤーのようなものらしい。音楽の代わりに、各作品の解説が収録されていて、作品を見ながら解説を楽しめるようだ。僕は少し逡巡して、借りないことにした。どうせ課題の為にメインの作品を見るくらいだ。そこまで真剣に見ることはない。


 展示室の中は行列ができていた。作品が壁面に沿って展示されており、行列もそれらの前を行儀良く並んでいた。どうやらメイン作品の『糸杉』は、最後の最後にあるようだ。それまでは有象無象の彼の作品を眺めながらいくしかないようだ。こんなことを言ったら各所に怒られそうだが。


 しかし、美術に興味のない僕が見ても、やはり世界に名を轟かす作家の作品となれば、感動を覚えるものだ。僕には人物画の良し悪しは全く分からなかったが、風景画は、言葉にできない情動を感じるものもあった。夏の木の葉からは熱を感じ、砕け散る波は動いて見えた。僕は音声ガイドを借りなかったことを少し後悔した。周りの音声ガイドを付けた人たちが、頷きながら作品を鑑賞しているのを見ると、自分も聴きたくなる。僕が心を動かされる葉や波にはどんな物語があるのだろうか。きっと、僕が感じ取れることは表層的なものに過ぎず、そこには、もっと深い思いや背景があるはずだ。


 上野駅を降りた時とは、全く異なる温度感で展示室を行列に沿って進むと、一際大きな行列、というか固まりができている箇所が見えてきた。おそらくあれが今回日本に来たゴッホの作品で最も有名な『糸杉』だろう。ほぼ、唯一、今回の展示で知っている作品であり、テンションが上がる。展示に一歩、一歩と近づく度に高まる気持ちは、恋に近かった。


 『糸杉』は思ったより小さかった。写真や印刷物で見だことのあるこの作品、大きさなど意識したことはなかったが、なんとなく巨大なカンバスに描かれているのだろうと想像していた。しかし、実物は、この『糸杉』に至るまでに見てきた他の作品とあまり変わらなかった。よく考えれば、この作品は、今でこそ格別のものとして扱われているが、描かれた当時は数ある作品の中の一つだったのかもしれない。それが時を経るとともに、絵画の大きさ以上に名声が大きくなったのかもしれない。


 別の角度からも『糸杉』を見たい。移動できるスペースがあるか周囲を見渡すと、自分の右隣に同年代の女の子が立っていることに気付いた。彼女は、食い入るように『糸杉』を見つめ、動く気配がない。息をすることを忘れていないか心配するほどだ。


 展示を見る彼女のあまりに真剣で、どこか児童のような澄んだ瞳に惹きつけられた。こちらから見える彼女の左耳には、控えめなゴールドのピアスチャームが月のように輝きながら揺れており、時折、髪を耳にかける仕草が綺麗だ。展示室内は暗いから、髪色はよくわからないが、抑えめの赤系の髪が、『糸杉』の幹のようだ。僕が惚けるように見ているのにも気付かないほど、彼女は『糸杉』に夢中だった。僕もまた、真剣な眼差しの彼女が満足げな優しい微笑みに変わり、未練をすっと断ち切るように『糸杉』も、もちろんこちらにも一瞥もくれずに去っていくまで、彼女をずっと見ていたことに気付かないほどに、彼女に夢中だった。



 家に帰り僕は、彼女に声を掛けなかったことを心から悔やんだ。僕の苦悩と悶々とした想いはレポート課題にぶつけられ、大層美術へ情熱を持った者が書いたかのようなレポートができあがった。レポートでは『糸杉』のことを書いてあるが、そこに書かれた激情は彼女に関してのものを、まるで『糸杉』へのものであるかのように書き換えただけだった。



 レポートは今日日、紙に印刷して対面で提出しなければならないらしい。明日の美術史Ⅰの授業はサボれないということになる。果たしてこの授業は本当に「単位が楽に取れる」と言えるのか?月曜二限は少し恨めしい。


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