58 男女の思惑です!

「ク、クロエ……!?」


「あら、スコット。こんなところで会うなんて、奇遇ね。ご機嫌よう」


「そちらは…………?」


 スコットは引きつった顔で婚約者の隣にいる男を見る。己より上背があって体格も良くて、男の自分でも見惚れるくらいの、端整な顔立ちをしていた。


 彼の本能が警告する。

 クロエが……奪われる!




 クロエは、あの再会の日以来、度々ユリウスと会っていた。


 建前上は復讐の打ち合わせのようなものだったが、本音を言うとただ彼の顔が見たいだけだった。

 既に彼女の中で彼は大きな存在になっていて、同じ時間を共有するだけで心に平穏が戻るような、そんな安心する相手だった。

 ユリウスのほうも、口実を見つければすぐにクロエに会いに行って、二人の関係は逆行前より親密になっていったのだ。



「うわぁ~! さすがお異母姉様! いろんな殿方から人気なのねぇ~! 婚約者がいるのにぃ~!」


 すかさずコートニーが口撃を始める。彼女はスコットの後ろからさっと出て来て、ニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべながら、皮肉を放って来た。


「……あなたも、私の婚約者と二人きりでいたのね」


 冷めた声音でクロエが返すが、彼女は我が意を得たりと内心ほくそ笑む。

 計画は順調のようだ。


 彼女は、異母妹が婚約者に近付きやすいような隙のある行動を取っていた。

 そして異母妹のほうも、他に目ぼしい婚約者候補が見つからなかったからか、スコットを落として異母姉から奪うように画策していたのだ。


 スコットが婚約者に会いにパリステラ家までやって来ると、クロエは敢えてゆっくりと準備を進める。

 そして彼が待っている間に、おめかしをしたコートニーが応接室に入って来て「婚約者様に失礼なお異母姉様がいらっしゃるまで、あたしがスコット様の相手をしますわ」などと、二人だけのお茶会を始めていたのだ。


 更に、継母の指示でスコットの行動パターンを秘密裏に調査をして、彼の前に「偶然」居合わせるという技を繰り広げていた。そのあとは婚約者の顔をして、ぴったりと未来の義兄にくっついて回る。


 スコットは最初のほうは驚き、クロエに面目が立たないと気が引けていた。

 しかし、慣れというものは恐ろしいもので、幾多とコートニーと「偶然」に出会ううちに少しずつ打ち解けていって、今では気さくに会話するような仲になった。

 と言っても、彼としては義妹に対して恋愛感情なんてこれっぽっちも持ち合わせていなくて、本当の血の繋がった可愛い妹のように思っていた。


 そしてクロエも、彼に「愛情に飢えた可哀想な異母妹」の話をよくしていて、「本当の兄のように甘えさせて欲しい」と、いつもお願いしていたのだ。彼も婚約者の優しい心に胸を打たれて、コートニーのことを邪険にはしなかった。

 そんな義兄と義妹の様子は、事情を知らない貴族たちが見たら、疑問に思う関係かもしれないが……。



「きょ」慌てた様子でスコットが言い繕う。「今日は君が前に話していた焼き菓子の店に行ってみたんだ。そうしたら、偶然にもコートニー嬢も来ていたから」


「そう言えば晩餐のときに話題に上がっていたものね。コートニーも、あのお店が気になっていたわね」


「そうそう」と、スコットは深く頷く。


「あたしはぁ~、出かけるとよくスコット様とばったり会っちゃうんですぅ~。これって、お異母姉様よりご縁があるのかもぉ~?」


「そうかもしれないわね」


「そ、そんなことないよ。僕はクロエと――」


「あら、これから家族になるのに縁があるのは良いことだわ」


「まぁ、それはそうだけど……」



「それでっ!」にわかにコートニーが目を輝かす。「そちらの殿方はお異母姉様の恋人ですぁっ!?」


「恋人だって!?」と、スコットは目を白黒させる。


「えぇ~? だって、仲睦まじげに歩いてたじゃないですかぁ~。お異母姉様ったら、罪な女ですね!」


 異母姉を貶めるように茶化しつつも、コートニーはユリウスの観察を始めた。


 背が高くて遠くからでも目立つ容姿。絹のような銀糸の髪に、はっとするくらいの整った顔。

 上等な上着は皺一つ付いていなかった。落ち着いていて品があって、かなりの高位貴族だと一目で分かる。

 とっても、素敵な…………、


(な……なんでお異母姉様がこんな方と肩を並べて歩いているの!?)


 思わずぼぅっと引き込まれた。

 目の前の名の知らぬ殿方は、自分の隣の公爵令息より断然イイ男だ。この女には勿体ないくらいの。

 なんで、こんな性悪女にばかりにイイ男が群がって来るのだ。本っ当に許せない!


「名乗り出るのが遅くなってしまって申し訳ありません」ユリウスが場にそぐわない明るい声音で言う。「私はジョン・スミスと申します。辺境の地の男爵家の長男です。聖女であるクロエ様の補佐役をやらせて頂いております」


 彼の自己紹介に、忽ちコートニーの高揚していた気分は急降下する。


(辺境の男爵令息ですって? なぁ~んだ、残念。っていうか、野暮ったいブスなお異母姉様にはお似合いだわぁ~っ! ぷぷっ)


 彼女は、やっぱり自分の運命の相手はスコット・ジェンナー公爵令息しかいないと、改めて思った。

 目の前の田舎者は、たしかに彼よりかは見目麗しかもしれないが、所詮は権力を持たない男爵家の倅。パリステラ侯爵家の令嬢には不釣り合いだ。

 だから、もう、興味がない。


「スミス男爵令息」スコットは余裕の笑みを浮かべて「僕はスコット・ジェンナー。公爵家の者だ。彼女は僕の婚約者なんだ。節度ある付き合いを頼むよ」


「……えぇ、心得ております。ジェンナー公爵令息様」と、ユリウスは皮肉の帯びた笑みで返した。


 刹那、二人の視線が交差する。

 その間には敵意が内包されてあって、バチバチと電撃が弾けているみたいだった。


ややあって、


「クロエ、もう帰るのかい? 送るよ」


 スコットはずいと婚約者の前へやって来て、ぎゅっと手を握る。そして威嚇するようにユリウスを見た。

 二人の間の空気は、緊迫したままだった。


 クロエはやれやれと内心ため息をつきつつも、婚約者の手を取った。勝ち誇るスコットに、冷めた笑顔のユリウス。コートニーはスコットを取られてご立腹だ。


「ご機嫌よう、ユ――スミス男爵令息様」


「失礼します、クロエ様。次回の治療院訪問でお会いしましょう」


「行くよ、クロエ」


 スコットは挨拶もそこそこにクロエを引っ張るように馬車へと連れて行った。歩数を重ねる度に、腹立たしさが身体の奥から込み上げてくる。


 気に食わない。


 彼から見て、あの男爵令息は確実にクロエに熱を上げているように思えた。あの目……まるで愛情をこねくり回してぎゅっと凝縮したみたいな濃さだった。

 クロエも、随分親しそうに会話をしていた。その距離は、自分より近くて……。


 最近、彼はよく夢を見る。

 夢の中のクロエは、とってもやせ細っていて、いつも絶望に覆われたような悲愴な顔をしていた。

 そんな彼女を抱きしめようとしても、離れていく。そして最後は、ゴーストのように消えていくのだ。――そんな、悪夢を。


 そんな悲しいこと、絶対にさせないと思った。

 彼女は必ず自分が幸せにしてみせる。彼女の笑顔を守れるのは自分だけだ。


 ……そう、誓ったのだ。





 それ以来、スコットの悋気は燃え上がって、クロエはジェンナー家の「護衛」という名の監視を付けられてしまった。

 彼女は渋々それを受け入れる。これから婚約者をどん底へ突き落とすためには、今は我慢するしかなかった。


 ユリウスとは、時間を止めて会話をすることにした。

 持ち時間は彼女が5分、彼も5分だ。僅かな時間の、秘密の関係。お喋りは楽しかったが、毎回酷く名残惜しく感じて、ちょっと寂しくなった。


 コートニーとクリスは、クロエと男爵令息の仲を煽り立てるようなことをスコットに囁いて、二人を不仲にさせようと試みたが、逆に彼の婚約者への気持ちが盛り上がってしまったようで、逆効果だった。

 それでも、コートニーは異母姉の婚約者に纏わり付き、彼も少しでもスミス男爵令息の情報が欲しかったので、それを受け入れた。


 その様子は、傍から見たら、節度を持って接しているクロエとユリウスとは対照的に思えた。




 そして時間は積み重なり、水の底に潜んでいたクロエはついに動き出す。


 それは、ある日、突如としてコートニーが魔法を使えるようになったことが始まりだった。


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