Nowhere Man and Radio

サーフ

第1話

「無味乾燥な日常」。俺の29年の人生はこの7文字に集約されていると言ってもいい。

目標も無ければ何かに打ち込んだという経験も無い。

自分なりに7年間懸命に働いていた会社は「業績不振だから」という理由でアッサリと首を切られてしまった。

入社してすぐに付き合い始めた彼女も首になったと分かった瞬間に勤めていた会社と同じ様にアッサリと別れを告げて来た。

両親とも疎遠だ。実家には数年帰っていない。たまに来る電話が生存確認となっている。

仕事と彼女の両方を無くしたその日「いっそ死んでしまおうか」と思い、ホームセンターで練炭を買って人気のいない山に行こうとさえもした。

ただ、仕事も彼女も生き甲斐も何もない俺は"死ぬ勇気"さえも持ち合わせていなかった。


これまでの自分自身のつまらない人生に辟易とし、「またこれから頑張ろう!」なんて気は起きない。

今は、失業保険で何とか食いつないでいる。生活のリズムも普通の人からしたら変拍子として捉えられるものだ。

朝に寝て夕方に起きてスーパーで割引弁当を調達して食べて寝る。その繰り返し。

生きているのか死んでいるのか分からない毎日。孤独。終わりは見えない。真っ暗な道が永遠に続いているように感じる。



そんな生活の中で唯一の楽しみは「深夜ラジオ」だ。

ラジオから流れてくるパーソナリティの下らないトークを通して自分が独りぼっちじゃない事を意識させてくれる。

皆が寝静まった時間に日本のどこかでバカ話をしている人がいる。起きている自分の為にパーソナリティが喋ってくれているように錯覚する。

自分の部屋と放送スタジオが繋がっているような感覚。それだけで良かった。それだけが俺の中で救いとなっていた。


数ある深夜ラジオの中でも俺がヘビーリスナーなのが毎週火曜日の深夜午前3:00から5:00まで放送されている「ワールドリーのオールナイトニホン」。

ワールドリーはボケの浅井とツッコミの千葉という2人の男によるお笑いコンビであり、

2人のフリートーク力とネタコーナーにおけるハガキ職人のクオリティも高く、ラジオ好きから圧倒的な人気を誇る番組だ。


毎日が同じ動作の繰り返しの中で火曜だけが特別な日。俺はこの火曜の夜中2時間のために生きていると言ってもいい。

彼らのトークに自然と笑みが零れ、自分がまだ笑える事、生きている事を再認識させてくれる。

ラジオを聴いている火曜日以外は生きている実感は無かった。水曜に何をして、土曜に何を考え、日曜は何処にいたのか。記憶のメモリーには何一つ残っていなかった。


そして今日は火曜日だ。この日も番組を聴ける喜びで夕方に起きた時にはもうワクワクが止まらなかった。9時間後の事しか考えられない。

部屋に掛かっている時計の針ばかり目を向けてしまう。見たとしても時間の進みが早くなるなんて訳ないのに。

もうこれは恋という感情に近いのかもしれない。一週間の中で唯一、純情な感情に浸れる甘美なひと時。「生きている」と思わせてくれるひと時。


やがて3時がやってくる。時報が流れ放送が始まる。この時の為に一週間生きて来たんだ。俺はワールドリーの2人の声に意識を全集中させる。

だが、時報の後に聞こえた聴き馴染みのない甲高い声に俺は一体何が起こったのか分からなかった。


「りんねのオールナイトニホン!」


いつも聴いている男達の賑やかな声じゃなかった。ラジオから聞こえてきたのは可愛らしい女性の声。

俺は最初、聴く曜日を間違えたのかと思った。いや、そんなことはない。

一週間を意識させてくれる唯一のイベントがこの放送のはずだ。間違える筈がない。


今週だけ特別番組として放送されているだけなのか?だが、先週、ワールドリーの2人は「来週はお休み」ということは何一つ言ってなかった。

俺はパニックに陥り、ラジオの中の女性のトークも聴こえているようでまったく頭に入っては来なかった。


他のリスナーの反応が知りたくて俺はTwitterのアプリを起動させる。

Twitterではリスナーが「#ワールドリーANN」というハッシュタグをつけて実況しながら聴くという事が大いに盛り上がっている。

ただ俺のスマホは知らぬ間に通信容量を超えてしまったようで通信速度が制限されていた。

通信中を表す「グルグル」が永遠に終わらないように感じ、俺はスマホの電源を落とした。


何か情報はないのか?俺は「りんね」と名乗る女性のトークに耳を傾ける。

りんねの声からは緊張の色は見えず、既に3年は放送しているんじゃないかと思えるほどの軽快なトークを見せている。

既にオープニングは終わっていて、フリートークが展開されていた。


「この前、旅行に行った時にレンタカー借りてさ、車運転してたんだけどサイドブレーキ引き忘れちゃっててさ、

すっごく車の中が焦げ臭くなっちゃったんだよね…。」


失敗談をテンポ良く展開させる。この「りんね」のトーク、意外と聴ける。彼女の世界に引っ張りこむような魅力がそのトークにはあった。

そして彼女のトークを聴いて俺は、自分が何処かで彼女と同じような経験したことがある感覚に襲われた。


この感覚はなんなのか、そしてワールドリーの2人はいったいどうしたのか。その疑問は解けないまま、俺は彼女のトークに耳を傾け続ける。

気が付けば時刻はもう午前4:00。3:00から5:00までの放送なので放送時間の半分は終わったという事だ。


「りんねのオールナイトニホン」はフリートークが終わり、リスナーからのメールを紹介していた。

リスナーの反応に当意即妙に返していく面白さ。気が付けば俺は次第に彼女の魅力に惹かれていく。

何故だかこの「りんね」という人物と自分はパーソナリティとリスナーという繋がりではなく、もっと特別な存在のように思える。

何故そう思えるのかはわからない。ただずっと自分の近くにいた様なそんな距離の近さを感じさせる。

そんな事を考えながら時刻はいつしか5:00を迎え、最後に彼女は「また来週~!」と叫んで番組は終わった。


また来週?この「りんねのオールナイトニホン」は来週も放送されるのか?

いつもなら、朝日を浴びながら2時間たっぷり楽しんだ充足感に浸りながら床に就くのだが、今日だけは朝日が疎ましく感じ、ただただ疲労だけが残るだけだった。

ワールドリーのトークのないこのラジオが流れる世界が本当の世界なのかわからなくなっていく。

微睡ながらふと思い出して、Twitterを開く。まだ通信中の「グルグル」のまま。スマートフォンで繋がる世界と断絶されたまま。

俺はベッドから投げつけるようにスマホを放り出し、眠りについた。


次の日からまた無味乾燥な日々が始まる。これまでの日常とと違うのは火曜が"光り輝く日"ではなく"漠然とした不安"としてそこに横たわっている事だ。

流れ作業のように日常をこなし、気が付けば次の火曜日になっていた。俺はいつも通り夕方過ぎに起きる。

いつもなら、起きた時からワクワクで止まらないこの胸も今日はワクワク以上に不安が重たくのしかかってくる。

受験の合否を確認するときのような気持ち。通信制限は解除されないままだから、今日は「ワールドリーのオールナイトニホン」なのか、「りんねのオールナイトニホン」なのか、

それは3:00にならないと分からない。


不安と期待で胸をいっぱいにさせながら放送開始まで待つ。いつもの癖で壁の時計を見やる。いつもより時計の針の進みが遅い気がする。

3:00を迎えたい気持ちと迎えたくない気持ちのせめぎ合いの現れなのかもしれない。


そして時刻は午前3:00を迎える。

ラジオから流れて来た声は「りんね」の声だった。


結局、ワールドリーは2週連続でお休みという訳だ。

「ワールドリーのオールナイトニホン」が存在する世界と「りんねのオールナイトニホン」が存在する世界は別なのではないか?そんな突飛な考えが一瞬頭をよぎる。

そんな俺の考えも露知らず、今週も「りんね」は軽快にトークを繰り広げていく。

今週はどうやらリスナーから「最近自分に起こった事」を募集しているみたいだ。


リスナーからメールが読み上げられる。

「この前6年ほど付き合っている彼氏にいろいろ思う事があって別れ話を切り出したんですが、『ああ、そう。わかった。』とアッサリ承諾されたんです…。

引き留めて欲しかった訳ではないですが、彼の反応に少し悲しくなってしまいました。」


このメールに対して「りんね」は、

「あなたが彼に対して『もう終わりだな』と思っていたのと同じ様に彼も貴方に対して『もう終わりかもな』と思っていたのかもしれないよ?

もう既に彼の中で肚は決まってて別れ話を切り出された時も『ついに来たか』という感じだったのかも。だから素っ気ない返事だったのかもね。

2人共あと腐れ無い別れ方なんだからスパッと考えを切り替えて次の恋探していこう!」と回答。


どっちかに肩入れせずにフラットな視点。次の恋に進みやすいようにズバッという姿勢。この「りんね」、相談に乗るのがめちゃくちゃ上手い。

「上司にしたい有名人ランキング」の女性部門で上位にランクインしてもおかしくないほど頼りがいがある。

その後も次々とリスナーからのメールを読み上げ、「りんね」は的確にリアクションしていく。

そして今週も5:00を迎え番組は終わりを迎える。「りんね」の「また来週~!」というシメ台詞を忘れずに。


もうワールドリーは出てこないかもしれない。俺は薄々そう思い始めていた。「何故か」は分からない。だけど確信めいた物が心の中にあった。

来週も再来週もおそらく「りんね」が出てくるのだろう。


俺の予想は当たっていた。その後も毎週火曜日の午前3:00は「りんね」が放送していた。

何気ない彼女の日常。リスナーからメール。「友人が会社を首になった」「息子の生活が心配」そんな悩み相談にも彼女は答えていく。

俺はワールドリーが出てくるかもしれないという一縷の望みをかけてラジオから流れる音声に耳を傾け続けたが結果はいつも同じだ。

「ワールドリーのオールナイトニホン」という番組はこの世界から抹消されたとしか思えなくなった。



「ワールドリーのオールナイトニホン」が放送されなくなり、代わりに「りんねのオールナイトニホン」が放送され始めて3ヶ月たった。

ワールドリーのトークはとっくの昔に諦めていたが俺の近くにいる様なそんな距離の近さを感じる彼女のトークを聴かないという選択肢は無かった。


今週の「りんねのオールナイトニホン」もいつも通りの内容。フリートークとリスナーからメール。

ただラスト30分、普段の彼女と少し違った様相を呈していた。

それは彼女がこんな事を言い出したからだ。

「えっと…突然なんですけれどこの『りんねのオールナイトニホン』は今週で終わります!急な発表で皆をビックリさせちゃったかな?ホント、ごめんね!」


突然の発言で俺は一瞬何を言っているか分からなかった。彼女の番組が終わる?

ワールドリーが居なくなってしまった悲しみが段々と癒え、代わりに彼女のトークが好きになり始めていた矢先にこの発言。

心の中にぽっかりと穴が空いている俺をよそに彼女は話続ける。


「今、『皆』っていう言葉を使ったけれど、本当はウソ!この番組はたった1人の為だけに放送していたんだよね。

誰の事を言っているか、もう分かっているよね?まさかピンと来てないってことは無いよね~?」


彼女は何を言っているんだ?彼女の言葉の意味を全く理解できない。最終回に狂ってしまったんじゃないかとすら思い始めた。

彼女は喋り続ける。

「分からないなら特別にヒントをあげよう!これまでのトークとかリスナーさんからのメールを思い出してみて!何かわかる物があるから。」

これまでのトークやメールの内容?俺は彼女の精神状態に疑問を抱きつつこれまでの放送内容を思い返そうとしてみる。


初回、彼女はフリートークで旅行の失敗談を話していた。確か車の中が焦げ臭かったとか言っていた。

その後の放送は別れ話を切り出した彼氏の素っ気ない対応についてのメールとか会社を首になった人とか生活に張りが無い人に対しての相談に答えていた。


数々の内容を思い出して俺は頭の中でそれぞれ点と点同士が1つの線になっていった。全てが分かった。これは全て俺の身に起こった出来事だ。


「もう分かったかな?そう、私の一番最初のトークは『貴方が何故この世界にやってきたのか』という事を伝えたかった。

貴方はあの日練炭自殺でこの世界に来ちゃったってわけ。チラッと感じたかもだけどこの世界は貴方が29年間居た世界とは違う。

あの世とこの世の中間ってやつ?此岸は出発しちゃったけれどまだ彼岸にはついていない状況かな。」


そうだったのか。あのトークを聴いた時何故だか彼女と同じ経験をした気になっていたが違っていた。あれは俺自身の体験だったんだ。


彼女は話続ける。

「今までこの番組に届いたメールもまだ"この世"に居る人からのメッセージ。別れた彼女さんからのメールもあればご両親、元の仕事仲間からのメールもあったね。」


彼女のトークを聴きながら目から溢れる涙を止められない。俺は今まで孤独だと思っていた。でも違った。周りに人にはいたんだ。それを見ないように拒絶していただけだ。

彼女から別れを切り出された時、俺はそっけない対応をした。「別れを切り出される」なんて肚まったく括っていなかった。ただただショックだった。

あんな対応をしたのは俺のみみっちいプライドが邪魔したからだ。


「貴方はなんでこの世界に居続けているか、もう分かっているよね?」


俺はもう分かっていた。何故この世界にいるのかを。"生きたい"と思っているからだ。

もう元には戻らないと思うけれど彼女に本当に思いを伝えたい。「ありがとう」と一言いいたい。

両親にも会いたい。会って感謝の言葉と酒を酌み交わしながら疎遠だった数年の埋め合わせをしたい。

また「ワールドリーのオールナイトニホン」が聴きたい。

ここは"この世"に未練がある者が生きる世界なんだ。


「この番組を終わった時貴方は一つの決断をしてもらう。それは"あの世"へ向かうか"この世"へ戻っていくか。どっちの選択をしても良い。それはあなた次第だから。

でも悔いのない決断を。一度決めたらもう戻れないよ。最初にして最後のチャンスなんだから」


俺に迷いはなかった。どんな苦しみや困難が待ち受けてもかまわなかった。やらなければならない事が俺にはある。


「そんなこんなでもうすぐ番組もおしまい!『また来週~!』はもう言わないよ。どんな決断であっても貴方には"今"が待っているからね。

あ、そうそう決断の材料に貴方のスマホの通信制限を解除しておいたよ!"この世"に居る人からのメッセージがいっぱい入っていたから見ておいてね~」


俺はスマホを取り出すとLINEを見て見る。通信中の「グルグル」は現れずに代わりに何件ものメッセージが表示される。

元彼女からの「大丈夫ですか?本当に心配です」、両親からの「貴方が居なくなってしまったと聞いて本当に心配です。声が聞きたいです。」…。

この中間地点での無味乾燥な日々では感じない様な温かな感情が流れ込んでくる。会いたい。生きたい。


「というわけでこの番組はこれにて終了!決断の仕方は心の中で本当の気持ちを強く思えばそれで大丈夫だからね。

じゃあねバイバイ!今までトークを聴いてくれて本当にありがとうございました!」


ラジオから彼女の声は聴こえなくなった。俺は本当の気持ちを強く思う。その瞬間目の前に眩い程の光が広がっていった。



光の輝きが薄れ、次第に目が見え始める。そこは見知らぬ天井。どうやらベッドの上で寝かされているようだ。

俺は辺りを見回す。左手に規則的な機械音が流れる心電図モニターと手前には点滴が左腕に繋がれている。右手にはドア。

どこかの病院なのだろう。今が何月何日で何時なのか、そしてここは何処の病院なのかわからない。

看護師を呼ぼうとナースコールを押して見る。


少し間が空いて右手のドアの向こう側から慌ただしい足音がこだまする。

乱暴にドアが開けられ看護師が入ってきた。

部屋に入ってきた看護師は驚きの表情を見せている。

「意識が戻ったんですね!良かった!今、先生呼んでますのでもう少しだけ待ってください!」

看護師はそういってまた廊下の方へと戻っていこうとする。


俺はそれを呼び止めて、

「すみません、今って何月何日ですか?」と問いかける。

「今ですか?えーと日が変わって3月30日の水曜日ですね。」

「というとは火曜の深夜ですよね?何時になります?」と更に問いかける。

看護師は俺の上の方を見上げ答える。おそらくそこに時計が掛かっているのだろう。

「4時48分です。」

その答えを聞くと俺は「すみません!ラジオってありますか?ちょっと聞きたい番組があって…」と請願する。

看護師は『意識目覚めたばかりで何を言っているんだ』と言わんばかりの不信な目をしながら

「分かりました!探して持ってきますね」と言い、部屋を出て行った。


数分後、看護師が部屋に戻ってくる。

「ラジオありました!何か聞きたい番組があるんですか?」とラジオを枕元起きながら訊ねる。

「そうなんですよちょっと聞きたいがあって…」と答えながら看護師にチューニングを合わせてもらう。

そしてラジオから3か月前まで大好きで聞いていた男2人の声が聴こえてくる。


部屋のカーテンを通して朝日が差し込んでくる。その朝日が俺の頬を温かくさせる。

もしかしたらまた「無味乾燥な日々」に戻るのかもしれない。それでもいい。

俺にはやるべきことがあるのだから。

ラジオからは来週の放送にゲストが来ることが告げられていた。やってくるゲストも俺の大好きなお笑い芸人だった。

「やるべきこと」が一つ増えた。


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