63 魔法大会です!④

「かはっ……っつ…………」


 クロエは地上に上がって、思い切り息を吸い込んだ。

 冷たい空気が急激に肺に入り込んで、満杯になって破裂しそうだった。

 誰かが背中をトントンと叩いてくれて、リズムに合わせて呼吸をする。だんだんと落ち着いてきた。


「クロエ、大丈夫か?」


 顔を上げると、ユリウスが酷く心配そうな表情でクロエを覗き込んでいた。途端に安堵感が彼女を包んで、全身の力が抜けた。


「あり……がとう……。私、水中でパニックになっちゃって……」


「いきなり深い水の中に落とされたら誰だって混乱するよ。君が無事で良かった」


 水中での出来事を思い出すと、ぶるりと身体が震えた。

 暗い水の中、呼吸ができなくて、胸がどんどん苦しくなっていって。地上へ戻れると思ったら足を掴まれた。あの瞬間は、恐怖で背筋が凍った。


「私の足を……闇魔法が……」


「あぁ。彼はどうやらパリステラ侯爵夫人と関わりがあるようだな」


 彼女は頷く。キンバリー帝国の「影」の調査で、継母が闇魔法の集団に関わっていることが判明した。彼女はそこで継子の魔力を奪う、または自分の娘に継子の魔力を移す――という方法を探していたようだった。


 コートニーが魔法を使えるようになった今、クロエの魔力を奪うか……または殺す――に、方向転換をしたのだろうか。


 レイン伯爵令息と侯爵夫人が、親密な関係にあるということも分かっていた。

 クロエは、今後使えるカードの一つになるかもしれないと、二人を泳がせていたのだが、まさか彼からも狙われるはめになるとは。


「済まない。君の警護のことばかりを考えていて、夫人と令嬢の監視は怠っていた」と、彼は肩をすくめる。


「いいえ、ユリウスのせいじゃないわ。私のほうこそ油断をしていたから」



「……立てる?」


 ユリウスが手を伸ばす。クロエは彼の手を取って、ゆっくりと立ち上がった。


「お互いにびしょ濡れね」彼女は魔法で彼の服を濡れていない状態まで時間を戻す。「本当にありがとう。助かったわ」


「悪い。……君も、このままだと風邪をひく」


 彼が彼女に魔法をかけようとすると、


「駄目よ。水から出て来たのに衣服が乾いていたら不自然じゃない」


 彼女は慌てて止めに入るが、


「大丈夫だよ。きっと観客は『聖なる力で守られた』とか言って、君の神秘性も上がる。一石二鳥だ」


 彼は彼女に魔法をかけた。水にまみれて肌に張り付いていた衣装はからりと乾いて、ベトベトした不快さも消えていった。


「ありがとう」と、彼女は苦笑いをする。


「戦える?」


「もちろんよ。もう容赦しないわ」


「よし、その意気だ。じゃあ、次は決勝で」


 クロエは頷き、ユリウスは踵を返して観客席へと戻った。




 ――――、





「馬鹿なっ!?」


 レイン伯爵令息は目を剥く。水の中へと引きずり込んで、闇魔法でとどめを刺そうとしたのに、聖女はいつの間にか地上へ這い上がっていたのだ。


(そんな……私の魔法は完璧だったはず……一体、なぜ?)


 じろじろと穴が開くくらいに眼前の聖女を見る。水中にいたはずなのに、衣装が濡れていないのに驚いた。

 それに、闇魔法を退けたというのだろうか。……聖なる力というものはこ、れほどの威力なのか。


 客席からもわっと歓声が上がる。

 試合場内に忽然と小さな池が現れたと思ったら、聖女が消えて、伯爵令息がなにやら水に向かって魔法をかけている。

 聖女がピンチだと息を止めて見守っていたら、彼女は再び地上へと舞い戻っていた。しかも傷一つないどころか全く水を浴びた様子がない。

 やはり、聖女――いや、女神なのだと彼らは思った。


「レイン伯爵令息様……」クロエは冷淡な視線を彼に向ける。「あのような手を使うとは残念です」


「なっ……なんの、ことかな?」


 彼は平静を装って返すものの、闇魔法の発動が聖女に見つかってしまったと、心の中で酷く狼狽していた。

 禁忌とされる魔法が露見されたら、処刑は間違いない。更に一族郎党皆殺しの可能性だってあり得る。


(っ……このままでは……! どうする? 殺すか? いや、殺害はルール違反であるし、なにより私のイメージが……家門にも傷が付く…………)


 全身粟立ち、悪寒が走った。

 頭の中はごちゃごちゃと思考が散らばっていた。聖女を口封じするか、だが、どうする、例え殺しても、いや、闇魔法で操れば、どうだろうか、万が一の可能性に、いや、しかし……。



「……!?」


 観客たちのどよめく声ではっと我に返る。


 気が付くと、さっき己が放った水魔法を、聖女が球体のように固めて高々と頭上に掲げていた。それは馬車よりも大きく、背後の太陽を隠していた。

 漏れた光で球体の周囲が煌めいて、まるで光輪のようだった。まさしく、神が聖女を祝福している。


「反省しなさい」


 クロエは、おもむろにその水の球体をレインへと投げた。まるで転がすように、優雅に。


「っつつつっっ……!!」


 次の瞬間、見上げるほどの大波が彼を襲った。

 地鳴りのような轟音が響く。圧迫。またたく間に呑み込まれ、おびただしい量の水に翻弄される。まるでダンスを踊っているかのように、激しい波に一方的なエスコートをされた。


 一瞬の嵐が去って、海は凪ぐ。

 魔法の大波は消え去って、場外でレイン伯爵令息が白目を剥いて倒れていた。



「勝者、クロエ・パリステラ!」


 審判の声に、会場内の熱気は最高潮に盛り上がった。割れんばかりの拍手。聖女への称賛の声が飛び交っている。彼女は手を振って彼らに応えた。


 幾多の視線がぐるりと自分を囲んでいる。それは、空を飛んでいるみたいな高揚感で、彼女の心は満たされた。

 注目されるって、気持ちいい。見られるって、最高だ。


 そのとき、にわかにズキリと胸が痛んだ。


(……?)


 突然のことに首を傾げる。なんだか息も苦しくなってきた気がする。

 もしかしたら、さっきの闇魔法の影響だろうか。でも、それはユリウスが排除してくれたはずだ。きっと疲れが出たのだろう。


(決勝まで少し休まなきゃ)


 クロエは大きな歓声の中、静かに会場を去った。

 そのとき、コートニーとすれ違う。彼女は既に勝ち誇った様子で、異母姉を一瞥してから無言で通り過ぎた。

 どことなく違和感を覚えたが、今は次の試合のための回復に専念することにした。




 そして、ついに決勝戦。

 クロエ・パリステラとコートニー・パリステラの戦いの幕が上がる。


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