35 魔法が使えるようになりました!

「………………」


「………………」


 あまりの衝撃に、クロエもマリアンも目を剥いて、身体が強張り少しも動けなかった。


 星が爆ぜたような音と、目を焼き尽くすような閃光。

 そして、静寂に目を開けると、部屋の中は巨人が暴れたみたいに木っ端微塵になっていて、強い魔力の残滓がきらきらと朝露のように輝いていた。



「お、お嬢様……」しばらくしてマリアンが震える声を出す。「魔法が……」


 クロエはごくりと息を呑んだ。まだ両手がびりびりと痺れていて、手の平がじんわりと暖かかった。


「私の……魔法…………?」


 信じられなかった。

 でも、たしかな手応えを感じた。

 自分の中に魔力が巡っていて、それは洪水のように溢れるくらいの量であると。


「は、はは……」


 乾いた笑いがこぼれる。あんなに努力しても全然発動できなかった魔法が、こういとも簡単に……。


(遅過ぎるわよ……っ!)


 心の中で悪態をついた。

 なぜ、今なのだろうか。


 もっと早く魔法が使えていたら、あんな悲惨な結果にはならなかっただろう。父も自分に対して冷淡にならなかっただろうし、継母や異母妹からも魔法を理由に虐遇なんてされなかっただろう。


 胸の中に黒い感情が渦巻く。


 しかし、それもすぐに晴れた。

 だって、今の自分は魔法が使えるのだから。


(これで……コートニーに負けない……!)


 魔法が使えるようになったことによって、自分の不利な点は取り除かれた。これは大きな変化だ。

 ならば、あとは全力で戦うだけだ。




「おい、どうしたんだっ――クロエっ!?」


 そのとき、パリステラ侯爵……クロエの父、ロバートが血相を変えてやって来た。

 彼は、娘の部屋のあまりの惨状に目を剥く。


(なんだ、この凄まじい魔力は……!)


 高魔力保持者の彼には、部屋の中の異様な高濃度の魔力をすぐさま感じ取った。

 それは滅多に遭遇しないような、研ぎ澄まされたものだった。


 その発生源は――、


「クロエ、お前の力なんだな……?」


 父は驚きを隠せない様子で、娘を見やった。


「………………」


 しかし、娘は父の質問には答えずに、威嚇するように睨み付けるだけだった。

 剣呑な空気が親子の間に流れる。父は困惑して、娘は胸に怒りをたぎらせて。



「そうなんです! クロエお嬢様の魔法の力なんですよ、旦那様!」


 しばらくして、不穏な空気に耐えきれなかった侍女が明るい声音で、二人の間に割って入った。


「そうか!」


 ロバートは思わず顔が綻ぶ。想定外の喜びが彼を包み込んだ。

 出来損ないだと思っていた娘に、このような力が宿っていたとは。


 彼は、魔力の高い家系という理由だけで政略結婚をした女との生活に、ずっと前より嫌気が差していた。

 顔も好みではないし、性格も合わない。おまけに、高魔力を期待して生まれた娘は、低魔力どころかゼロだ。


 これでは、なんのために我慢してあの女と婚姻を結んだのか。


 彼の落胆は、やがて怒りに変貌して、妻も娘もいつの間にか憎悪の対象になっていった。

 だから、妻が病に倒れてもなにも感じなかったし、魔法が使えない娘も煩わしかった。


 自分にはクリスとコートニーがいる。しかも、コートニーの中には、強い魔力が眠っていることも感じ取っていた。

 だから彼には、本当の妻と娘――二人さえいれば良かったのだ。


 しかし、ここに来てまさかのクロエの魔法の覚醒だ。しかも、コートニーの魔力を凌ぐ力を持っている。

 この事実は、ロバートを大いに歓喜させた。



「凄いじゃないか、クロエ!」


 嬉しさのあまり、彼は思わず娘を抱きしめた。

 だが――、


「離れていただけます、お父様?」


 娘は父の胸をぐいと強く押して、即座に一歩後ろに下がる。


「クロエ……?」


 あからさまな娘の拒否に、彼は目を見張って驚く。


「……まだ、体調が万全ではないのです。ですので、疲れさせるようなことをしないでください」と、彼女は冷たく言い放った。


「おお……そうか。それは済まなかった。と言うか、もう起き上がっていられるなんて驚いたぞ。体調は大丈夫なのか?」と、ロバートはマリアンを一瞥してから再び娘を見る。


「マリアンには、私の方からお父様には伝えなくて良いと言ったのです。お忙しいでしょうから、色々と」


 すると、すかさずクロエが侍女を庇った。彼女は今も険しい表情を崩さない。

 そんな娘の不機嫌な様子に戸惑いながらも、強い魔力に覚醒した自慢の娘との交流を図ろうと、弾む声音で語りかける。


「そんな、他人行儀な。遠慮しなくていいのだぞ。私たちは血の繋がった親子なのだから」


(は…………?)


 ぞくり、と鳥肌が立つ。怒りの感情は急激に冷めていって、氷のように固くなった。


「マリアン、悪いけど部屋の片付けの手配をお願い。元通りになるまで他の部屋を使うから、急がなくてもいいわ」と、彼女は父親との会話をさり気なく打ち切る。


「かしこまりました、お嬢様、では、早速代わりの部屋をご用意します」


「よろしくね」


「クロエ!」


「まだ、なにか?」と、クロエは眉をひそめる。父親のことが心底鬱陶しかった。


「その……」ロバートは少し言い淀んでから「そ、そうだ! なにか欲しいものはあるか? 魔法が使えるようになった褒美に、お父様がお前の好きなものをなんでも買ってあげるぞ!」


 彼は、これまであまりにクロエのことを顧みなかったので、どう接すれば良いか分からなかった。

 だから、コートニーと同じように物を贈ったらクロエも喜ぶだろうと、咄嗟に声をかけたのだった。


(こんなことなら、もっとクロエのことも構ってあげれば良かったか……)


 彼は後悔していた。娘のことを魔法の使えない無能だと決め付けて、これまで放置をしていたことをだ。

 まさか期待していなかった子が、こんなに強い力に目覚めるなんて。

 このようなことになるのなら、幼い頃からもっと目にかけてやれば良かった。


「……必要なものは、侯爵家の予算からいただいています」


 しかし、娘は父の言葉を冷ややかに突き放す。

 なんでも買ってやると言うと女は喜ぶと信じていた彼は驚愕した。実際に、クリスとコートニーからは、毎回とても嬉しそうに礼を言われていたのだ。


「ほ、宝石も、ドレスも、お前の好きなものを全部買ってやるんだぞ? なんなら別荘でもいい。湖付きのな!」


「お父様……」


 クロエは呆れたようにため息をつく。苛立ちさえ通り越して、言葉を失った。


 父は、所詮この程度の男なのだ。女なら物質を与えれば喜ぶと、浅はかな考えを持っている。なんと愚かな人間なのだろうか。


「あのですね、私は……」


 クロエは口を噤む。

 そのとき、ふと、ある考えに思い当たったのだ。


「クロエ?」と、ロバートは首を傾げる。

 欲しいものが思いついたのだろうか。これまでの罪滅ぼしも兼ねて、娘にはとびっきり上等なものを買ってやろう。なに、これからも褒美を与え続ければ、そのうち機嫌も良くなるだろう……。


「お父様」クロエは改めて父を見る。「一つだけお願いをしても宜しいでしょうか?」


「あぁ、なんでも言いなさい。愛する娘の願いなら、お父様がなんでも叶えてやろう」


「それでは、今後の屋敷の運営は、私に一任していただけませんか?」


「はっ……?」


 ロバートは目を見張った。

 どんな高級なドレスか、希少性の高い宝石の名称が出てくるかと構えていたら、まさかの屋敷の管理だとは。


「ど、どういうことだ?」と、彼は上擦った声で尋ねる。娘の意図が分からなかった。


「私は考えたのです。お母様亡き今、侯爵家の人間としてどういう行動を取るべきかを。お父様は、王宮の仕事や領地の管理など、忙しくされております。では、娘の私にはなにができるのだろうか。――そう考えたとき、元は侯爵夫人であるお母様が行っていた仕事を、娘の私が代わりに務めるのが一番良いのではないかと思い当たりました。魔法も使えるようになりましたし、少しは侯爵家の人間として役に立ちたいのです」


 娘はまっすぐに父の双眸を見た。その瞳の奥に映る芯の強さに、ロバートは感銘を受けた。


(なんと殊勝な……!)


 全身が打ち震えた。

 まだ小さな子供だと思っていた娘の、予想外の志の高さ、そして類なき素晴らしい魔力。

 まさしく、パリステラ侯爵家の高貴な血を受け継いだ、自慢の娘だ。しかも、褒美に物を強請るどころか、家の役に立ちたいと願うなんて。


 侯爵は、胸の奥から嬉しさが込み上がって来て、覚えず相好を崩した。


「そうか、そうか。そんなことなら、私も大賛成だ。お前の能力なら、見事に屋敷の差配がこなせるだろう」


「ありがとうございます、お父様」


「ところでクロエ、他に欲しいものはないのか? ドレスでも宝石でも――」


「では、早速これから家令との引き継ぎを行いますわ。私たちは、失礼します」


「おい、クロエ――」


 クロエは父の呼び止めを黙視して辞去した。

 視界に認めるだけで全身に嫌悪感が走った。だから、早くこの場から逃れたかったのだ。



(まずは第一歩というところね)


 過去へと逆行前は、継母と異母妹にまんまとしてやられてしまった。

 それは、屋敷においての実権を継母に握られたのが大きかった。彼女はじわじわと権力を広げて、最後はクロエから全てを奪った。


 だから、今回はその前に手を打つのだ。

 二人が来る前に、屋敷を自分中心の体制に移行させる。あの母娘の割って入る隙間もないくらいに。


(パリステラ家は、私が掌握してあげるわ……!)



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