10 立場が逆転しました
魔力は、貴族にとって力の証明だ。
魔法を駆使して魔物と戦い、外敵と戦闘して領土を守る。
初代国王は魔法で周辺国に打ち勝って建国に至った。以来、魔法は国にとって掛け替えのない大事な宝となったのだ。
高位貴族たちは今も高い魔力を保持していた。
パリステラ侯爵家は、建国時に初代国王と共に戦った者の子孫で、特に魔力が高かった。
際立った強い魔力は、畏怖と尊敬の的だった。
歴代のパリステラ家の人間も、巨大な魔力を持って生まれてきていた。彼らはその力を巧みに操って、国を守護してきたのだ。
しかし……クロエは平民並みの魔力――ほんの欠片ほどしか宿っていなかった。
そのことは彼女自身も引け目を感じていた。
授業ではどの科目も満点を取るような彼女だったが、唯一魔法だけはいつまでたってもできなくて、このまま一生魔法が使えなかったらどうしようと危惧していた。
父も母も強力な魔力の持ち主だった。
取り分け母親は古の魔法が使える一族の末裔だとして、その力を期待されて侯爵家と政略結婚を結んだのだった。
だから、二つの血を受け継ぐ娘はどんなに素晴らし魔法を使えるようになるのだろう……と、待望されていたのだ。
それが全く魔法を使えないとなったので、特に父親は酷く落胆したようだった。「パリステラ家の者として情けない」と。
従者たちも口には出さなかったが、魔法が使えない長子をとても残念に思っていた。この国では魔法は重要な武器なのである。
唯一、母親だけは「あなたは絶対に魔法が使えるようになるから大丈夫。人のよって速度が異なるのよ」と、励ましてくれたのだが、その兆しは皆無で……。
クロエは、自分のことのように一生懸命に魔法を教えてくれている母に、申し訳なく思っていた。
それに、このままの状態でジェンナー公爵家に嫁いでも良いものか、と悩むこともままあった。
スコットは「クロエが魔法を使えても使えなくても構わない」と言ってくれてはいたものの、高位貴族なのに魔法が使えないなんて……。
それはジェンナー公爵家の沽券にも関わるのではないかと不安だった。
コートニーは初めての授業で魔法を放った。
魔法の訓練は、自身の体内に内包されている魔力と向き合うことから始める。まずは身体を巡っている魔力を感じて、それを自在に操作することを学ぶのだ。
しかし、コートニーは出だしから魔力を凝縮して、魔法の弾を放つという技をやってのけたのだ。しかも、威力も抜群だ。
「天才…………!」
側に立っていた魔法の教師が目を剥いて呟く。彼の感動のあまり、全身が打ち震えていた。
これまで彼が教えた貴族の子女で、初めての授業で実戦でも通用しそうな魔法を発動させた者はいなかったのだ。
彼女は稀代の才能を持っている。初代国王に匹敵する力を秘めているのかもしれない。
もしかすると、伝説の聖女なのかも…………。
辺りにはコートニーの魔力の残滓がまだ浮遊している。
魔法が使えないクロエにもこの圧倒的な力を感じて、ビリビリと肌が震えていた。
ねちっこい嫌な汗が彼女の額を伝った。
コートニーは紛うかたなき天才だった。
◆◆◆
「凄いじゃないか! コートニー!!」
パリステラ侯爵は色めき立った。喜色満面で娘を強く抱き締める。
「お父様、痛いっ!」
コートニーはむっと口を尖らすものの、大好きな父に褒められて嬉しかった。
ロバートは歓喜していた。
魔力の高かった元妻の娘は全く魔法が使えずにいて、このままでは侯爵家の矜持に関わると酷く危惧していたのだ。
彼にとってはマナーや教養より魔力のほうが重要だった。この国の建国の歴史を鑑みれば、一番重要なのは下らない貴族のしきたりより魔力だった。
正直を言うと……彼はクロエには失望していた。
娘に魔力がなくて、なんのための政略結婚だったのだろうか。パリステラ家のさらなる繁栄のために好きでもない女と婚姻を結んだのに、あの体たらく……。
もし、クロエに強い魔力があったのなら、彼ももっと元妻に心を寄せたのかもしれない。浮気もしなかったかもしれないし、家族を大事にしていたのかもしれない。
だが、現実は非情だ。
娘は魔法が使えない。高位貴族でそんなこと、許されるはずがない。
彼はそんな娘が煩わしかったし……恥だった。
元妻は「クロエはまだ力に目覚めていないだけで、いずれ私たちを凌ぐ能力を持つ」と主張していたが、そんな兆候は全く現れなかった。
個人差はあれど、貴族は10歳も満たないうちに、魔力を発動させる。
クロエは待てど暮らせど、能力に目覚める日はついぞ来なかったのだ。
元妻は娘可愛さに嘘をついていたのだろう。
そして、侯爵夫人という地位を手放したくないばかりに、希望のない娘の未来に縋っていたのだろう。……そんなところも憎いと感じた。
自分は騙されたのだ。
嘘つき女と、魔法の使えない娘。なんて不幸な人生なのだろう。
そんな思いで、ロバートは自然と家庭から遠のいて、愛人と娘――いつの間にかそちらが彼の生活の主軸になっていった。
コートニーの体内に巨大な魔力が内包されていることは彼も薄々気付いていた。この子は出来損ないのクロエと違って素晴らしい魔導士になると確信していた。
それが……自分の期待以上のこのような力を発揮するなんて…………!
パリステラ侯爵は、長年の鬱屈した劣等感という暗い霧の中に、一筋の光が差し込んだ気がした。
◆◆◆
「ちょっと……どういうことっ!?」
庭園の散策から戻ったクロエの前に信じられない光景が広がっていた。
彼女の持ち物は全て床に堆く積み上げられて、それを継母と異母妹が吟味していたのだ。
「あら、聞いていなくて?」クリスは薄笑いを浮かべる。「今日からこの部屋はコートニーのものになったの。偉大な魔力を持つ侯爵家の令嬢として、ね?」
「そんなっ……聞いていないわ!」
「お父様が言い忘れていたのね」今度はコートニーがくすくすと意地の悪い笑みを浮かべた。「魔法が使えない娘なんてパリステラ家の者じゃないわ」
「っ……!」
クロエは凍り付いた。言い返そうにも、二の句が継げない。
それは……本当のことだと思ったからだ。高位貴族に必要不可欠な魔力を自分は持っていない。その事実は、貴族として失格だと烙印を押されたのも同然だ。
青白い顔をして佇む彼女に、追い打ちを掛けるように継母が言う。
「と言うか……本当にあなたは侯爵の娘なのかしら? 魔法が使えないなんて……前侯爵夫人は平民の下男とでも浮気をしていたんじゃないの?」
「っ! このっ――」
大好きな母を侮辱されてクロエは思わず手を上げそうになったが、すんでのところで背後から手首を掴まれて阻まれた。はっと我に返って振り向く。
そこには――、
「お父様!?」
「なにをしているのだ」
これまで見たこともないような険しい顔をして、ロバート・パリステラ侯爵が彼女を見下ろしていた。
「離してくださいっ! お継母様がお母様に侮辱を――」
「この部屋は今日からコートニーのものとなった。早く出て行きなさい」
ロバートはクロエの腕を引っ張って、強引に扉の外へ放り出した。
唖然と、父を見上げる。
そこには既にもう背中しか映っていなくて、ばたりと無常に扉は閉じた。
クロエの部屋が変わった。
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