44 婚約者と異母妹とのお茶会です!
今日は一週間振りのスコットとのお茶会だ。
普段はジェンナー公爵家にクロエが向かうことが多かったが、今日は、彼のほうが来てくれることになっていた。新しい家族を紹介したいと、彼女のほうから誘ったのだ。
そのことは継母と異母妹には伝えていないが、逆行前のことを顧みると、彼女たちは十中八九お茶会の邪魔をしに来るだろう。
それに、スコットとコートニーを早く出会わせておきたかった。
「クロエ、久し振り。やっと会えて嬉しいよ」
「私もよ、スコット」
スコットはクロエの手を取って軽く口付けをする。
その瞬間、ぞわぞわとさざ波のように手から全身に向かって鳥肌が立ったが、歯を食いしばって我慢した。
クロエは緊張した様子で、ごくりと喉を鳴らす。張り詰めた空気が、なるべく隣の婚約者に伝播するように、少し大袈裟に顔を強張らせた。
「どうしたの?」と、スコットは不安げにクロエの顔を覗き込む。
「その……」彼女は少しだけ躊躇した様相を見せて「あなたに、謝らないといけないことが……」
彼はふっと軽く息を吐いて、
「それは、今日君が着けているネックレスに関することかな?」
クロエは、今日も婚約者からのプレゼントではないネックレスを身に着けていた。
彼は会うたびに彼女がいつも自分の贈ったネックレスを着けているのを見ていたので、今日は婚約者の姿を認めた途端に、その変化に気付いたのだった。
「知っていたの……?」と、彼女は目を見張る。
「聞いたよ。異母妹にあげちゃったんだって?」
「あ……」彼女は顔を伏せた。「その、ごめんなさい…………」
二人とも黙り込んで、少しのあいだ静かな沈黙が流れた。
ややあって、スコットはそっと両手をクロエの頬に当てて、優しく持ち上げ、じっと瞳を覗き込んだ。
「クロエらしいね」と、彼はにこりと微笑む。
「えっ……?」
「本当に、君は優しすぎる」
「ごめんなさい……私、スコットからいただいた大切な宝物を……。でも、あまりにも異母妹が不憫で、居ても立っても居られなくて……」と、彼女は一筋の涙を流した。
「泣かないでくれ、クロエ。君が泣いていると僕も悲しくなる」
彼は、そっと婚約者の涙を指で掬う。
「怒って、いないの……?」と、彼女は震える口で尋ねた。
「まぁ、驚きはしたけど……君の性格ならそうだろうな、って。むしろ、そんな優しい君のことを誇りに思うよ」
「スコット……!」じわりと涙が溢れてきた。「本当にごめんなさいっ……!」
「いいんだ、クロエ。物は買い換えがきくからね。それより、君の清らかな心は唯一無二のものだから。僕は、見えないもののほうこそ、大切にすべきだと思うんだ」と、彼は彼女を抱きしめた。
「スコット……!」
クロエは婚約者の胸の中に顔をうずめる。
スコットは愛おしそうに、頭を撫でた。
彼女は優しすぎる。いつか、その優しさで雁字搦めになって、壊れてしまいそうだ。
そうならないように、しっかりと自分が彼女を守らなければ……。
(意外に単純なのね……)
彼女は婚約者の腕の中で、冷静に現状を分析していた。
逆行前は感じなかったが、目の前の彼はかなり情に流されやすく与し易い人物像のようだ。良くも悪くもお人好し。前回はコートニーとしても、さぞかしやり易かっただろう。
(こんなので将来、公爵家の当主としてやっていけるのかしら……?)
他人事ながら彼の今後がちょっと心配になった。
生き馬の目を抜く貴族社会で、彼は生き残れることができるのだろうか。ジェンナー公爵家が、彼の代で落ちぶれないと良いが。
……ま、自分には関係のない話だが。
「おや?」
そのとき、スコットがふと顔を上げて遠くのほうへ目を向けた。
クロエも彼に倣うと、そこにはコートニーが柱の陰でもじもじしながらこちらを覗き込んでいる。
「彼女は……もしかして?」
「……そうよ。あの子が私の新しい異母妹。――コートニー、良ければこちらにいらっしゃい」
(そろそろ来る頃だろうと思っていたわ)
クロエは心の中でやれやれとため息をつきながらも、そんなことおくびにも出さずにコートニーを呼ぶ。
異母妹はてとてとと、貴族令嬢らしからぬ小動物のような可愛らしい足取りで近寄って来た。
「スコット、こちらが新しい家族のコートニーよ。コートニー、こちらは私の婚約者のスコット・ジェンナー公爵令息様」
「初めまして、コートニー嬢。僕は君の義兄になるスコットだ。これからよろしくね」
「はっ、初めまして、こんにちはっ! あたしはコートニーですっ!」と、彼女はまたぞろ貴族令嬢らしくない様子でぺこりと頭を下げた。
スコットはその姿に一瞬だけ目を見張ったが、
「ははっ、元気な可愛らしい異母妹だね」と、にっこりと微笑んだ。
(この子がクロエのネックレスを……。たしかに、平民育ちだと仕方がないか)
コートニーは恥ずかしいのか、頬を赤らめて異母姉の後ろにさっと隠れる。その愛くるしい姿は、どこか庇護欲を掻き立てられて、クロエが異母妹を守りたくなる気持ちも理解できた。
「そうだ、クロエ。もし良かったらコートニー嬢も今日の茶会の席に加えてくれないだろうか」
「えっ」
「彼女はお姉さんと一緒に過ごしたいんじゃないかな? ね、そうだろ、コートニー嬢?」
スコットがクロエの奥を覗き込んで言うと、コートニーはちょこんと頭を出してこくりと頷いた。
「ほらね」と、スコットは片目を瞑る。
「そうね。異母妹の分のお茶の用意を」
コートニーはスコットの提案に顔を輝かせて、ぴょんと飛び跳ねるように椅子へと向かって、とすっと座った。
彼女の無邪気な子供みたいな姿に、スコットの口元は自然と緩んだ。貴族令嬢としての作法は全然できていないが、彼女にはそれを許されるような雰囲気があった。
「おや、そのネックレスは……」
そのとき、スコットはコートニーの胸元に飾ってあるリボン型のネックレスに自然と目がいった。
それは、たしかに彼が婚約者の誕生日に贈ったネックレスだったのだ。異母姉から奪っておいて、よくも平然とその贈り主の前で着けていられるな……と、妙に感心した。
「これですかぁ~?」コートニーの馬鹿みたいに明るい大声が響く。「これはぁ~、お異母姉様からいただいたの! コートニーに似合うから是非に、って! 可愛いでしょ?」
盗っ人コートニーのあまりに堂々とした振る舞いに、スコットは一瞬だけ目を丸くするが、クロエが目配せをして彼も察して頷いた。
「……そうか。それは良かったね」と、スコットは微笑んだ。
(平民はろくに教育も受けられないと聞く。この子も、物事の善悪がまだ分からないのだろう。可哀想に……)
彼は不憫な気持ちで哀しそうな視線をコートニーに向けた。ちらりとクロエを見ると、彼女も胸を痛めているようなうら悲しい表情をしていた。
「ねぇ! 似合うでしょう!?」
コートニーは、そんな二人の心情なんてつゆ知らず、異母姉から婚約者を奪ってやろうと、彼にぐいぐいと近寄った。卒然と腕を絡めて、胸を押し付ける。
「…………っ!」
スコットは思わず硬直する。これが初対面の令息に対しての態度か。婚約者とも密着したことがないのに、こんな、娼婦のような……。
すると、クロエは異母妹に聞こえないように、背後から彼にそっと耳打ちをした。
「可哀想な子なの。甘えさせてあげてね」
はっとして振り返ると、彼女は微苦笑して深く頷いていた。
彼は、彼女の慈悲深さに感銘を受けて、素直に義妹の過剰な接触を受け入れた。
クロエの言う通り、この子は庶子として生きてきた可哀想な子なのだ。異母妹の空っぽの水瓶のような寂しさを埋めてやるのが、彼女の希望なのだろう。ならば、年長者として叶えてやろうじゃないか。
「よ、よろしいのですか? お嬢様」と、マリアンが眉をひそめて囁く。
「あら、いいのよ。お父様もずっと別邸にいるわけじゃなかったし、異母妹は甘える相手が欲しいのよ」
クロエは二人の微笑ましい様子を見て、嬉しそうに相好を崩した。
(どんどん仲良くなりなさい。周囲から見ておかしいと思われるくらいに……)
こうして、三人の楽しいお茶会が始まったのだった。
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