8 少しずつ屋敷が変化していきます

 クロエはすっかり塞ぎ込んでいた。

 

 誕生日に婚約者のスコットから贈られたネックレス……それを失ったことは彼女にとって大きな心の傷となって、あまりの喪失感になにもする気が起きなかった。


 更に、先日のスコットとのお茶会で継母と異母妹の示し合わせてような真っ赤な嘘……。


 まさか二人揃ってあんな虚偽を平然と言い放つなんて、思いも寄らなかった。

 生まれてこのかた綺麗なものしか触れたことのない温室育ちの彼女は、平気で嘘をつくような人間はこれまで出会ったことがなかった。

 だから、獲物を仕留める猛禽類のような不意の攻撃には、当意即妙には対応することなんてできなかったのだ。



(どうしましょう……。このままではスコットに誤解を与えたままだわ……)


 クロエは焦った。

 あのあと、婚約者にはすぐに手紙を書いた。ネックレスがどういう経緯で異母妹のもとに渡ったのか事細かに記した手紙だ。


 だが……スコットから返事は来なかった。

 待っても、待っても、便りは来ない。

 ジェンナー公爵家へ足を運ぼうとしても、あのときの彼の冷たい双眸が脳裏に焼き付いて、彼と会う勇気が出なかった。


(スコットに拒絶されるのが怖い……)


 クロエは入口も出口も塞がれた真っ暗なトンネルの中を彷徨っているような気分だった。それは酷く心細くて、底知れぬ恐怖心が身体中を支配していた。


 話の通じない継母と異母妹が未知の生物のように思えた。

 彼女たちと顔を合わせるのが怖くて、自然と外出が減って一日中部屋に閉じ籠もる日も多くなっていった。




 その継母と異母妹は当主の威光を笠に着てやりたい放題で、最近では気に入らない侍女や執事に辛く当たったり、以前に増して無理難題を言うことも多くなった。

 そして彼女たちが連れてきた従者たちがだんだんと幅を利かせるようになって、侯爵家の秩序は徐々に乱れていった。


 義憤に駆られたクロエが父に進言するが、侯爵は妻クリスと娘コートニーに汲みして、逆に前妻の娘クロエのほうが「二人が気に入らないから意地悪をしているんじゃないか?」と、あらぬ嫌疑を受けることもあった。


 父は愛人に溺れてから変わったのか、それとも端からそういう人間だったのか。

 長らく父親と向き合っていなかった彼女には、もう知る由もなかった。


 しかし、確実に言えることは、屋敷の雰囲気がどんどん悪くなっていっている。

 パリステラ家の人間として、これだけは見逃せなかった。事実、暇を乞う使用人も出てきていた。それは彼女の母親が存命の頃から仕えていた者も含まれ、やるせない気持ちでただ見送るしかなかった。


 クロエは何度も父親に進言するが、最後のほうは「下らぬ醜い嫉妬心」だと斬り捨てられて、もう相手にもされていなかった。


 継母は従者たちに対してついに手まで出すようになって、鋭い鞭の音が暗い廊下に響く日もあった。

 メイドたちは常におどおどと、新しい侯爵夫人の顔色を伺っている。

 屋敷全体が底なし沼のように深く沈んでいって行くようで、パリステラ家にはいつまでも暗雲が立ち込めていた。





◆◆◆





 スコット・ジェンナーは困惑していた。


(おかしい……)


 あの日から一週間たち、彼はクロエに手紙を出したものの、彼女からは一向に返事が来なかったのだ。

 いや、それ以前にも……だ。

 パリステラ家に新しい家族が来てからというもの、これまで頻繁にやり取りをしていた手紙がぱたりと途絶えていた。


 彼女の新しい生活が始まったから、きっと手紙を書く余裕がなかったのかもしれない。

 なにせ最愛の母親が逝去して半年で新しい母と妹がやって来たのだ。おそらく彼女の心は未だに嵐のように荒ぶっているのだろう。

 だから、手紙を書かなくなるのも、仕方のないことかもしれない。


 だが、あのクロエがこんなに長い期間も手紙をしたためないなんて、あり得るだろうか。

 彼女は筆まめな子だし、なにより侯爵令嬢として礼節は怠らない。なので婚約者――しかも自身より高位の貴族に対して、手紙の返事をしないなど不義を働くようなことがあるだろうか。


(やっぱり……怒っているよな……)

 

 スコットは、あの日――パリステラ家へ行った日は雷に打たれたような想定外の出来事に動揺して、冷静な判断力を失ってしまった。

 自身が婚約者のために選んだプレゼントを、断りもなしに異母妹にあげるなんて……。


 それは、彼にとって自分自身が彼女から否定されてしまった感覚で、つい頭に血が上ってしまったのだ。

 特にあのネックレスは、クロエが15歳になった記念の思い入れの強いものだった。


 しかし……冷静に考えると、あの優しいクロエがそんなことをするはずがない。

 きっと、なにか事情があるはずだ。多分、クロエと異母妹たちの間になにか誤解が生じたのだろう。


(クロエに酷いことをしたな……)


 スコットは肩を落とした。自分は衝撃の連続に狼狽するあまり、クロエに酷い態度を取ってしまった。

 今頃、傷付いて泣いているかもしれない。ちゃんと話し合って、早く和解をしなければ。

 大事な婚約者と、このような形で終わらせてくない。


「よしっ……!」


 スコットはペンを取る。もう一度クロエに手紙を書くのだ。


(そうだな……。直接会って話がしたい、君に謝りたい……と、今の気持ちを素直に綴ろう)



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