大切なのは理屈じゃない

お爺ちゃんやお婆ちゃんになると、幼少期の感性と似てくると聞く。


赤ちゃんは成長とともに出来ることが増えていき、反対に年を取れば、老化とともに出来ないことが増えていく。だから、実質的な意味でも、幼少期と高齢期は似ているところがありそうだ。


その中でも「理屈じゃないことが好き」これが共通しているかと思う。


幼児は理屈がなくても、オモチャの単純な反復運動だけで、ゲラゲラと笑って夢中になれる。


お年寄りは というと「花鳥風月」を好むことがあるそうだ。若い頃には感じなかった花に愛おしさを覚えたり、鳥を観察し始めたり、時に自然の風を感じ、夜には月や星を見上げて、故人を想うなど。


これもまた、理屈では理解できないものだから似ているなと思う。もしかすると、人間が本来必要としていることは、理屈でないのかもしれない。


例えば、鳥が人間のように言語を話せるとしても、空の飛び方を教えることはできないだろう。それはきっと "空を飛ぶ"ということが、鳥にとって理屈ではないから。


そして逆に、人間が鳥にコンピュータの扱い方を理解させることもできないだろう。それは、コンピュータの扱い方が人間にとっての理屈でしかないからだ。


当たり前だが「人間の理屈」というもの自体が、人間以外には理解ができない。


これを"知性"と捉える人もいるが、僕は少し違うと思う。なぜなら、知性で理解していると思っておきながら、人間だけの理屈でしか理解ができていないからだ。


鳥は空を飛べる。魚は海を泳げる。

できるが、理屈はいらない。


人は空を飛べない。人は海を泳げない。

できないが、理屈がいる。

いやむしろ、できないからこそ理屈をつけているのではないかと。


「大切なのは理屈じゃないもの。理屈で理解できたなら、その程度のもの」


まぁ、これこそが、僕の「理屈」でしかないのだけれど。

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